陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア6-(3) ソドム

2009-05-30 15:44:07 | Weblog
ソドム -
ソドムとゴモラの「ソドム」。
邪悪な世界、悪徳の都の代名詞。
今の都市、今の世界と同じ。

昔、東京都庁の建築中、外観が完成に近づいた頃、近くを通った。
それを見た第一印象として、直感的に脳裏に浮かんだ言葉が 『ソドム』。
都庁はソドム。
背徳の府。
完成した後も、長い間、怖くて行けなかった。
その後、仕事でやむなく入らなければならないときが何度かあったが、今もって気味が悪い。
基本的には行かない。
行きたくない。
邪悪なものが渦巻いている。
その意味では、都庁にピッタリ?

都庁で働く職員は、都庁をその様に見ている者がいることなぞ、想像もしていないだろう。
今では多少の年月がたったとはいえ、現代的なビルでの執務を誇らしく感じているかもしれない。
しかし、庁舎だけではなく、中にいる人間はまさしくソドムの構成員。
自分たちが気づいていないだけ。
それら全てを、悪徳&背徳の巣と見ている者が、この世にいるんですよ。
少なくとも、一人は。
ここに。

もっとも、ソドムは都庁だけではない。
今の世の中、世界中がソドム。

ソドムは、旧約聖書の創世記に登場するが、天からの硫黄と火によって滅ぼされた。
いつの日か、都庁も同じ運命となるであろう。
都庁の中で、ココロがプアな職員は、そのとき滅びるんですな。
必然的に。
滅ぼされなければならない。
それは、ヤハウェの意思。
ソドムがどう滅ぼされたか、知らない人は自分で調べなさい。

ソドムといえば、パゾリーニの映画がある(「ソドムの市」)。
ワタシは見ていない。
(ワタシは、商業主義との批判を浴びた「デカメロン」以降の三部作以降は見ておらず、1960年代の作品のみ。)
今では、彼の名を知る若い人はあまりいない(と思う)。
少なくとも、1960年代のパゾリーニは、最高の映画監督。
彼ほどの者は、もうなかなか出まい。
鬼才 - ピエル・パオロ・パゾリーニ。

今まで、どういう訳か、ワタシは彼が自殺したと思っていた。
これを書きながら改めて調べてみると、1975年に轢殺されたとある(「ソドムの市」を撮り終えた直後)。
今さらながら、情報にうといプアな自分を発見。
死の原因は、犯人と共に、今もって謎とされているらしい。
従って、「ソドムの市」は最後の作品。
しかし、彼の最後は、やはり自殺がふさわしい。
調べない方がよかった。

ソドム - その名を耳にするだけで、おぞましい。
足がすくむ。
しかし、我々は、今、その世界に住んでいる。
そして、うたかたの繁栄や背徳は永遠には続かない。
滅ぶとき、もし、その現場から少しでも遠ざかる機会に恵まれたならば、
あなたは、決して後ろを振り返ってはならない。 
創世記と同じ。
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年金制度: もう止めたらどう?

2009-05-29 08:54:11 | Weblog
年度制度がまたまた問題視されている。
政府の「100年安心プラン」のマヤカシを突くもの。

人口が減る=金の元し手が減る中では、いかなる制度も難しい。
結局は、制度のための制度になってしまう。
かくなる上は、出し手の負担をドンと大きくするなり、給付水準を落とすなり、
それらのいずれか、あるいは両方の措置しかない。

しかし、それが度を過ぎると、年金ではなくなってしまう。
と、いうか、何のための、誰のための年金か分からなくなってしまう。
自己矛盾。
制度疲労。

問題は、
(1)制度維持のためのコストが膨大であること
    →社保庁職員の人件費やシステム構築&メンテ費がとてつもない負担
(2)基金が運用益を求めれば求める程、回りまわって、自分(年金加入者)の首を絞めること
    →株式へ投資する基金は、企業の利益増大を要求
    →企業は更に利益を追求し、結果、従業員への配分は減る(増えない)
    →所得が減る従業員は、ますます老後に不安をかかえる
    →みんながより有利な資金運用先を考える
     (以下、同じ繰り返し)

