陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

わたり 或いは 吸血鬼

2009-01-31 17:02:07 | Weblog
「わたり」が問題になっている。

わたり-『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
「公務員に、実際の職務の内容に当てはまる給与表の級よりも上位の級の給与を支給すること。」とある。

今、国会でとりあげているのは「渡り」で、
これは官僚OBが天下りを繰り返し、法外な報酬と退職金を何度もフトコロに入れる行為をいう。
その「渡り」のあっせんを認めた政令の撤回要求(渡りの全面禁止、民主党)に対し、
アソウ首相は、官僚の意向を踏まえ、「法律の誠実な執行のために必要」として、拒否している。
(政令の撤廃には応じないが、自身の在任中は、運用であっせんを認めないとのこと。)

このことだけでも、アソウや自民党の真の姿があぶり出されている。

役人天国-日本で、上の二つの「わたり」は昔から続けられている。
後者に対する弁解として言われるのが「優秀な官僚を活用しないのは社会の損失」の言。

そうねえ。
前半は正しい。-「国民をだますのに優秀」であることは論を待たない。
後半も正しい。-「役人社会の損失」なんだろうねぇ。
これをつなぐと、
国民をだますのに優秀な官僚を活用しないのは、役人社会の損失
となる。

「だます」の表現に異論があるなら、
「正しい見通しと、それによる政策の立案・運営ができない」と言い換えよう。

ホントウに優秀なら、あっせんなどしなくても、次の職など簡単にみつかるんじゃあないの?
仕事は見つかっても処遇が問題?
そりゃあそうだよね。
「個室+秘書+(運転手つき)専用車+高給+数年で数千万円の退職金」なんて、
職安の求人にある訳がない。
世間ではありえないものを求める、あるいはそれを当然と思うココロが、問題。
その証拠に、わたりの経験者は、誰も(マスコミ等を通じて)顔を出さないじゃあないの。

つまりは、学校時代のマーク塗りつぶしがよくでき、
役所に入った後は出世競争で(一定以上のところに)勝ち残った者たちだろうから、
そういう面では「優秀」なんだろうね。
役人は何をなすべきか、何をしたかの本質的な能力や評価ではなく。
理想をかかげてスタートした者は、役人社会の現実に幻滅して、途中で辞めてゆく。
辞めない者は、たとえ最初は新鮮なリンゴでも、腐ったリンゴの中に入れると腐る理。
従って、渡りの対象となる者たちは、全員「そういう者たち」と言ってよい。

「そういう者たち」とは?
かってのブログにも書いたが、言うまでもなく「人間の仮面をかぶった吸血鬼」ですよ。
そこまでゆかない(キャリア組ではない中・初級の)公務員は、落穂拾いの「寄生虫」。
この辺りの構図は、役人相互の利害がからんで強固な体制となっている。

これをどう崩すか?
崩せないと、日本の明日はない。
日本のガン。その名は役人。

「渡りのあっせんは撤廃」-当然のこと。
退職後も働く場合は、職安に行くべき。
抜け道や、その対策もいろいろあるだろうけど、先ずは制度を撤廃し、あっせんしないこと。

こういう制度、慣行、政府の姿勢が、世の中の活力をそぐんだよね。
アソウさんや。 名を残したいなら、今の考え方を変えた方がいいよ。
名を残す政治家は、悪しき制度・慣行をなくした人なんだから。
漢字が読めようが、読めなかろうが、そんなことはどうでもよくて、政治姿勢がキチンとしていればいいんですよ。
支持率が低迷しているのは、そういう姿勢、つまり自分自身が原因だということが分かってる?
何? 官僚の意向は無視できない?
何度も言うが、そんなことだからダメなんですよ。さっさと辞めたらどう?
何? 後がいないからモリ氏が辞めさせてくれない?
ホントウにダメな人だねえ。 
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不思議な世界遺産

