【幸せなこと、いっぱいあるよ】
誕生日のちょっと前くらいに、
「鳥まりはこの1年、楽しかった?
幸せだった?」
と聞かれた。
迷うことなく
「もちろん、幸せだよ。
皆々様のおかげです」
と答えることができました。
生きてれば、不幸とはいかずとも
「えーっ?!」
ってことは少なからず起こるし、天変地異・政治的なことなど、飲み込まれてしまうことはたくさん。
だから
「幸せでしかない」
って言い方をするのは違うなって思うけど、幸せです。
美女でもカリスマでもセレブでもないけど、幸せはしょっちゅう与えてもらってるし、受け取りにいけてる。
大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』(『源氏物語』を大和さん流に描いたもの)で、若き日の光源氏が当時のお気に入りの恋人・夕顔ちゃんに
「欲がないね、幸せになりたいとは思わないの?」
と聞き
「幸せですもの。
神さまがくださった分だけ幸せでしたわ」
となんとも健気に、けれど神々しくこたえる場面がありました。
夕顔ちゃんはお金持ちじゃないし、誰かの正式な妻として社会的地位が確保されてるわけでもない。
境遇だけだとむしろかわいそうなほどなのですが、与えられる幸せを静かに受け取っては楽しんでいるのです。
自分の心が落ち着いていて、幸せはあるって思えば、実際現実に幸せってあふれているんですよね。
私だってそう。
セレブな生活や世間的認知が幸せだというならその基準にはあてはまらない。
でも、私の生活にも幸せはあふれてる。
まず無事に生きながらえてるのが幸運だし、飢えることなく美味しいもの食べて生きてるもんね。
最近は胃腸を壊すこともなくなり、本当に幸せ。
養生が大事だけど!
【そんなに辛いのなら…】
ちょっと前に、エセスピリチュアル・エセ自己啓発沼に数年ドハマりしていてすごく攻撃的になり
「絶交よ、絶交
あんたたち全員アタシの人生から断捨離してやる~っ!」
(生ある存在に断捨離って言葉使わない方がいいよ。
とても傲慢で、よくないと思う)
ってわけわからんこといって仲間内から
「はい?」
「意味わかんないけど…」
と総好かんを喰らっていた友人がとあるセレモニー(同級生の結婚式)で
「ごめんなさい、私がおかしかった。
また仲良くしてほしいです」
と歩み寄ってきた。
他のコ達はスピリチュアルも自己啓発も全く興味がないので知らないけど、私は多少評判を聞いているので
「あそこは評判悪いからやめておいた方がいいと思うんだけど」
とか
「そんなのスピリチュアルじゃないよ、それは感情まかせの無礼な行為だよ」
…こんな風によせばいいのに言っちゃったもんだから彼女から特に強く当たられたし、あの世界定番の実名顔出しブログ(やめておけ~!)でも
「これ、私のこと言ってんだろうな…」
と散々悪意で書かれまくった。
それを悪く思ったのか、帰りの電車で
「鳥まりには特に迷惑かけたから…これ…」
と菓子折りを渡されました(笑)。
「本当は、ちゃんと5千円くらいする鳥まりの好きなものあげなきゃいけないよね。
でもごめんね、本当にお金なくて、今日の御祝儀も兄に借金して来たんだ。
ドレスも古いやつだし、ヘアメイクも自前。
電車代すら節約したくて、安い路線で来たんだ」
と話され、そこまで手持ちないならいいのに…と思いましたが、これが彼女の誠意だったのでしょう。
「ありがとう」
と受け取りました。
乗り換え駅で
「足疲れたし、ちょっとだけ座って話さない?」
と誘ってホームの椅子に座って、その時二人でこっそり食べた。
長話はしませんでしたが
「スピリチュアルとか○○とか××とかにはまってから、私の人生とんでもない方向に変わっちゃったよ。
みんなが止めてくれたときに、忠告きいておけばよかった。
バカだよね」
んー…君がはまったのはスピリチュアルじゃなくてエセスピリチュアルを語った悪質商法というか、教祖ビジネスというか…。
私もこういう仕事をしているけど、仕事やめろとか、貯金使い果たせとか、ましてや借金しろなんてことぜったい占いでもセッションでも出ないよ。
何重にもお金とるなんて、おかしいじゃん。
クライアントの人生の基盤である生活はどうなるの?