何だか、バカみたい。
アンガの世界。

新型インフルエンザだ! さあ大変だ!
マスクを買わなきゃあ。
薬局へ行っても、売り切れ。
困ったゾ。
次の薬局へ。何軒回っても同じこと。
「けしからん! 誰が買い占めてるんだ!」
⇒ あんただよ。あんたの様なヤツだよ。

年金問題も、これと同じことがいえる。
構造的な問題に加え、年金制度の崩壊を加速させているのは、次の二世代。
①不安をかかえる老人
②年金制度(&国の制度・施策に)不信感を持つ若者

根底に、国や役人への不信感がある。
その不信感は正しい。
不信感に端を発する自己防衛が、結局のところ、回りまわって自分の首を絞める。
これを止揚しない限り、制度維持は難しい。

実際、こんな状態じゃあ、何をやってもうまくゆく訳がない。
もう、マヤカシの年金制度は止めるんですな。

5/16、5/23のブログに書いた様に、
そもそも、年金制度どころか、21世紀後半には、社会そのものが崩れてしまうんだから、
そんな中で、年金を何とかしようとしても意味ナシ。
賽の河原の石積みと同じ。

最大の問題は、こんな意味のない年金制度を続けることで、
何で、社保庁など、多数の職員を飼って食わせなきゃあいけないの?
アホらしい。
安心のコスト?
安心なんて、どこにあるんですか?
国家レベルのマヤカシは、もうやめた方がいいと思うけどね。
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省庁再編?

2009-05-27 12:10:32 | Weblog
厚生労働省の分割など、
アソウは一部省庁の分割・再編をやりたいらしい。

ついこの間、省庁を統合したばかりだというに、
何か血迷っているのでは?
言い出しっペは、ナベツネらしいけど、さっさと引退したらどうかね。
自分では、国士をきどるフィクサーもどきのつもりなのかねぇ。

必要に応じて組織を見直すのは当然でもあるが、
思いつきで変えるのは愚の骨頂。
また、単に、分けたり、くっつけたりだけでは全く意味はない。
中身も一緒に変えなければいけない。

中身とは?
勿論、人間ですよ。
省庁の役人。
その意識改革。

それをしないで、四角を丸に、二つを三つにしても、ただ周囲が混乱するだけ。
+システムなど、膨大な費用がかかる。
+省庁のそれまでの責任はウヤムヤ。
+役立たずのポストが増える。
  ⇒5/25の参院予算委員会での、北朝鮮の核実験に関するしどろもどろ答弁など、その好例。
   誰の答弁? - 外務副大臣。
   外務副大臣って、誰なの? - 橋本聖子。
   アホが順送りでポストについたって何の意味もないのよ。

腐ったリンゴを、別の箱に入れ替えても同じこと。
一見、少しキレイに見えるかもしれないけど、腐敗リンゴは変わらず。
むしろ、きれいなリンゴまで腐りはじめる。

では、どうするか?
先ず、腐ったリンゴはゴミ箱に捨てること。
肥料にでもするしかない。
一部腐ったもの、腐りかけたものは、最低限、その部分を切りとること。
しかし、利用はせいぜいジュース用途か、ブタのエサか?

これらができないと、何をやっても同じこと。
実際に実行したらどうなるか?
そして、誰もいなくなった、になる。
それで良い。
少なくとも、腐ったリンゴだらけよりは余程良い。
それが今の日本の真の改革。
その位やらないといけない。

そして、分割・再編をどうしてもやると言うなら、一部だけでなく、全部を見直すべし。
いっそ、1万分割にしたらどうか?
例えば、
経済産業省産業構造課省
東京法務局新宿出張所省
東京国税局神田税務署省  など。

あるいは、渋谷職業安定所●●分庁舎職業安定課省 のスタイルでもよい。
これなら、役人も「やる気」を出すかもしれない。
何せ、全員ポストが急上昇(その代わり、給与は1/10へ)。
閣僚会議のメンバーは数万人。場所は、皇居前広場で野天。

「省庁再編ごっこ」。
天下泰平。
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気違いに刃物

2009-05-26 08:58:37 | Weblog
北朝鮮が核実験。
アタマの狂い度合いが末期症状になってきた。
金正日の後継問題を含めた国内の権力闘争が、外に向けた虚勢となって反映、
と見るが、如何か。

あの一人よがりの中国がもて余している。
しかし、北の「体制維持」は、金正日だけでなく周辺国も一致するところ。
いかなる狂人国家であれ、物乞い国家であれ、
大量の難民がどっと押し寄せるような大混乱になるよりはマシ。