2009-01-30 08:48:49 | Weblog
昨日の新聞で、アソウ首相の所信表明演説を揶揄した記事があった。

新聞を読むに、
オバマの就任演説は全文を読み、
アソウの演説はページごととばして読むオヤジ の話し。

ワタシだけじゃあ、ないんだね。
みんな同じらしい。

ところで、世界遺産、これはみなさんどう思っているんでしょうね?
- 「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づき、
人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ不動産(遺跡や景観、自然など)を指す、 のだそうな。

遺産の保護が目的だから、勿論のこと悪いわけではないのだが、
しかし、実態は、観光産業の目玉目的になっている様に思えてならないのはワタシだけ?
何ごとも、タテマエとホンネがあるのは世の理ではあるが、
観光化に拍車がかかり、結果として遺産の破壊につながっているとすれば、
何をかいわんという気がする。
(もし1000年後に人間の世界があるとして)その1000年後の人間は何と言うだろう?
20~21世紀の人間は、それまでの遺産を地球規模でカネにする仕組みを作り、
遺産を食いつくして台無しにしてしまった強欲なアホばかりがいた、
とでも言うんじゃあない?

世界遺産だけの話しではない。
世界各地の踊りなども観光化し、観光のための踊りになっている例も多い。
その民族の魂が、金を稼ぐ手段になる。その結果、民族の人心が次第にすさんでゆく。
そんな踊りって何なの? とも思う。

あるいは、山の愛好者が山に登る、
大変結構なことだが、その結果として山を汚しているとすれば、山好きとは何? ということになる。
本当に山が好きなら、山に登らないことがベストだと思うけど。
勿論、皆が皆、汚している訳ではないだろうが。。。

オリンピックも同じ。
本来の目的から遠く外れ、国威発揚、景気振興、利権でふんぞり返ったIOC委員など、
何だか、仮面をかぶったカネ亡者どもにしてやられていると思わない?

話しが世界遺産に戻って、「普遍的価値」は大事かもしれないけど、
「普遍的でないもの」は、もっと大事なんじゃあないかと思うけどね。

世の中、理解しがたいことがたくさんありますなぁ。 
マ、おかしなことが蔓延している、それが世の中というものですかな。
今の世、一見それらしきコトをいうヤカラには要注意!
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プア3-(4) 覚悟をする時代

2009-01-25 09:30:44 | Weblog
プア3では、今がどういう時代なのかをザッとなでてきた。
ワタシやあなたが何故にプアなのか(失礼、あなたは違うか?)、これからどうすべきかを考えるため。

しかし、これからの世界を生きてゆくのは、どう考えても、しんどい。
「もっとポジティブに」という声も出るだろうが、その考え方は、もはや石器時代のものの様に思える。

そうは言っても「どうしよう」と嘆くだけでは仕方がない。
覚悟を決め、世の中がどうなろうが、自分で生き抜くしかない。

「覚悟」とは?
先ずは、政治や行政に、根拠なき楽観を期待しないこと。
期待しないどころか、むしろ未来に立ちふさがる邪魔ものと考えた方が良い。
彼らは、どうということがないものまで、ひねくり回して変な形にしてしまう。
期待は必ず裏切られる。
典型的な一例をあげれば、年金制度など、アテにしないこと。
勿論、既に殆どの人がそう思っているだろうけど、「覚悟」の段階までには至っていない、と思われる。
若い人は(若い人に限らないけど)、将来、生活するに足る年金が得られるなどと思ってはならない。
そんなことは夢の中の、そのまた夢の中の夢。
ワタシが言わなくても、先刻承知ですね?
あるいは、報道によると、社会保障システムの維持・充実には消費税率アップもやむなし、との人が多いとのこと。
ワタシもあなたも甘いんだよね。
消費税を上げようと、上げまいと、危機の進行度が若干違うだけで、危機の本質は変わらない。

