中津川以北 鳥居峠の重連
昭和43年12月28日、藪原・奈良井間で撮影。
列車で移動して、鳥居峠の両側で上り勾配のD51を撮る計画。付近の山々が薄っすら雪化粧した頃であった。
3回目の鳥居峠、これが最後の撮影になった。今回は峠の薮原側、次回は奈良井側の写真を掲載する。
延長1673mの鳥居トンネルの抗口まで藪原側、奈良井側ともにほぼ等距離の2.5キロ前後で、藪原側が幾分長い。
双方とも20‰勾配、急曲線が連続するが、沿線の風情は大きく異なりそれぞれに趣があった。
中津川複線電化が開業した43年10月の大幅ダイヤ改正で、中央西線の運行状況も大きく変わった。
801D急行"きそ"2号に乗って名古屋から約2時間40分、藪原に10:18の到着。スキーシーズンの臨時停車であった。
特急"しなの"が運転を開始し、DC急行もスピードアップして木曽福島までの所要時間が10分短縮されていた。
峠に向かう道中は、翌年9月の新線開通を控えて複線化工事の最盛期にあり、先に行く程工事が進行していた。
街外れまで歩くと上り804D急行"きそ"2号が峠を下ってきた。宮ノ越で交換する下り特急”しなの”をここで待った。
工事の土盛りから藪原の街並みを展望、曇天の空から日が射した11時過ぎ、初撮影の特急が築堤を登ってきた。
キハ181系下り11D特急"しなの"
振り向いた先から峠に向けて複線化工事が本格化していた
あらかじめ計画していたポイントに辿り着くと、工事中で撮影不可能。断念して塩沢の谷を先に進んだ。
藪原から2キロ近く先に建設中の音無沢高架橋に到達した。急曲線を緩和した新複線はこの先新トンネルに向かう。
工事中の高架橋が入るのは好みでないが、時間切れでここで待った。後日見ると工事の様子が記録できたともいえる。
狙いは木曽福島から補機が付くD51重連牽引の下り貨物列車。11時45分過ぎ、藪原を通過する汽笛が聞こえる。
猛烈なドラフト音が谷に響き渡り、R300曲線を回り切った新雪の斜面から二筋の煙が姿を見せた。素晴らしい煙だ。
D51-862[木]、D51-792[中]の重連の下り貨物667レ
トンネルまで残すところ数百m、段々と速度が遅くなってくる。峠を目前にして最後の力闘が展開された。
先程まで寒さで震えていたシャッターを切る指が、今度は想像以上の大迫力に震える。
手前のケーブルは現像するまで気が付かず、後で大いに悔やんだが、他に立つ場所がなかったことも事実であった。
先頭の862号機は半戦時型煙室戸上部切欠きの変形ドームで長野工場式デフを装備
左側の新線と並走した後、右方向に分かれて切通しから鳥居トンネルに入る。トンネル内の上り勾配をしばらく行って絶気。
一旦引き上げて藪原に向かう途中、12時15分頃下り急行が坂を登ってきた。左側は新線の工事中である。
キハ91系下り803D急行"きそ"3号
この後、藪原12:45発下り松本行827レに乗車して鳥居峠を越え、峠の奈良井側で撮影した(次回掲載)。
奈良井発15:36の834Dで藪原に戻ってきた。約10分後、15:56に下り旅客が発車する。峠に向かい兎に角走った。
改めて撮影場所を探したが、工事の制約で結局は午前と同じ場所付近まで来た。やはりケーブルには気付いていない。
D51-266[中]牽引の下り長野行829レ
この先は工事現場と並走し、トンネル前は切通しを行くため撮影は困難
藪原の街並みまで戻った。旅客829レの通過待ちの下り貨物の藪原発車は16時10分頃、この日最後の撮影になる。
短い編成ながら200号機が喘ぎながら20‰を登ってきた。風が強いなかであったが、爆煙に満足して終了。
この頃は中央西線のD51全機が集煙装置を付けていた。臨時停車の16:35発上り806D急行"きそ"3号に乗って帰宅。
D51-200[中]牽引の下り貨物669レ
1968.12 藪原・奈良井
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