稲沢操車場のキュウロク(その2)
2回目に稲沢操車場を訪れたのは、前回から半年後、昭和43年のゴールデンウイークであった。
稲沢駅の南側陸橋からは稲沢操車場で貨車の入換作業するキュウロクの働きぶりが眺望できた。
当時の記録では、ヤードは南北5.6km、東西400mに及んでいた。見られるのは操車場の一部に過ぎない。
49608の貨車入換作業と稲沢操車場遠景
19653の入換作業 行ったり来たり、気の遠くなるような貨車の入換で貨物列車が編成されていく
型番入り旧式ナンバープレートを付けた29657
生まれる前から稲沢第一機関区に配属されていた一部のキュウロクはまだ現役であったが、徐々に廃車されていく。
前回以降の半年間で3両が廃車されたが、一方、営業線で役目を終えて新たに入ってくる車両もあった。
稲沢第一機関区のキュウロクの多くは、同じ名古屋鉄道管理局管内にある高山機関区から転属してきていた。
この年1月に高山線の高山・富山操車場間が無煙化され、2両が加わった。
高山機関区から入換専用として稲沢第一機関区に転入の79643
ハンプ上の79643
北側のハンプはD51の主戦場であった。珍しくもないので、まず撮ることがなかった。
北のヤードのD51-873
デフレクターを取外したナメクジドームのD51-72
1968.5 稲沢操車場
デフレクターを外す前のD51-72 40年に撮影
1965.11 稲沢第一機関区
29643の入庫風景 逆行でターンテーブルに向かう
この日、稲沢第一機関区で見た蒸気機関車。
C50ー137
C12ー242
1968.5 稲沢第一機関区
稲沢操車場のキュウロク(その1)
大正時代に貨物用機関車として量産された9600形テンダー式蒸気機関車はキュウロクと呼ばれた。
昭和40年代前半、名古屋から東海道線を北へ11キロ程の稲沢操車場で貨物の入換にキュウロクが活躍していた。
稲沢操車場は関東の新鶴見、関西の吹田と並ぶ全国三大操車場の一つで、広大なハンプヤードであった。
42年10月の稲沢操車場の写真。当地のキュウロクは入換専用機で稲沢第一機関区の配属であった。
キュウロクが活躍していたのは主に南側のヤードで、北側はD50から世代交代したD51の持場になっていた。
49608の貨車入換作業
29699の貨車入換作業
1967.10 稲沢操車場
稲沢第一機関区の39600 休車扱い
1967.10 稲沢第一機関区
この日、稲沢第一機関区で見た他の蒸気機関車はC50、C58、D51。
あまり見る機会がなかったC50は名古屋港線の名古屋港の貨車入換で運用されていた。
C50ー101
C58ー25
D51ー873
1967.10 稲沢第一機関区
40年11月、初めて稲沢操車場に行った時の写真。まだD50が運用されていた。
パイプ煙突に取換えられたD50ー246
1965.11 稲沢操車場
C50-137と機関庫
1965.11 稲沢第一機関区
当時からディーゼル機関車は運用されていたが、まだ目立つ程の存在ではなかった。
貨物線を行くDD13
1965.11 稲沢駅付近
マンモスと呼ばれた電気機関車とその後継機
昭和20年代後半、東海道線米原電化を目前に重量貨物の関ヶ原越えに対応すべくEH10形機関車が開発された。
国鉄最大級、唯一の動軸8軸の直流機関車で、重量感ある独特の車体に黒に黄色の細帯が塗装されマンモスと呼ばれた。
東海道、山陽線の貨物列車専用として運行され、34年からコンテナ特急貨物列車たから号を牽引した。
当時、コンテナ貨物は新しい時代の到来を象徴するような存在であり、子供向けの絵本にもよく登場していた。
EH10-8牽引の東海道線上り貨物列車
1967.11 東海道線 稲沢駅付近
EH10-40牽引の東海道線下りコンテナ貨物列車
1968.1 東海道線 熱田・名古屋
EH10-1 1~4までが試作機でパンタグラフの位置が中央寄り 後方は量産機EH10-34
稲沢第二機関区でEF65、EF60と並ぶEH10-34
1965.11 稲沢第二機関区
35年から小型軽量化した貨物用EF60型機関車の製造が開始され、EH10は一般貨物列車への転用が進んだ。
40年代は、長大編成の貨物を牽引して家畜車、豚積車が悪臭を撒き散らして名古屋駅を通過していった印象が強い。