今、各国で、経済・金融危機対策、需要喚起策として、予算のばら撒きが始まっている。
勿論、その考え方自体が間違っているわけではないが、使途とバランスが問題。
その舵取りを間違うと、ツケを先送りするだけで、タコ配と同じになる。
いいところを先食いし、膨大な赤字を次の代に持ち越すだけ。

グリーン・ニューディール?
かっての世界大恐慌のとき、米国のニューディール政策が効を奏したと思っている方、
とんでもない話ですよ!
何? 教科書にそう書いてあった?
ワハハだねぇ。
文部省(今は文部科学省か)の手が入った検定教科書なんぞ、鵜呑みにしてはダメですよ。
確かに、一時、景気回復の兆しは現れたが、その後、米国経済は更に危機的な状況に陥り、
第二次世界大戦による軍需の興隆でやっと景気が回復した。
(↑ 今に至るも、アメリカが戦争をやりたがる理由、そのさわり。)
つまり、ニューディールの効果はなかったと理解するのが正しい。
効果ゼロではないけれど、投入した膨大な予算に見合う成果はなかった、ということ。
強制的に需要を作り出すには予算の裏づけが不可欠であり、それは次代の負担になる、
そんなことは当たり前のことだよね。
朝三暮四は昔のたとえ話ではない。
景気づけの酒も、度をこすと次の日に二日酔いで苦しむのと同じ。

一方、グリーン・ニューディールの根源が、浪費社会からの決別を指すなら話は別。
米国社会を大きく変える可能性がある。
その場合は、米国の浪費に依存する日本や中国経済は大きな影響を受ける。
つまり、米国の自給自足化の流れは、閉じこもり世界を加速する。
それが何を意味するか。

さてさて、
これからのオバマの政策が、吉とでるか、凶とでるか。
(なお、グリーン・ニューディールは国連から出た言葉で、オバマの独創ではない。)

他国はともあれ、
あなたは、それらの舵取りを、今の日本の政治家や役人にまかせられますか?
ワタシなぞ、まっぴら御免だね。
まだ、何もしない方が良い。
仮に政権が変わっても、官僚構造を根絶やしにしないと変わらない。
真の「癌細胞」は、そこにあるのだから。
もっとも、一人ブログでほざいても、世の中何も変わらないけど。

次に、世の中がどうなっても、何とか生きる手だてを講じること。
「どうなっても」とは、食料危機、エネルギー危機、地球の熱球化などで、
加えて、それに連動する社会秩序の緩み&崩落。

一番の課題は食料。
誰がみても、遠からず食料危機が訪れる。
日本では少子化が問題とされるが、世界の人口増加に食料供給が追いつかない。
仮に、バイオなどの技術の力で増産を可能としても、安全性に不安は残る。
気候変動が追い討ちをかける。
自給自足体制が望ましいが、一次産業に従事すればともかく、そうでなければ難しい。
この問題は、個人レベルでは解決不能。
せいぜい、少量少品種で満足する食生活を今から心がけるくらいか?

次いで健康(&体力)。
人為による医療システム、医療水準の低下が進む。
人為とは、行政の無能&怠慢と医師界のていたらく。
不安定化する医療を極力利用しないですむ様、健康に気をつけ、体力をつける。
このため、クルマの利用は避け(業務用を除く)、極力歩く、また公共交通を利用する。

子供たちの教育も然り。
公的学校教育なぞ、期待してはならない。
せいぜい、ないよりマシ程度に考えるべし。
公立の学校には通わせないのが一番だが、実際にはそうもゆかない。
困った。
自力で、ジャングルや凍土でも生き残れる「しぶとさ」と、食料を得る一次産業のノウハウを身につけさせること。
その様に心がける。

そして、生き方、つまり生活の姿勢。
どんな仕事につこうとも、足るを知り、質素に生きる。
間違っても、投資などはしない(他力をアテにしない、という意)。
国債や他国の財務省証券など、もってのほか。
紙キレを後生大事に持っていても仕方がない。