そ~っと。そして、そ~っと。
ところが、テキはむずがる、拗ねる、泣く、手足をバタバタさせる。
うるさい! と言うと、もっと大声で泣く。
仕方がないから、アメダマを与える。
アメダマを与えたら、今後はチョコレートが欲しいという。
チョコレートを与えたら、今後はケーキが欲しいという。

困ったもんですのう。
中国は、歴史的に朝鮮族に悩まされてきているため、
本音では、怒り天を衝く状態だと思うが、
さて、どう動くか、あるいは動かないか、見ものでござるよ。
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プア6-(2) 海洋酸性化と人類

2009-05-23 15:12:48 | Weblog
海洋酸性化問題-
5/16の プア6-(1)を読んだ人は、調べてみたかどうか。
調べた人は、この問題が、はなはだ深刻であることが理解できたと思う。

海水(海表面)の pH(水素イオン濃度指数)は、現在約 8.1 の弱アルカリ性。
海の酸性化は、中性の 7 に近づく意で、本当の酸性になる訳ではないが、
計算では、2100年頃の海水の pH は、7.8 から 7.7 まで下がる恐れがあるという。(国立環境研究所)

最近のものだと、今年1月、世界の海洋科学者ら150人が連名で発表した「モナコ宣言(Monaco Declaration)」
-「海の酸性化による生態系の破壊を防ぐには、CO2の排出削減を早急に進めるべき」
の警告がある。

同宣言文では、
「食物網、生物多様性、漁業などに与える深刻な影響」への深い懸念を示し、
「海の酸性化は加速しており、深刻な被害が差し迫っている。この流れを食い止め、かつ反転させるための唯一の対策は、大気中の二酸化炭素量を減らすことだ」としている。
また、海の酸性化は人類社会にも非常に大きな影響があるとする。

これは、社会へのインパクトを考えた非常に控えめな表現だと思われる。
海は、人類が大気中に放出するCO2の3割を吸収するとされている。
この吸収したCO2が海の pH を下げる(酸性化)。
海の酸性化の行き着くところは、プランクトンの死滅。
プランクトンが死滅すれば、食物連鎖で海の生態系は全壊。
海が崩れれば、当然に陸でも同じ事態となる。

5500万年前にも同様のことがあったという。
そのときは、火山の爆発が原因とのこと。
そのときどうであったか?
研究によると、前記のとおり、生態系は壊滅的な打撃を受けた。
つまり、殆ど全ての生物が滅亡。
大自然の循環の中では、何かを機にこうした事態が起こる訳だが、
現在のものは産業革命以来、数百年かけて人間自身が引き起こしたもの。
そして、近年、CO2排出が加速度を増している。

現象として、現実に地球温暖化が我々の日常でも気づく様になった。
遠からず、地球温暖化が、干ばつや穀物の不作、水不足など、大きな問題として顕在化し、
それと平行して海の酸性化がジワジワと進行する。
海の酸性化がある特異点に達した後、-その世界は、次第に阿鼻叫喚の世界に。
それがワレワレの目前に広がる。
それは、21世紀後半。
22世紀なぞ、ないも同然。
災害を免れた他地域からの援助などはない。

もう、後戻り可能なポイントを過ぎつつある。
なのに、人は目先の景気に気をとられるだけ。
まあ、何か対策を打っても、もう遅いのだから、行けるところまで行く、というのも一つの選択かも。

終末論は、人間にとって、大昔から妙な関心と恐怖のテーマ。
怖いもの見たさの様な。
それを振りかざすことが、異端視される場合も多い。
従って、ワタシも語らない。
しかし、今回は、さすがにもうダメではないか。

当座生き残っても、生存を支える生態系がないんだから、その先はない。
人類の歴史も、僅かな間であった。
こんな短期間で自滅する生物も珍しい。
愚かさを絵に描いた存在。