などなど色々言いたいことはありましたが、今言うこともないだろうと彼女の話を聞いていました。
その時印象に残った言葉が
「この〇年間、辛いことばっかりで、いつもワーって叫び出したいくらい辛くて辛くて。
今でもその波はあるけど、ちょっとずつ回数が少なくなってきたよ。
やめなかったら、今も叫んで、今日の結婚式もこれなかったんだろうな。
まだマシってことだよね、これ」
というもの。
「うん、私はそう思うよ」
と答えて、別れましたが、彼女の
「辛いことばっかりで」
「辛くて辛くて」
という言葉…それこそが答えで
「本当の自分の気持ち」
だったんじゃないでしょうか。
私は数回しか読んでいなかったけど(上に書いたとおり悪口っぽいこと小学生みたいなテンションで書かれまくっていたので)、友人のうち一人は彼女のブログをずーっと読んでいて
「いつも支離滅裂なわけわかんない文章で、私はハッピーって毎日書くわりにメンヘラみたいな言葉がまじってて怖い」
と話していたから、違ったわけですよね“こうであってほしい現実”と“自分の気持ち”が。
人生に遅すぎることはありませんから、戻ってこれてよかったねと思います。
でも失ってしまった信頼関係はすぐには修復できませんし、本人のストレスや不安定さもすぐには癒やされないでしょうから…。
うーん、踏みとどまってくれていたらなあ。
正直彼女は心療内科で治療を受けるべき段階までダメージくらってると思うのですが、はたして…。
誕生日のちょっと前くらいに、
「鳥まりはこの1年、楽しかった?
幸せだった?」
と聞かれた。
迷うことなく
「もちろん、幸せだよ。
皆々様のおかげです」
と答えることができました。
生きてれば、不幸とはいかずとも
「えーっ?!」
ってことは少なからず起こるし、天変地異・政治的なことなど、飲み込まれてしまうことはたくさん。
だから
「幸せでしかない」
って言い方をするのは違うなって思うけど、幸せです。
美女でもカリスマでもセレブでもないけど、幸せはしょっちゅう与えてもらってるし、受け取りにいけてる。
大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』(『源氏物語』を大和さん流に描いたもの)で、若き日の光源氏が当時のお気に入りの恋人・夕顔ちゃんに
「欲がないね、幸せになりたいとは思わないの?」
と聞き
「幸せですもの。
神さまがくださった分だけ幸せでしたわ」
となんとも健気に、けれど神々しくこたえる場面がありました。
夕顔ちゃんはお金持ちじゃないし、誰かの正式な妻として社会的地位が確保されてるわけでもない。
境遇だけだとむしろかわいそうなほどなのですが、与えられる幸せを静かに受け取っては楽しんでいるのです。
自分の心が落ち着いていて、幸せはあるって思えば、実際現実に幸せってあふれているんですよね。
私だってそう。
セレブな生活や世間的認知が幸せだというならその基準にはあてはまらない。
でも、私の生活にも幸せはあふれてる。
まず無事に生きながらえてるのが幸運だし、飢えることなく美味しいもの食べて生きてるもんね。
最近は胃腸を壊すこともなくなり、本当に幸せ。
養生が大事だけど!