一灯式旧塗装のEF60-65(3次量産車47~83) ぶどう色から標準色に変更される頃
1965.9 東海道線 熱田・名古屋
東海道線下り貨物列車を牽引する一灯式EF60-30(2次量産車15~46)とEF60(4次以降)の重連
1965.9 東海道線 岐阜・穂積
40年からEF60の後続機として、高速化したEF65が登場した。
稲沢操車場を出発したEF65-43(1次車1~47)牽引の東海道線貨物列車
1968.5 稲沢駅付近
直流新形電気機関車の元祖はED60で、交流機のED70より1年遅れて33年から8両が製造された。
43年8月、竜華操車場でのED60の写真。阪和線に集中配備されていた。兄弟機ED61に出会う機会はなかった。
阪和線の貨物列車を牽引するED60-4
1968.8 竜華操車場付近
EF58と客車急行列車
昭和30年代前半の東海道線の花形列車は、31年の全線電化完成を機に登場した特急"つばめ"と"はと"であった。
牽引するEF58、客車ともに淡緑色に塗装され青大将と呼ばれた。最後尾に展望車を連結していた。
名古屋近郊の沿線でその勇姿を何度か見ているが、小学校低学年の頃のことで単なる憧れの存在でしかなかった。
EF58自体は、多くの急行、普通、荷物列車を牽引していたので何時でも見られ、あまり意識して撮っていない。
急行列車にヘッドマークがなかったことが一因でもあり、それ故に記録のない写真の列車名はあやふやである。
名古屋停車中の上り急行"雲仙・西海"のEF58-4
1967.10(推定)名古屋駅
下り急行"能登"を牽引するEF58 10系客車の2等寝台、1等寝台と続く 当時は 急行"大和"を併結していた
"能登"から約30分後、"銀河"が通過した。
下り急行"銀河"を牽引するEF58 荷物車の次位が2等寝台になる直前で2等車を連結、1等寝台が続く
1966.7 東海道線 熱田・名古屋
名古屋に到着した急行"阿蘇"の1等寝台車オロネ10 冷房車で新造された
1965.9 名古屋駅
40年に撮影した東海道線のEF58の写真。牽引していた列車は不詳である。
寝台特急色に塗装されたEF58-154牽引の東海道線上り客車列車(不詳)
EF58-47牽引の東海道線下り旅客列車(不詳) かって青大将塗装されたうちの1機
1965.9 東海道線 熱田・名古屋
ぶどう色塗装のEF58-30牽引の東海道線上り旅客列車(不詳)
1965.12 東海道線 稲沢駅付近
EF58初期型(1~31)はデッキ付で製造されたが、28年以降に改造されている。
名古屋停車中の1号機牽引の東海道線上り旅客列車
1966.1 名古屋駅
名古屋駅構内の光景 EF58-95
1967.12 名古屋駅
35年に製造されたEF60をベースにして、翌36年には旅客専用機関車としてEF61が新造された。
電車化進行の時期と重なったため18両の製造に留まり、あまり見かけることはなかった。
名古屋駅でEF61がEF58と並んで待機していたが、新旧の旅客用機関車が並ぶショットを撮る感性がなかった。
EF58-4は青大将登場を控え試験塗装された1機で、31年発行の東海道全線電化の記念切手に採用されている。
EF58-4
ぶどう色塗装のEF61-3
1967.3 名古屋駅
デッキ付の機関車はまず撮る機会がなかったが、昭和初期の直流電気機関車EF52が阪和線で旅客列車を牽引していた。
EF52-4牽引の阪和線旅客列車
1967.8 天王寺駅
関西発の九州寝台特急"あかつき"
昭和40年10月、新大阪・西鹿児島、長崎間に20系客車を使用した寝台特急"あかつき"が登場した。
新幹線は開業翌年に東京・新大阪間を3時間10分に短縮して本格稼働、在来線も再び大幅にダイヤが改正された。
"あかつき"は関西と九州を結ぶ新幹線乗継列車として新設された。
東海道寝台特急はEF60からEF65ー500番台に置換られ、"あかつき"も東京機関区の同機が担当した。
40年12月、新大阪駅で撮影。早朝でなくても寝台特急が撮れるので有難かった。
新大阪に到着したEF65-509牽引の上り"あかつき"
電源荷物車マニ20-1 マニ20は33年の"あさかぜ"登場時に3両のみが製造された
1965.12 新大阪駅