5500万年たてば、また新たな生態系が生まれるだろうが、
現人類には関係のないハナシ。
人間は、未来の存在の単なる先行モデル。ベータ版。

その存在が、はるか昔の人間の営みの痕跡を発見したとき、彼らは何と言うだろう?
およそ想像できる。
-「何とプアな存在よ!」
-「自分で自分の墓穴を掘るとは!」
地球的・宇宙的視野で見ると、人類は単なるいっときの地表のバイキン。
あだ花。
ソドム的存在。
- ワタシは旧約聖書の話しなぞ、都合のよいおとぎ話としてしかとらえていないが、
逆に言うと、おとぎ話しだからこそ面白い部分がある。
そう、人間社会はソドムの市。
邪悪な存在。
- ソドムについて、思い出したことがあるので、次に書く。
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日本の未来は洋々

2009-05-22 08:52:02 | Weblog
このところ、日本社会の、そして人類の未来について悲観的な話しを書いている。
気分としては、悲観とか楽観ではなく、論理的な帰着点を書いているだけなんだけどね。

しかし、昨今の新型インフルエンザの報道で一つの灯明を見いだした。
『人材』という観点で見ると、日本の未来は明るいかもと思う様になった。
と言うより、前途は洋々たるもの。

なぜか?
理由は単純。(ワタシは単純アタマだから。)
新型インフルエンザの報道によると、
カナダやアメリカなど、修学旅行や語学研修、留学その他で、海外へ行く若い人(高校生など)が多い。
ワタシの想像以上に、海外渡航は当たり前になっている感じ。
勿論、全員ではないだろうが。。。
ワタシなどの世代は、高校時代に海外へ出ることなぞ、まずありえなかった。

今、小学校や中学校では、クラスの平均人数は30人前後の少人数だという。
場合によっては20人台も。
「40人では児童一人一人に目が行き届かず、集団生活の中できめ細かな指導を行うことは難しくなる」
だって。

そうおしゃられると、団塊の世代は何なんだろうね?
まるで、教室はブタ小屋同然。
詰めるだけ詰めて、ギュウギュウ状態。
40人以下のクラスなんてなかった。

そういう世代と比べると、今は、人間らしいというか、優等生扱いというか、教育環境は素晴らしい。
生まれたときから物質的に豊かだし、上記の様に、海外渡航機会もある。
これからは小学校での英語教育も始まるとか。
そうした環境下では、素晴らしい有為の人材が育つに違いない。
団塊世代の人間なぞ、人間ではない、あたかもブタ同然と思えるハイレベルの人材が。
ワタシはゴキブリ並みのレベルだが。。

皆さん、これは期待できますゾ!
国の借金を含め、大きな負担を若い世代に残しても、苦もなく解決しうる人材がぞくぞくと育っている。
これを何と表現しようか!
うれしさの余り、涙が出そう。ついでに、ヨダレと鼻水も。

次世代のことなぞ、余り心配する必要はないんだ!
やはり、何にもまして教育だね。
教育に金をかけると、社会の全てがうまくゆく。
文部省&文部科学省も大したもんだ!
ワタシは文科省なぞ糞くらえと思っていたけど、違うね。
素晴らしい行政府ですぞ。
今までの言は全て撤回しなきゃあね。

日本の未来バンザイ!  
そして、若い世代の皆さん、頼みますよ!

え?
今の若者は、全体として、体力的にも、学力的にも昔より落ちている?
大学入学者の一部に対しては、中学・高校の補習をしないといけない?
まさか! そんなことはないでしょう。
上の様な素晴らしい環境下で、レベルが落ちてゆくハズがない。
何かの間違いでしょうよ。
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新型インフルエンザが拡がる

2009-05-19 08:51:34 | Weblog
世間では、いつの間にか、豚インフルエンザが「新型インフルエンザ」の表現になった。
感染者が神戸からはじまり、増えている。
これからどんどん拡がる。
現段階では弱毒性ということだから、それ程大きな心配はない様だが、
それでも仕事への影響の可能性を考えると困った事態。
何せ、免疫がないんだから。

家人の話によると、昨日なぞ、スーパーで買物をするおばさんは、殆ど全員がマスク姿とのこと。
薬屋では、マスクが品切れ。(横浜での話)

今になって詮索しても意味はないが、
ウィルスを国内に持ち込んだのは、連休中に海外、特に北・中米に行ったヤカラの誰かに違いない。
誰とは特定できないものの、そのヤカラを Mr.ヤマダ と総称すると、
その Mr.ヤマダのおかげで、大迷惑。
発症しなかった Mr.ヤマダは、他人事の様に報道を見ているだろう。