その様に考えてゆくと、これからはプアマン&プアウーマンの時代。
失うものがないから。
プアであることを自覚し、プアに徹して生きる者が適者となる。
ワタシなぞ、気力&体力の衰えを除けば、立派な適者。
若ければ、ルンルンと、今のこのどうしようもない世を謳歌したい気分。。。
やせ蛙 よくぞ衰亡の時代に生まれけり、と。 

ワタシは、昔、一日に千里を走る馬を探した。昔ではない。つい最近まで。
自分の足は牛歩でも、その尻尾につかまれば、ワタシも千里を走ることになると思った。
実際には、そんな馬はいなかった。
どこかにいるかも知れないけど、見つけられなかった。
視力と嗅覚に欠陥があるのかも知れない。ついでにアタマも。
17年探して見つからないのだから、これからも見つけられないだろう。
とどのつまり、そんな馬は世にいない、と考えざるを得ない。
今頃、アラカンになって気づくとは何というアホかと、人は言うだろう。
言われても仕方がない。
ワタシがプアである所以はここなんだよね。
そんなことをしている間に、人は万里の先に進み、ワタシは出発点からまだ30㎝。
結局、自分の足で一日1里を歩くしかない、と最近やっと分かりかけてきた。
歩けなくなれば、びっこ足を引きずりながら一日10mでも歩く。

坂の上の雲を目指して坂を上っても、依然として雲には手が届かない。
とすれば、雲を雲として、手が届かないものと考えるしかない。
そういう覚悟で、一日1里を、ダメでも10mを歩く。
一日1里で十分というのが、今、そしてこれからの衰亡の時代にふさわしい価値観。
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カラオケ

2009-01-24 10:46:45 | Weblog
昨夜は、職場の「仕事の打ち上げ&新年会」。
於:(新橋の)イタリアレストランのカラオケボックス。

若い人は、いろいろな曲をよく知っている+それなりにうまい。
うたう歌で、その人なりの好みや人柄が、そこはかとなく分かる(様な気がする)。

ワタシ?
勿論、ヘタを承知で、生き恥をさらしていますよ。
普段は、それなりの顔をしている様に見えたとしても、本当はこんなにアホなのよと。
生きることは恥をさらすこと。
なあんちゃって、カラオケどころか、日々それを痛感させられながら生きております。
トシをとると、それが普通になってしまった。

数少ない知っている曲は昔のものばかりで、探して「該当なし」も多い。
そのため「あの頃」から探す。
誰が考えたのか、この「あの頃」からの切り口は面白い。
ワタシの様な者には助かる。

昨今、カラオケも(昔と比べると)下火らしい。
著作権使用料の配分も低水準になっているんだろうか?
なんてことは、後で思うこと。

帰路、飲酒運転の検問をやっていた。
昨日は、念のため、バイクを止めて自転車にしたのだが、正解でした。ザマアミロ。
本当は、自転車でもダメなんだろうけど。  
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なあんだ

2009-01-23 08:48:38 | Weblog
オバマの就任演説は、スピーチライターが全文を書いたものだそうな。
なあんだ。

演説文は、多くは予想される内容が多いため、だいたい途中で飽きて放り出すが、
今回の演説文は、1/21の夕刊で全部読んだ。
この種のものを終わりまで読んだのは、生まれてはじめて。
けれど、この演説は、人の原稿を読んだだけなんだ(勿論、事前チェックはしているだろうけど)。

就任演説原稿くらいは、自分で書いて語って欲しいもの。
忙しいのは分かるけど。

***********************************

「チェ/28歳の革命」
- 朝日新聞の1/22夕刊で、ゲバラの映画の評を読んだ(「チェ」に重ねる思い)。
このゲバラの映画を観るのは、アラカン+30代以下の若者とのこと。

