4/18(日)の朝日新聞に、
「不運を嘆く」のは「覚悟ができていないから」の文章があった。
作家の車谷長吉氏の言。
「覚悟」とは「生きる覚悟」のこと。
氏曰く、
「不運を嘆くのは、虫のいい考えで、考えが甘いのだ、覚悟がないのだ」と。
更に次の様におっしゃる。(以下、ポイントを記事から抜粋)
「世には運・不運があり、それは人間世界が始まった時からのこと」
「不運な人は、不運なりに生きていけばよい」
「この世の苦みを知ったところから真(まこと)の人生は始まる」
「真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人」
「己れの不運を知った人だけが、美しく生きている」
「己れの不運を知ることは、ありがたいこと」
すごいことをおっしゃいますのう!
まことにごもっとも。
反論のしようがない。というか、反論する気が萎える。
あまりにもストレートすぎて。
覚悟ができていない者に、そうおっしゃられてもねぇ。
少し違うかもしれないが、
煙草を吸い、肺癌になってしまって嘆く者に対し、
「肺癌になったのは、煙草を吸ったからだ!」といわれても、
その辺りは本人が一番承知。
それを承知の上で嘆く。
マンガみたいだけれど、それが人間。
そういうのをプアというのよ。
ワタシの様に。
氏は毅然と生きておられ、自身の生き様が背景にあるから、
氏の言は言として通用する。
仮に、同じことをワタシが言ったら、嘲笑を浴びせられたあげくに無視されるだけ。
しかし、世の中、覚悟も何もなく、日々身もだえしながら生きている者も多い(と思う)。
ワタシの様に。
覚悟ができていないのは、人間に欲望があるから。
言うのは簡単だけど、欲望を滅することが如何に難しいか。
お釈迦さんが説かれたときから、解脱した人は何人いるんだろうね?
ワタシの場合は、不運を嘆いても仕方がないから、それはないが(いや、少ないが)、
ただただ、オノレの能力のナサを嘆くのみ。
もっとも、車谷氏なら(上にならうと)次の様におっしゃるかも。
「世には利口もアホもいて、それは人間世界が始まった時からのこと」
「アホな者は、アホなりに生きていけばよい」
「自身がアホであることを知ったところから真(まこと)の人生は始まる」
「真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人」
「己れのアホを知った人だけが、美しく生きている」
「己れのアホを知ることは、ありがたいこと」
そうか、ワタシは美しく生きているのか!
しかし、美しく生きるのは結構であるが、
ワタシにとっては、今日を、そして明日をどうやって食うかが先決なんだけど。。。
そして、雀の涙、蚊のナミダほどの夢と希望を何とかしたいんだけど。。。
なんて書くと、「まだ自身のアホさ加減が判っていない!」と、氏に大喝をくらいそう。
「一からやり直せ」と。
ワタシも、できるものなら、そうしたいんだけどね。
一からではなくゼロから。
【注 そして 後記】
本文は、車谷氏の茶化しではなく、オマージュです。
ワタシは、氏の背筋がピシと張った生き様を尊敬すると同時に、
とても自分にはできないなあ、という思いを呼びおこされる。
下に記した氏のアウトラインを見ただけでも、ハンパではないことが判る。
何ごとも、中途ハンパはあかんのです。ワタシの様に。
これを読んだ、あなた。
あんさんは生きる覚悟ができてはる? 口先だけじゃあダメでっせ。
【参考】(Wikipedia より)
車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)氏
1945年生、「反時代的毒虫」としての「私小説家」を標榜する異色の作家。
夫人は詩人の高橋順子氏。
播州地方の方言を使った民衆言語で書く下層庶民的な生活実感は、近代と自己に疑問を投げかけている。
『赤目四十八瀧心中未遂』で第119回(1998年上半期)直木賞を受賞。
伊藤整が嫌いという理由で、同作による1998年の伊藤整文学賞の小説部門の受賞を拒否。
「不運を嘆く」のは「覚悟ができていないから」の文章があった。
作家の車谷長吉氏の言。
「覚悟」とは「生きる覚悟」のこと。
氏曰く、
「不運を嘆くのは、虫のいい考えで、考えが甘いのだ、覚悟がないのだ」と。
更に次の様におっしゃる。(以下、ポイントを記事から抜粋)
「世には運・不運があり、それは人間世界が始まった時からのこと」
「不運な人は、不運なりに生きていけばよい」
「この世の苦みを知ったところから真(まこと)の人生は始まる」
「真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人」
「己れの不運を知った人だけが、美しく生きている」
「己れの不運を知ることは、ありがたいこと」
すごいことをおっしゃいますのう!