このブログを読む人の中に、Mr.ヤマダはいますか?
Mr.ヤマダ、あなたなんだよ。
世にウィルスを撒き散らしたのは!
アホがいると困るんだよね。
自分だけがよければいいというアホがいると。
もっとも、アホもプアもいるから世の中なんだけど。

感染は、プアもリッチも関係ないとはいえ、
プアは、予防も感染後も、対応力に劣ることを考えると、何かあるとダメージが大きい。

遠からず東京にも飛び火するだろうが、さてさて。  
平安時代の天然痘(疱瘡、ほうそう)の有様を彷彿させる。
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プア6-(1) 若者は年金の心配一切無用

2009-05-16 18:30:41 | Weblog
プア5-(5)&(6)で、今後のワタシの悲惨な老後を書いた(5/09、13)。
その中で、若者に対し「他人ごとではないよ、将来の年金・介護はもっと悲惨だよ」と書いた。

しかし、この表現は正しくないので、ここで訂正します。
正確には、次のとおり。
⇒ 「若者は、将来の自分の年金や介護を考える必要はありません。」
  (ここで、若者とは、団塊ジュニア世代以下を指す。)

「もっと悲惨だよ」というのは、あくまで、現在の世の中がこのまま推移すれば、という前提でのハナシ。
幸か不幸か、不幸か幸か、「このまま推移すれば..」は、ありえないんだよね。
「年金が大変」とほざいておられるのは、ある意味、まだ余裕がある証拠。
数十年後には、年金どころではない断末魔状態になる。

環境問題に関する各種の発表は、「21世紀末には」とまだ先の様な表現が多いが、
現実には、何事も想定以上に早く進むから、
100年を待たず、20~50年後は、もうそれどころではなくなってしまう。
何が?
- 社会の崩壊どころか、生物体系の崩壊が。
人間にとっては、世界の終わり。
そのときは、年金のことなぞ、銀河のハテのハナシ。
ということで、若者は、将来の自分の年金なぞ考えても全く無意味であり、
換言すれば、年金の心配には及びません、ということ。

その理由・根拠は、海の酸性化。
CO2問題の行きつくところ。
地球温暖化の問題は、大きな影響をおよぼすが、その次の海洋酸性化は温暖化よりも影響は甚大。

CO2削減が叫ばれて久しいが、何も進まない。
エコなどと言って多少努力しても、地球全体でのCO2排出は増える一方。
その直接の原因は、中国、インド。
人口がハンパではない。加えて、工業化がどんどん進む。
その国が、トリガーを引いた。

ブラックホールに落ちてゆくに、
一度シュヴァルツシルト半径を超えてしまうと、絶対に脱出することはできない。
それと同じ。
ブラックホールに落ちるのを外から見ると、
(時間が次第に無限大になるため)ゆっくりと緩慢に落ちてゆくイメージがある。
今が正にその状態。
緩慢に、しかし確実に破局に向かって落ちてゆく。
ブラックホールに落ちる者が、暫くは、自分に何が起こっているのか分からないのと同じ。

今は、シュヴァルツシルト半径を超えつつある状態。
99%の確率で、もう間に合わない。
間に合わせるとすれば、即座に、人間社会の CO2 排出をゼロにすること
半減だの、80%減どころではない。
実際にはゼロにはできないものの、我々の感覚としては「排出ゼロ」が必須。
出きっこないよ?
⇒ じゃあ、もう終わりですな。
考える要素は全くない、簡単なオハナシ。
クリーン・エネルギーの開発&促進? もう遅い。
そんな、おめでたい、悠長なハナシをしている状態ではない。
とにもかくにも、先ず排出をやめること。

省エネと景気回復のために、クーポン制度を設けて、車や家電製品を買わせよう、
な~んて発想は、愚劣のキワミ。
両立なんぞ、するワケがない。

なんで、地デジ対応のテレビを買うと省エネなの?
古いテレビを放棄して、買わないことこそ真の省エネでは?
車に乗るのを止める方がはるかに効果はある。

なんで、大型のテレビを買うとポイントがたくさんつくの?
小型の方こそ、省エネでは?

そのコンタンたるや、腐敗臭がプンプン。
何でもダメになるときは、当人たちは気づかないが、外から見るとマンガの世界。
要するに、省エネなんて、口先だけ。
そんな、目先だけしか見えない政治家&官僚なんて、何なんやろね?