但し、朝日によると、若者が観る理由として、
・理想主義に興味があった
・ポスターが格好良かった   など。
ゲバラについてのアンケートでは、
「よく知っていた」は3割で、大半は名前や顔を知っている程度とのこと。

過日、映画館へ行ったとき、若者が多いことに少し感心したが、
なあんだ。

同じ記事の中で、作家の三好徹氏が、映画に不満と語っている。
-「裕福なアルゼンチン人のゲバラがキューバで戦った理由など、彼のロマンチシズムが描かれていない」
ワタシも同感。
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オバマ

2009-01-21 08:47:43 | Weblog
バラク・オバマが米国大統領に就任。
就任式に200万人が集まったという。
期待感が大きいんだろうねぇ。
どうしようもないブッシュの後+初めての黒人大統領ということだから、当然でもある。

しかし、「歴史的瞬間」という言葉があふれているが、どうなんでしょうね。
黒人にとって記念日ではあるだろうけど、「歴史的」かどうかはこれからのこと。
歴史的なことは儀式からは生まれず、日常の些細なことの中から生まれる。
かつ、多くは後から振りかえって「歴史的」と分かる。

あまりはしゃぎ過ぎる、期待感が先行し過ぎると、失望も大きいよ。
列車でワシントン入りしたり、宣誓にリンカーンが使った聖書を使ったりと、
かっての偉人をなぞっているが、感心しない。
偉人との二重写しでバックのなさをカバーし、加えて決意のほどを知らしめているんだろうが、
自分の考えで、自分の言葉で、自分流に動いた方がいいと思うけどね。

経済危機、イラク&アフガンと、難問が山積。
グリーン・ニューディールなどと言っているが、ケインズ流を追いすぎると危険だよ。
また、軍産複合体のコントロールを間違うと命取りだからね。

いずれにせよ、これからが問題。
がんばってちょうだい。 
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プア3-(3) ゆで蛙への道

2009-01-19 08:56:18 | Weblog
今の時代を正常と考える人は殆どいないだろう。
世の中、へそ曲がりもいるから100%ではないだろうが、かなりの人が、何かおかしいと考えている。
- どこか狂った社会、狂った時代。
環境も食料も、地球は正直に人間社会に対して「こだま」としてかえしてくる。
自分がまいたタネ。
自業自得。
すべからく因果応報。

社会や組織がおかしくなるとき、
殆んどは内部要因による。それは歴史の教訓。

今を、
ある人は、まだ修復可能と考え、
他の人は、もう終焉への道まっしぐらと言い、
別の人は、どうにもならないから関係ないやとそっぽを向き、
ワタシは、プアだから知りませんとうそぶく。

こういうとき、ペテン師はどうするか?
勿論、さも希望があるかの様なことを言うか、逆にもう希望はないと脅すか、
どちらかに決まっている。

政治家はどうするか?
勿論、自分に票を投ずれば、世の中が明るくなると言うに決まっている。
そして、その後は成りゆきまかせ。

役人はどうするか?
勿論、問題の解明や、いろいろな対策を練っている「そぶり」をする。
自分が任にある期間だけは平穏無事にと。

ワタシなぞ、どうしよう? と、オロオロするだけ。
どなたか何とかしてください、と。

戦後、敗者として、連合国、特にアメリカのリードで再出発をした。
途中をはしょって言うと、アメリカが敷いた線路をがむしゃらに走っただけで、
日本として、本当の意味で自身で考え、自分自身の線路を引いてこなかったのではないか?
その意味では、戦後はまだ終わっていない。
正しくは、終わらせていない。
戦争を直接知る人がどんどん少なくなってゆくのに。。。
日本人自身のタイマン。

いや、待てよ。それだけか?
敗戦で焼け野原になった、そこに至った理由、原因は何だ?
明治の、欧米に追いつけ、追い越せ、富国強兵路線は、あれでよかったのか?
坂の上の雲は、何だったのか?
坂の上に見たものは、幻、蜃気楼ではなかったか?
そもそも、明治維新はあれでよかったのか?
その場しのぎの対処療法で終わらせないためには、そこまで遡る必要がある。

