埼玉芸術劇場の「エレンディラ」最終日
初日の長~い上演時間もかなり短くなって、真夏の暑さもなくなり秋の気配が漂って…
そんな最終日でした。
少し早く行くつもりが、思いの外早く着いてしまって、入り口には人影もなかった(爆)
「チンチョルズ」の演奏を聴きたくて、早めに行ったんですね。
で…
顔見知りの方に演奏の場所を教えてもらいました。
この前の記事にも少し書いたけれど、素朴でほっとする音楽でした。
太鼓が可愛くて。
子供たちが見たら、大喜びするんじゃないだろうか…いや、大人の私でもすごく楽しくてうきうき気分になれました。
言われなくても、付いて行っちゃう(笑)
人間の本能ですね、これは。
昔、ちんどん屋さんとかに付いていったことを思い出しました(爆)
古くてすみません…
ということで…
「エレンディラ」最終日は2階席からの観劇でした。
この前も書いたけれど、とにかく、舞台の広さ、照明の綺麗さ、に圧倒されました。
舞台の奥まで良く見えるので、登場人物がどこから出てくるのか、よくわかりました。
それまでは前方の席だったので、突然現れる、みたいな印象の人もいて…
3幕の国村さんが出てくるところも、舞台奥からだったんですね。
あっきーの位置関係も初めてわかったことも。
照明も綺麗でした。
炎の赤、エレンディラの行列が海に着くところの青、教会のところのステンドグラスの模様、あっきーウリセスの回りの白黒っぽい?模様などなど。
教会の前のエレンディラの行列と僧たちの間の線とかもビビッと入るのがよく見えました。
美波ちゃんが走るサークルも照明のサークルができてた(笑)
マイクは入ってないですよね。でも、よく聞こえてました。台詞が。
音響の良さも素晴らしい。
私はマイクの入らない‘素’の声が好きです。
今はマイクが入るのが普通になってるけど、やはり素の声には力がある。
‘癒し’の力があると思うんです。
ちょっとそれるけど、例えばオペラとかは素の生声で全編歌います。
生オケで生歌です。
その歌力は何者にも替え難い。
そんな‘素’の力がたくさんありました。
エレンディラには。
あっきーウリセス、熱演でした。
私は‘役者’としてのあっきーにはかなり厳しい意見を持ってるけど(苦笑)
でも、彼の全身全霊を込めた役への入り込み方にはいつも感動します。
上手い、下手を超えた‘何か’がある。
技術を超えるもの、というか。
うまくは言えないけど。
結局、その‘何か’に惹かれて彼の舞台を観続けているんだと思います。
最後の
エレンディラ…
は、振り絞るような声でした。
慟哭、というか…
普通の役者さんだったら、もっと綺麗な言い方をするかもしれない。
もっとドラマチックな言い方をするかもしれない。
でも、あっきーのような体の奥底から出てくるようなあの‘声’は出ないと思う。
ただ、あっきーの力の入れ方は舞台役者としては「素人っぽい」気もするので、もう少し自由に体を開放した声の出し方も研究して欲しいなあ…
その「素人っぽさ」が魅力でもある、って面もあるかもしれないけれど、これからのことを考えたら、いつまでも「素人っぽさ」が売りにはならないと思うし。
ところで、今回のエレンディラ、映像も音も残らないのは悲しいです。
せめて、音だけでも、と思うのは私だけではないはず。
普通だったら、ナイマン先生、CDとか出すんじゃないのかなあ?
あっきーの「ウリセス・ソング」やエレンディラとのデュエットとか、挿入歌、挿入曲とか。
おばあちゃんの歌もあったし。
挿入曲の「If」…
神秘的で神々しい…
なんだか、「ジークフリート」のブリュンヒルデの目覚めの時の歌みたいでした。
プログラムにも何の説明も出ていないし。
音楽に関してはちょっと不親切!
と、ちょっぴり怒りモードです(笑)
明日(9月7日)からは名古屋公演ですね。
台風、大丈夫だろうか…
そして、9月14日からは大阪公演。
ハコが違って、どんな変化が出てくるのか…
見届けたい…けど、私のエレンディラはお終いです。
出演者のみなさん、また新しい舞台で頑張ってください。
エレンディラは最高!
エレンディラのいない人生なんて!
またのお越しを!
エレンディラ!