車の会社が倒産しようが、電機会社が行き詰ろうが、失業者だらけになろうが、
海洋酸性化と比べると軽微なハナシ。世界のハメツよりはマシ。

朝三暮四は、おさるさんのことだが、
お話しの中のおさるさんには、明日があった。
そして、1日7個の食料が保証されていた。
今の人間には、そうした保証はなく、当座のアメダマ1個と、明日以降の定食と、いずれかの選択。
二者択一。

そうして、アメダマを口に入れようとしている。
知らないよ! ワタシは。
明日がどうなっても。
ワタシの責任じゃあないからね。
言っておくけど。
(言っても、言わなくても、世の中、な~んにも変わりはしないけど。。。)

引き金を引いた中国は、
「先進国の責任を途上国に皺寄せするな」と言っている。
言いたい気持ちも分からなくはないが、被害者意識と大国意識の狭間の感情論はやめるべし。
コトは、人類どころか全ての生物の存亡にかかることを冷静に考えてもらいたいもの。
しかし、彼の国は、歴史的にそういう行動をとったことはないから、言ってもムダ。
周りから兄貴、兄貴とたてられない限り、自分のことしか考えない。
それも、目先の自分だけ。

この大問題-『海洋酸性化』は、自分で調べてごらんよ。
ただ、調べても、余り真実は発表されていない。
オブラートに包まれている。
ワタシもそうだったが、それに惑わされる。
そのままを発表すると、余りにも影響が甚大で、パニックになるから押さえているんだろう。

とにもかくにも、自分で調べてごらん。
これはやばいと思うはず。 
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ワーキングプアと仕事のえり好み

2009-05-15 19:54:03 | Weblog
5月5日の『対談での姿勢とワーキングプア対策』で、
「仕事や条件をえり好みしなければ、何とかなる」と書いた。
しかし、この言は、これだけでは本質的な解決にならない。
言葉足らずなので補足する。

えり好みしない ⇒ 正しく選択することを指すが、それがワーキングプアにできるか?
できない。
できていればワーキングプアにはなっていないから。

自分が分かっている者が仕事を選ぶのは「えり好み」ではない。
それは、自分の意思と判断による「選択」。
えり好みは、自分を分かっていない者が、目先の条件や感覚で仕事を探す。
これは、「選択」ではない。
ただ、犬も歩けばと同じで、クンクンと嗅ぎまわるだけ。
自分で方向を決め、考えにそって行動する訳ではない。

この自分の意思と判断が欠ける者に、「選択せよ」と言っても、豚に真珠。
結果、ワーキングプアは自分が分かっていない者をいう。
自分が「選択」した仕事であるが、経済的には貧しいというのは、ワーキングプアではない。

では、どうすれば良いのか?
簡単なハナシ。
  (1)選択する力がないことを自覚する。
  (2)縁があると思える仕事を、それが何であれ、徹底して続ける
     → 処遇や条件なぞ目もくれず、最低10年続ける
以上、これだけ。

自分に合った、自分らしい、自分ならではの仕事を得たい?
気持ちは分からなくもないけど、そういう考え方は止めるんですな。
そもそも自分が何なのか分かっていないのに、何を言ってるの?
上に書いたが、選択する能力がある者が選択するのは結構だが、
選択能力がないんだから、高望みをしないこと。
繰り返すと、選択能力とは、自分が分かっているかどうか、それ次第。
当人がそれをきちんと認識できるか、そして10年続けられるかどうか。
それができない者は、死ぬまでワーキングプアを続けるんですよ。
ワタシの様に。

不運を語ってもラチがあかないし、
また、社会構造の問題を指摘してもその解消には年月がかかるうえに、
他力を期待するという意識そのものがプア。
ワーキングプアは、結局のところ当人の力で脱却する他ないことを思い知るべし。
ワタシも、毎日思い知らされてますよ。

「自分はワーキングプアではない」-
大いに結構。
しかし、それは、あなたが、たまたま少しの幸運に恵まれただけ。
少しばかりの幸運を、自分の力と錯覚しないことですな。
そうはいっても、錯覚したまま生を終えられるのであれば、錯覚もまたよし。
夢の中で夢をみて、夢の人生を終えられるのであればハッピーなハナシ。