そもそもを論じるとき、人は、いろいろ言うだろう。
右の者も左の者も、「かくあるべし」と。
しかし、そうした屁理屈を言うだけでは何も進まず、袋小路に入る可能性大。
より具体的に見えるモデルがあれば分かり易い。

20年程前から、ある国が注目を集めている。
ワタシも、興味をもっている。
独自の文化と伝統を守ることを国是とし、欧米文化は取り入れない(今はインターネットはOKみたい)。
従って、物質文化は遅れている。農業国。
だからどうしたの? というより、それで良いのだ、という国。

それは、ブータン。
例の「Gross National Happiness」を唱える国ですよ。
ワタシは行ったことがないが、非常に面白い国、社会の様に思える。
今、日本は(世界もそうだが)、端的な話、ブータンなのか、今の延長線なのか、の選択をすべきではないかと思われる。
さて、どちらを選ぶ?
国情が違う云々は、瑣末な話。

有名な話がある。
1989年、昭和天皇の大喪の礼に参列するため当時のブータン国王が来日した。
当時は、日本経済も(うわべだけ)調子がよく、来日した各国首脳は日本からの経済協力を得るべく葬儀外交を行った。
一人、ブータン国王は一切の「葬儀外交」を行わず帰国。
新聞記者が理由を尋ねると、国王は「天皇への弔意で来たのであり、金を無心しに来たのではありません」と答えた、とのこと。

当時、驚いた!
そういう国がまだあるんだ、と。
自給自足、それでいいんじゃあないの?
むしろ、そうあるべきでは?
サッカーのランキングが世界のビリでも、別にそれでいいんじゃあないの?

もっとも、ブータンは、ワタシが賛成しかねる政策を一つだけとっている。
禁煙国家で、煙草の販売は禁止、持ち込みは高い関税をとるという。
行きたいが、行けない。
ビザの取得が困難&旅行費用が高いという理由もあるけど。
おぉ、本質とは何の関係もないところでごねるとは、なんとプアな発想よ。  
やはり、ワタシは南のダン吉王国(2008年11月30日 プアについて(4)参照)しかないのか?

それはともかく、日本のみならず世界中で、今までの価値観を大転回しないと、行き詰るよ、ということ。
既に、行き詰まりは誰の目にも見えている。
かって、ワタシはそれを中国に期待した。
改革開放政策の前の文化大革命のころ。
資本主義でもない、共産主義でもない第三の道の構築を。
現実には、社会主義という冠をかぶった、資本主義以上の資本主義「亡者」になっている。
天安門事件の頃から狂ってしまった。
もう、あの国には第二革命しか未来はない様に思える。
もっとも、その前に世界が終焉を迎えるから、第二革命も無意味か。

もし、ブータンを選ばないなら、新しいモデルを自分で作るしかない。
今の延長線上に、もはや先はないんだから。
世界を変える大思想とそれに基づくモデルを構築する、そして徹底的にやりなおすこと。
もう残された時間は多くない。

ぬるま湯に慣れると、もうそこから出られないのが人間。
「ゆで蛙」への道まっしぐら。 
さあ、どうする?
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プア3-(2) ボタンのかけ違え?