まことにごもっとも。
反論のしようがない。というか、反論する気が萎える。
あまりにもストレートすぎて。
覚悟ができていない者に、そうおっしゃられてもねぇ。
少し違うかもしれないが、
煙草を吸い、肺癌になってしまって嘆く者に対し、
「肺癌になったのは、煙草を吸ったからだ!」といわれても、
その辺りは本人が一番承知。
それを承知の上で嘆く。
マンガみたいだけれど、それが人間。
そういうのをプアというのよ。
ワタシの様に。
氏は毅然と生きておられ、自身の生き様が背景にあるから、
氏の言は言として通用する。
仮に、同じことをワタシが言ったら、嘲笑を浴びせられたあげくに無視されるだけ。
しかし、世の中、覚悟も何もなく、日々身もだえしながら生きている者も多い(と思う)。
ワタシの様に。
覚悟ができていないのは、人間に欲望があるから。
言うのは簡単だけど、欲望を滅することが如何に難しいか。
お釈迦さんが説かれたときから、解脱した人は何人いるんだろうね?
ワタシの場合は、不運を嘆いても仕方がないから、それはないが(いや、少ないが)、
ただただ、オノレの能力のナサを嘆くのみ。
もっとも、車谷氏なら(上にならうと)次の様におっしゃるかも。
「世には利口もアホもいて、それは人間世界が始まった時からのこと」
「アホな者は、アホなりに生きていけばよい」
「自身がアホであることを知ったところから真(まこと)の人生は始まる」
「真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人」
「己れのアホを知った人だけが、美しく生きている」
「己れのアホを知ることは、ありがたいこと」
そうか、ワタシは美しく生きているのか!
しかし、美しく生きるのは結構であるが、
ワタシにとっては、今日を、そして明日をどうやって食うかが先決なんだけど。。。
そして、雀の涙、蚊のナミダほどの夢と希望を何とかしたいんだけど。。。
なんて書くと、「まだ自身のアホさ加減が判っていない!」と、氏に大喝をくらいそう。

「一からやり直せ」と。
ワタシも、できるものなら、そうしたいんだけどね。
一からではなくゼロから。
【注 そして 後記】
本文は、車谷氏の茶化しではなく、オマージュです。
ワタシは、氏の背筋がピシと張った生き様を尊敬すると同時に、
とても自分にはできないなあ、という思いを呼びおこされる。
下に記した氏のアウトラインを見ただけでも、ハンパではないことが判る。
何ごとも、中途ハンパはあかんのです。ワタシの様に。
これを読んだ、あなた。
あんさんは生きる覚悟ができてはる? 口先だけじゃあダメでっせ。
【参考】(Wikipedia より)
車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)氏
1945年生、「反時代的毒虫」としての「私小説家」を標榜する異色の作家。
夫人は詩人の高橋順子氏。
播州地方の方言を使った民衆言語で書く下層庶民的な生活実感は、近代と自己に疑問を投げかけている。
『赤目四十八瀧心中未遂』で第119回(1998年上半期)直木賞を受賞。
伊藤整が嫌いという理由で、同作による1998年の伊藤整文学賞の小説部門の受賞を拒否。