さてさて、昨日の日記で『“第653重駆逐戦車大隊(←これも間違い正解は【重戦車駆逐大隊】です)戦闘記録集”の本文にも記載がない』と書きましたベルゲパンターD型対空戦車でありますが、家に帰って再度確認致しましたら・・・・・同著のP.304にちゃ~んと載っておりました。(^_^;) いやはや大変失礼をば・・・謹んでお詫び申し上げ、訂正させて頂きます。m(_ _)m なお同著には“(T-34対空戦車と)同様の構造を持つ”という記述はございませんでしたので、昨日ご紹介した“重突撃砲 フェルディナント”が新たな見解を示したのは間違いございませんので悪しからず。(^^;
しかしまあ何度も言うようですが、“第653重戦車駆逐・・・”は653フェチにはバイブルのようなものですから、目を皿のようにして何度も読んでたんですけどねえ・・・・読んでいながら全然全然頭に入って無かったというお粗末。 さて、何故こんな重要な部分を読み落としていたかと申しますと、重度の思い込みの原因はこちら↓にございまして・・・
カール.H.ミュンヒの“第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集”が発表されるまでフェルディナンド・エレファントの決定版資料とされておりましたヴァルター.J.シュピールベルガーの“重駆逐戦車(Schwere Jagdpanzer)”に掲載されております1944年6月1日付けの第653大隊の編成表の実物のコピーなんでありますが、少々見辛いので大隊本部指揮分隊の部分を拡大致しますと・・・
御覧の通り、“Ⅳ号戦車の砲塔を搭載したベルゲ・パンター”と1944年5月に配備されたいわゆる“P虎”それに“Sdkfz251”と“T-34対空戦車”は記載されてますが件の“ベルゲパンター対空戦車”の記載は見られず、もう1輌のベルゲパンターはと申しますと全体写真の下から2段目の太枠で囲まれてる整備中隊に改修前のただの“ベルゲパンター”として記載されているのでありますね。
私がシュピールベルガーの“重駆逐戦車”を手に入れてから、ミュンヒの“第653重戦車駆逐・・・”の日本語訳が販売されて即購入するまでの約10年間、見落とし読み落としはないかとボロボロになるまで何度も何度も読み返しておりました編成表がこれでございまして、ご丁寧にキャプションには“第653(重)駆逐大隊(エレファント)は、大戦末期の数カ月、これに準拠する形で作戦行動を行なった。”と書かれておりますんで・・・・まさかこの編成表以上に新しい車輌が加えられたなんて夢にも思わず・・・重度の思い込みに陥ってしまった次第。昨日読み返してみましたらミュンヒの“第653重戦車駆逐・・・”に記載されてる編成表は実物のコピー写真はないものの1944年7月1日付け、やはり新しい資料が発表されたら古い資料の重要な部分は徹底的に比較検討しないといけないなあと改めて実感致しましたですよ。(^^:
で、最後に6月1日と7月1日では大隊本部指揮分隊の編成がどう変わったのかをまとめまして、本日の〆とさせて頂くことに致しましょう。(ちなみにエレファントを配備した戦闘部隊である本部中隊、第二、第三中隊は可動車輛数の変化はあるものの基本の編成は変わりません)
6月1日 ベルゲパンターⅣ号砲塔、P虎、T-34対空戦車、Sdkfz251、各1輌
7月1日 ベルゲパンターⅣ号砲塔、P虎、ベルゲパンター対空、Sdkfz251×2(装甲救急車、無線指揮車)
※7月1日編成では、T-34対空戦車は本部中隊高射砲小隊に配属。改修前のベルゲパンターを有していた整備中隊には回収戦車の補充は無し。
※8月1日の編成表はありませんが、7月1日~7月31日の損害状況でP虎、ベルゲパンターⅣ号・対空、T-34対空・弾薬運搬のキメラ戦車全てと、第二・第三中隊に配備されていたベルゲエレファント、全中隊のSdkfz251の全てが撃破もしくは遺棄され、7月1日に34輌あったエレファントが8月1日にはたった12輌を残すのみとなっていることが記録されています。
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