2009-01-17 14:53:01 | Weblog
昭和30年代、40年代を振り返れば、
人間が労働力として、地方から都市へ流れ、どんどん地方が疲弊してゆく。過疎化が始まる。
地方でも工場ができ、一次産業から人が流入する。公害が多発する。
別の見方をすれば、地方の犠牲の上に都市生活が向上した時代で、
それを都市の側から見たのが(世でいう)「夢があった時代」。
戦後から今に至る道のりが本格化する時代。
このブログでいう「中流貧民」の時代の始まり。

世では、中間層が形成される時代だというが、それは貧民層の拡大の時代。
更に言うと、老人を邪魔者扱いする社会の始まりでもある。
また、換言すれば、貧困な生き方、貧困な社会、つまり「プア」の始まり。
今の時代は、その流れの果て。

日本の昭和30年代、40年代は、正に今の中国と同じ。
諸子は今の中国を見てどう思いますか?
「夢がある社会、時代」だと思いますか?
中国人が、数十年後に今を振り返るとすれば、今の中国に古きよき時代の匂いや夢を感じるでしょうかねぇ?
確かに勢いはある。様々な矛盾をまき散らかしながら猛スピードで走る勢いは。
ただ、その行くつく先は何なの?
世界の食料を食いつくし、資源をあさり、自分の欲望を満たすために、ただただ走る。
そうした時代が、夢の時代だろうか?
勿論、古きよき時代であって欲しい、欲しかったという願望はあると思う。
アメリカ人が、1950年代を想起するのと同じ。

つまり、「今はダメだ」、「昔はよかった」ではなく、
「こんな筈じゃあなかった」という感覚が正しいと思われる。
みんなが豊かで幸福な社会を目指した筈が、こんな風になってしまった。
あれ? これでよかったんだろうか?
それを目指したあの時代は何だったんだろう? - という感覚。
 
みんなが何かを目指したあの時代は「よかった」では済まされない。
頑張ったのは確かだが、その頑張りは何だったのか?

幕末の志士が、倒幕後の明治をどう思ったか、
太平洋戦争を命がけで闘い、生き残った人が、今の時代をどう思っているか、
に似ている。
「こんな社会になるなんて、何かおかしい、何か違う」という感覚。
大変無礼な表現だが、倒幕の過程で倒れた志士、日清・日露・太平洋戦争で死んだ人は幸いだった。
その後のおかしな世界を見ずに済んだから。
もっとも、あの世があるとすれば嘆いているだろうけど。

新しくできてた社会に適応できるものと、できない者、それが「プア」の根源。
また、非適応者=プアを受け入れない、廃除するのが、今の社会のルール。
勝ち組、負け組なんて言葉がそれを象徴している。

社会としては、適応できない者を廃除したり、無理やり適応させるのだろうが、
もし、その社会そのものが狂っているとすれば、むしろ非適応者の方が正常。
こんな筈ではない。
どこかでボタンをかけ違えてしまったのでは?

どこかで?
ひょっとすると、一番最初の出発点からじゃあないの?
いや、ボタン穴もさることながら、手にしたボタンそのものも間違えたのでは?
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定年&還暦

2009-01-15 08:55:24 | Weblog
昨夜、高校時代のクラスメートのNKJが上京するとのことで、東京にいる者が集まった。八重洲の居酒屋。
NKJとは、卒業以来。
ワタシはこうした集まりに殆ど出席できていないため、他の参集メンバーとも久しぶりの顔見世。

新年度の4月から、みんな順次定年&還暦を迎える。
いつの間にか、そういう年代になってしまった。
話題は、(こうした年代に)おきまりの体調と昔話しに加え、定年後のことも。
今は再雇用制度があるとはいえ、役員の者を除き、第一線を引き、処遇も変わる。
継続して働く者、早く完全リタイアしたいと言う者、何も決めていない者など、それぞれ。

共通認識は、60歳から&65歳からの年金の見込み額が想像以上に低いこと。
KRDは、社保庁からの通知を見て、年額を月額かと思ったとのこと。
こんな額が年金とは聞いてあきれる、との言。
ワタシの仕事の中でも、十人が十人、同じことをいう。
年金制度なぞ、アテにすると大変なことになる。
(【注】上の表現は民間人の話で、「公務員を除く」が正しい。彼らは左ウチワだから。寄生虫たる所以。)