【そんなに辛いのなら…】
ちょっと前に、エセスピリチュアル・エセ自己啓発沼に数年ドハマりしていてすごく攻撃的になり
「絶交よ、絶交
あんたたち全員アタシの人生から断捨離してやる~っ!」
(生ある存在に断捨離って言葉使わない方がいいよ。
とても傲慢で、よくないと思う)
ってわけわからんこといって仲間内から
「はい?」
「意味わかんないけど…」
と総好かんを喰らっていた友人がとあるセレモニー(同級生の結婚式)で
「ごめんなさい、私がおかしかった。
また仲良くしてほしいです」
と歩み寄ってきた。
他のコ達はスピリチュアルも自己啓発も全く興味がないので知らないけど、私は多少評判を聞いているので
「あそこは評判悪いからやめておいた方がいいと思うんだけど」
とか
「そんなのスピリチュアルじゃないよ、それは感情まかせの無礼な行為だよ」
…こんな風によせばいいのに言っちゃったもんだから彼女から特に強く当たられたし、あの世界定番の実名顔出しブログ(やめておけ~!)でも
「これ、私のこと言ってんだろうな…」
と散々悪意で書かれまくった。
それを悪く思ったのか、帰りの電車で
「鳥まりには特に迷惑かけたから…これ…」
と菓子折りを渡されました(笑)。
「本当は、ちゃんと5千円くらいする鳥まりの好きなものあげなきゃいけないよね。
でもごめんね、本当にお金なくて、今日の御祝儀も兄に借金して来たんだ。
ドレスも古いやつだし、ヘアメイクも自前。
電車代すら節約したくて、安い路線で来たんだ」
と話され、そこまで手持ちないならいいのに…と思いましたが、これが彼女の誠意だったのでしょう。
「ありがとう」
と受け取りました。
乗り換え駅で
「足疲れたし、ちょっとだけ座って話さない?」
と誘ってホームの椅子に座って、その時二人でこっそり食べた。
長話はしませんでしたが
「スピリチュアルとか○○とか××とかにはまってから、私の人生とんでもない方向に変わっちゃったよ。
みんなが止めてくれたときに、忠告きいておけばよかった。
バカだよね」
んー…君がはまったのはスピリチュアルじゃなくてエセスピリチュアルを語った悪質商法というか、教祖ビジネスというか…。
私もこういう仕事をしているけど、仕事やめろとか、貯金使い果たせとか、ましてや借金しろなんてことぜったい占いでもセッションでも出ないよ。
何重にもお金とるなんて、おかしいじゃん。
クライアントの人生の基盤である生活はどうなるの?
などなど色々言いたいことはありましたが、今言うこともないだろうと彼女の話を聞いていました。
その時印象に残った言葉が
「この〇年間、辛いことばっかりで、いつもワーって叫び出したいくらい辛くて辛くて。
今でもその波はあるけど、ちょっとずつ回数が少なくなってきたよ。
やめなかったら、今も叫んで、今日の結婚式もこれなかったんだろうな。
まだマシってことだよね、これ」
というもの。
「うん、私はそう思うよ」
と答えて、別れましたが、彼女の
「辛いことばっかりで」
「辛くて辛くて」
という言葉…それこそが答えで
「本当の自分の気持ち」
だったんじゃないでしょうか。
私は数回しか読んでいなかったけど(上に書いたとおり悪口っぽいこと小学生みたいなテンションで書かれまくっていたので)、友人のうち一人は彼女のブログをずーっと読んでいて
「いつも支離滅裂なわけわかんない文章で、私はハッピーって毎日書くわりにメンヘラみたいな言葉がまじってて怖い」
と話していたから、違ったわけですよね“こうであってほしい現実”と“自分の気持ち”が。
人生に遅すぎることはありませんから、戻ってこれてよかったねと思います。
でも失ってしまった信頼関係はすぐには修復できませんし、本人のストレスや不安定さもすぐには癒やされないでしょうから…。
うーん、踏みとどまってくれていたらなあ。
正直彼女は心療内科で治療を受けるべき段階までダメージくらってると思うのですが、はたして…。