ワタシ?
ワタシは、ずっ~と、そして今もってプア。
これも、ひとえに自分が分かっていないから。
しかし、最近は、それがワタシなのかも、との思いに至っている。
つまり、真正プア、ということ。
そうだとすると、プアはプアでも、並みのプアとは違う訳で、
こうなったら、尋常ではないプア状態を100年、1000年続けてやろうか、とも考えている。
これからは、歴史に残る大プアを目指してやろうかね。 
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プア5-(6) 介護-悲惨な老後

2009-05-13 08:49:11 | Weblog
一昨日、小沢が民主党の代表を辞任したが、さて、次は誰になるか。
それによっては、次の総選挙が期待できるかも。

さて、前回、ぼけてしまえば怖いものなし、と書いたが、
実際には、解決にはほど遠い。
もっと問題をかかえることになる。
年金以外の、もっと大きな問題、
それは、介護。

親の、配偶者の、そして自分の介護をどうすれば良いか。
介護保険制度がスタートして約10年。
この制度は、本当に機能しているのか?
- 未だ勉強不足の状態だが、いろいろな報道に接すると、どうも形だけのよう。

(1)利用したいサービスは、サービス提供側の受け皿不足で受けられない。
(2)同時に、自己負担を鑑みると、受けるサービスメニュを制限せざるをえない。

つまり、ここでもカネが幅をきかす。
カネがないと、それこそ悲惨!
老後の生活設計は、それなりに健康であることを前提として考えがちだが、
人間、誰もが、どこかの時点からは、そうではない状態となる。

無届け老人施設というタコ部屋に押し込まれ、ついには焼死するに至る現実が待ち受けている。
介護保険の操作で、利益を享受している無届け施設の事業主もいるという。
今でさえそうだから、更に老人が増えるこれからは、もっと施設不足になること必然。
そして、世代が後になるほど受給する年金額は少なくなるから、
リッチな者は良いとして、そうでない者は、さあ大変。

ワタシなぞ、目先のことだけを考えて生きてきたから、
そうした現実の一端を耳にするにつれ、冷や汗がタラリ。
これはヤバイ、という遅かりし「気づき」。
プア丸出し。

身体が動くときは、いろいろあっても何とかなるが、
動かなくなれば、如何ともしがたい。
加えて、ぼけが始まれば、さあ困ったぞ!
「ぼけ」は、自分はともかく、周囲が手におえない。

ここで介護保険の出番! 介護保険は、老人の介護を社会が支える仕組み。
世の中、バラ色!
すばらしい仕組みができたもんだ!
と、思いきや、
何てことはない、頼りにならず。
絵に描いたモチ。
無いよりマシなレベル。

この介護問題は、他の制度と違った視点で臨まなければならない点が一つある。
それは、仕組みの焦点を平均的なモデルではなく、底辺にあてること。
ここで平均とか、底辺というのは、主として経済的な観点からの意。
底辺ではない、上の層は、自分で+αをオンすればよい。
そうすることで、不安感を払拭する。
さすれば、必要以上の貯蓄や備えが不要となり、抱えこんだ財産が次の世代に移転する。
相続税の考え方も大きく変えるべきでありましょうなあ。

ところが、制度設計に関与する人間は、
役人であれ、政治家であれ、有識者と呼ばれる御用学者であれ、
全員、それなりに恵まれた層の人たち。

その種の人間は、底辺の心情は分からない。
適当に「声」を聞いたとしても、それは自分たちに都合の良い聞き方になる。
最近は、様々な制度・法律で、施行後に見直しとなる場合が多い。
勿論、必要に応じて軌道修正すべきはする訳だが、
どうも本質を理解しないで、リクツで設計しているところに起因している気がする。

しかし、恵まれた者に「底辺を心底理解せよ」というのも、
所詮は無理な話し。
まして、今の役人や政治家、御用学者に期待することそのものが間違っている。
社会の底辺にいる者は、そんなヤカラを信用してはならない。
踊らされてはならない。
社会のセイフティネット?
そんなものを信じてはならない。

つまりは、次のいずれかの道。
 ●少しでもカネを貯めて自己防衛する
 ●全てを諦め、悲惨な老後を受け入れる

さあ、さあ、さあ、さあ。。。。
ワタシなぞ、考える必要もなく、後者。
長生きをすると、とんでもないことになるゾ! 
コメント
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