昔話しの中で、自分がすっかり忘れていたことを思い出させられたり、
聞いても思い出せないことなど、
すっかり今は昔。 
そして、昔は今。
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チェ/28歳の革命

2009-01-12 19:37:06 | Weblog
「チェ/28歳の革命」を見た。
いい映画だと思うが、若干気になった点があった。

(1)さらっと触れてはいたが、なぜ革命なのかの掘り下げが足りない。
もっとも、アメリカ資本が商業的に作った映画だから、その部分を期待する方がおかしいのだが。。。

(2)革命が成功した後のゲバラの国連演説及びその前後の記者のインタビュー、
それと対比させる形で革命過程の映像を交互にもってくる構成、
よくある手法(何という名前か忘れた)だが、少し分りづらい。

そうは言いつつ、ゲバラの一端に触れただけで、今日はハッピー。

******
同世代のアラカン(注)もいたが、入場者は、想像以上に若い人が多かった。
しかし、若い人の多くが売店でポップコーンを買い、ポリポリ食いながら観る態度には驚いた。
娯楽映画じゃあないんだから(少なくともワタシにとっては)、どうなんでしょうね。
どうも、その辺りの感覚がよくワカラン。

(注)アラカン
家内から聞いたのだが、最近広まっている言葉らしい。
嵐勘十郎がどうかしたのかと思ったら、アラフォーをもじったアラウンド還暦とのこと。
まいったね。

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久しく映画を観ていないので、知らなかったのだが、
全席が指定席(マリオンの日劇3)で、前売券を買っていても座席指定をしないといけない様になっていた。
上映開始時間の少し前に行ったら、要座席指定とのことで、カウンターで頼んだら、もういい席は空いていなかった。
結果、前から3列目の左から2番目の席。
要するに、スクリーンに前すぎて、かつ片側すぎて、非常に見にくい席。
見えることは見えるが、映像が歪んだ感じ。
次の「チェ/39歳別れの手紙」のときは、一度行って予約し、出直した方がよさそう。
確実に座れるんだろうが、ムダな時間と行動を強いられている感じ。

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思い起こせば、この17年間(会社を辞めてからの年月)で劇場で見た映画は、殆どない。
前回観たのは、「タイムマシン」で、調べたら2002年だから6年前。
このときは、監督が原作者(H.G.Wells)の曾孫ということで、期待して行ったが、期待はずれ。
その前は? と考えても、よく思い出せないが、なさそう。
17年で上の1作のみ。
それと比べると、今年はすごい記録。
ゲバラの次の映画も観るから、約1カ月で2作品。
今回の次に見る機会は、もうないかも。
もっとも、今は観たいと思う映画が殆どないから、どうでもいいんだけどね。
学生時代はよく観た。安い名画座専門。
昔は、観ごたえのある映画が多かった(と思う)。
今は、制作費は大金を使っているが、内容が薄っぺらなものばかりの様な気がする。
もっとも、この印象は、テレビで放映されているものを指して言っているだけで、本当はいい映画があるかも知れない。

蛇足ながら、
ワタシの勝手な好みで、お勧め映画の筆頭は「ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago)」。
勿論、昔の映画で、パステルナーク原作(パステルナークはノーベル文学賞を受賞したが辞退)。
幾つか映画化されているらしいけど、ワタシのお勧めは1965年のもの。
ジュリー・クリスティ(Julie Christie)のラーラ役が良い。
彼女は、2007年だったか、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、二度目の受賞かと騒がれたね。
音楽も最高によい。
と、書きつつ、ジュリー・クリスティの最近の画像を検索してみたら、あった!  
う~ん。
年齢(67歳)からすると若くみえるが、婆さんになったねえ。 
昔の面影もなくはないけど、見ない方がよかった?
マ、人のことは言えないか。
テレビでの放映を含めると6~7回は観ているけど、劇場でもう一度観てみたい。
コメント (1)
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