いつかまたどこかで…
初日の長~い上演時間もかなり短くなって、真夏の暑さもなくなり秋の気配が漂って…
そんな最終日でした。
少し早く行くつもりが、思いの外早く着いてしまって、入り口には人影もなかった(爆)
「チンチョルズ」の演奏を聴きたくて、早めに行ったんですね。
で…
顔見知りの方に演奏の場所を教えてもらいました。
この前の記事にも少し書いたけれど、素朴でほっとする音楽でした。
太鼓が可愛くて。
子供たちが見たら、大喜びするんじゃないだろうか…いや、大人の私でもすごく楽しくてうきうき気分になれました。
言われなくても、付いて行っちゃう(笑)
人間の本能ですね、これは。
昔、ちんどん屋さんとかに付いていったことを思い出しました(爆)
古くてすみません…
ということで…
「エレンディラ」最終日は2階席からの観劇でした。
この前も書いたけれど、とにかく、舞台の広さ、照明の綺麗さ、に圧倒されました。
舞台の奥まで良く見えるので、登場人物がどこから出てくるのか、よくわかりました。
それまでは前方の席だったので、突然現れる、みたいな印象の人もいて…
3幕の国村さんが出てくるところも、舞台奥からだったんですね。
あっきーの位置関係も初めてわかったことも。
照明も綺麗でした。
炎の赤、エレンディラの行列が海に着くところの青、教会のところのステンドグラスの模様、あっきーウリセスの回りの白黒っぽい?模様などなど。
教会の前のエレンディラの行列と僧たちの間の線とかもビビッと入るのがよく見えました。
美波ちゃんが走るサークルも照明のサークルができてた(笑)
マイクは入ってないですよね。でも、よく聞こえてました。台詞が。
音響の良さも素晴らしい。
私はマイクの入らない‘素’の声が好きです。
今はマイクが入るのが普通になってるけど、やはり素の声には力がある。
‘癒し’の力があると思うんです。
ちょっとそれるけど、例えばオペラとかは素の生声で全編歌います。
生オケで生歌です。
その歌力は何者にも替え難い。
そんな‘素’の力がたくさんありました。
エレンディラには。
あっきーウリセス、熱演でした。
私は‘役者’としてのあっきーにはかなり厳しい意見を持ってるけど(苦笑)
でも、彼の全身全霊を込めた役への入り込み方にはいつも感動します。
上手い、下手を超えた‘何か’がある。
技術を超えるもの、というか。
うまくは言えないけど。
結局、その‘何か’に惹かれて彼の舞台を観続けているんだと思います。
最後の
エレンディラ…
は、振り絞るような声でした。
慟哭、というか…
普通の役者さんだったら、もっと綺麗な言い方をするかもしれない。
もっとドラマチックな言い方をするかもしれない。
でも、あっきーのような体の奥底から出てくるようなあの‘声’は出ないと思う。
ただ、あっきーの力の入れ方は舞台役者としては「素人っぽい」気もするので、もう少し自由に体を開放した声の出し方も研究して欲しいなあ…
その「素人っぽさ」が魅力でもある、って面もあるかもしれないけれど、これからのことを考えたら、いつまでも「素人っぽさ」が売りにはならないと思うし。
ところで、今回のエレンディラ、映像も音も残らないのは悲しいです。
せめて、音だけでも、と思うのは私だけではないはず。
普通だったら、ナイマン先生、CDとか出すんじゃないのかなあ?
あっきーの「ウリセス・ソング」やエレンディラとのデュエットとか、挿入歌、挿入曲とか。
おばあちゃんの歌もあったし。
挿入曲の「If」…
神秘的で神々しい…
なんだか、「ジークフリート」のブリュンヒルデの目覚めの時の歌みたいでした。
プログラムにも何の説明も出ていないし。
音楽に関してはちょっと不親切!
と、ちょっぴり怒りモードです(笑)
明日(9月7日)からは名古屋公演ですね。
台風、大丈夫だろうか…
そして、9月14日からは大阪公演。
ハコが違って、どんな変化が出てくるのか…
見届けたい…けど、私のエレンディラはお終いです。
出演者のみなさん、また新しい舞台で頑張ってください。
エレンディラは最高!
エレンディラのいない人生なんて!
またのお越しを!
エレンディラ!
いつかまたどこかで…