【あの人でなければ発想できないであろうこと】
この記事(→・生まれることはできなかった命でも。)で私の母や母世代の女性達が口伝してきたと思われる流産・死産の悲しみとの向き合い方を書いてみました。
それと近い話で、これは書いておきたいな~ということを思い出したので記事にしておきます。
(もちろん、出てくる人は特定できないようにフェイクを入れます)
私の母はカウンセラーでも占い師でもありませんでしたが、
「誰にも話せないことを相談される」
ことが多い人だった。
ちょっと話しただけの街の人、友達の友達…そういう人。
相談っていうか、聞く、だけど。
私が子ども(幼稚園生とか、小学校低学年とか?)で、一人で留守番させられない時代に、とある女性から話を聞いてほしいと頼まれたのでしょう。
「子どもが一緒でもいいなら」
ということで二人でとある街のファミレスに行った。
アラサーくらいの女性な記憶ですが、昔は大人っぽいファッションやメイクが流行りだったからもしかして20代前半とかだったのかもしれない。
その女性は
「夫の女遊びが独身時代から全く治らない」
「私は子どもがほしいのに、夫婦関係がないからできようもない」
「何もかも上手くいかない」
「私はただ、愛にあふれたほしい家族がほしいだけなのに」
そんなことをバーッと母に愚痴っていたように思う。
母は優しい人で、いつでもそうなようにその奥さんにも優しくなぐさめて話を聞いていたように思う。
(私はりぼんを読んでいたけど、奥さんの迫力がすごくて子どもながら聞いてしまっていたのだ)
ひととおりなぐさめた後、母はこういった。
「貴女ね、水子さんのことはきちんと供養しているの?」
この人は昔に、今のダンナさんとは別の男性(前に結婚していた人か彼氏だろうけど)との間にできた子どもをおろしていたらしい。
だから
「私は妊娠しやすい体だ、今子どもができない理由はたったひとつ、セックスレスだからだ」
と言っていた。
母はこんな意味のことを言った。
「貴女が今お子さんを産みたいとか、愛ある家庭を持ちたいとか、そんな風に夢を持っているように、私は子どもが命と宿った時点でお子さんにもこの世界でああしたいこうしたいって夢があったと思う。
理由があって、残念だけど今回は産み育てられないと判断して、人為的に命をおろす。
それは、やっぱりもうひとつの命から見たら志が絶たれてしまったように感じるんじゃないかなって私は思う。
私も流産を経験しているから、あなたの選択を責めるつもりはない。
けれど貴女の言うことを聞いていると、水子さんの命…魂をまるで存在してないみたいに扱ってるのが気になる。
水子さんは戸惑っていると思う。
魂なんだよ。
まるで、頑固な便秘がやっと出てせいせいしたみたいな言い草に感じる。
出して終わりじゃないよ。
せめて命日くらいは、水子さんのことを思って、祈って、水子さんの魂が次にいけるように助けてやるべきなんじゃないか」
言われた奥さんはしばらく黙ってて、
「そんなこと…考えたことなかった」
そういったけれど怒ることも泣くこともなく静かに驚いていて、そのあと少し話して
「今日はありがとうございました」
と言って帰っていった。
大人になって思い出してみると、これはあの人(母)じゃないと言えないことだなーと思う。
むしろ、それを聞かせるために彼女(奥さん)の仏さまや守護存在や、あるいは水子さん自身がうちの母との縁をつないだともいえそうだ。
万人に当てはまることじゃない。
けれど彼女にはきっと必要だった言葉。
大人になってから思い出すといっそうあの言葉のもつシリアスな意味を考えるのだ。
親は子どもを自分の所有物のように扱う。
心が幼い人は他人にも自分のように心があるという発想がない。
つながってる問題だと思うのだ。
命が宿るってどういうことなのか…。
男も女もです。
この記事(→・生まれることはできなかった命でも。)で私の母や母世代の女性達が口伝してきたと思われる流産・死産の悲しみとの向き合い方を書いてみました。
それと近い話で、これは書いておきたいな~ということを思い出したので記事にしておきます。
(もちろん、出てくる人は特定できないようにフェイクを入れます)
私の母はカウンセラーでも占い師でもありませんでしたが、
「誰にも話せないことを相談される」
ことが多い人だった。
ちょっと話しただけの街の人、友達の友達…そういう人。
相談っていうか、聞く、だけど。
私が子ども(幼稚園生とか、小学校低学年とか?)で、一人で留守番させられない時代に、とある女性から話を聞いてほしいと頼まれたのでしょう。
「子どもが一緒でもいいなら」
ということで二人でとある街のファミレスに行った。
アラサーくらいの女性な記憶ですが、昔は大人っぽいファッションやメイクが流行りだったからもしかして20代前半とかだったのかもしれない。
その女性は
「夫の女遊びが独身時代から全く治らない」
「私は子どもがほしいのに、夫婦関係がないからできようもない」
「何もかも上手くいかない」
「私はただ、愛にあふれたほしい家族がほしいだけなのに」
そんなことをバーッと母に愚痴っていたように思う。
母は優しい人で、いつでもそうなようにその奥さんにも優しくなぐさめて話を聞いていたように思う。
(私はりぼんを読んでいたけど、奥さんの迫力がすごくて子どもながら聞いてしまっていたのだ)
ひととおりなぐさめた後、母はこういった。
「貴女ね、水子さんのことはきちんと供養しているの?」
この人は昔に、今のダンナさんとは別の男性(前に結婚していた人か彼氏だろうけど)との間にできた子どもをおろしていたらしい。
だから
「私は妊娠しやすい体だ、今子どもができない理由はたったひとつ、セックスレスだからだ」
と言っていた。
母はこんな意味のことを言った。
「貴女が今お子さんを産みたいとか、愛ある家庭を持ちたいとか、そんな風に夢を持っているように、私は子どもが命と宿った時点でお子さんにもこの世界でああしたいこうしたいって夢があったと思う。
理由があって、残念だけど今回は産み育てられないと判断して、人為的に命をおろす。
それは、やっぱりもうひとつの命から見たら志が絶たれてしまったように感じるんじゃないかなって私は思う。
私も流産を経験しているから、あなたの選択を責めるつもりはない。
けれど貴女の言うことを聞いていると、水子さんの命…魂をまるで存在してないみたいに扱ってるのが気になる。
水子さんは戸惑っていると思う。
魂なんだよ。
まるで、頑固な便秘がやっと出てせいせいしたみたいな言い草に感じる。
出して終わりじゃないよ。
せめて命日くらいは、水子さんのことを思って、祈って、水子さんの魂が次にいけるように助けてやるべきなんじゃないか」
言われた奥さんはしばらく黙ってて、
「そんなこと…考えたことなかった」
そういったけれど怒ることも泣くこともなく静かに驚いていて、そのあと少し話して
「今日はありがとうございました」
と言って帰っていった。
大人になって思い出してみると、これはあの人(母)じゃないと言えないことだなーと思う。
むしろ、それを聞かせるために彼女(奥さん)の仏さまや守護存在や、あるいは水子さん自身がうちの母との縁をつないだともいえそうだ。
万人に当てはまることじゃない。
けれど彼女にはきっと必要だった言葉。
大人になってから思い出すといっそうあの言葉のもつシリアスな意味を考えるのだ。
親は子どもを自分の所有物のように扱う。
心が幼い人は他人にも自分のように心があるという発想がない。
つながってる問題だと思うのだ。
命が宿るってどういうことなのか…。
男も女もです。