陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

春の足音

2009-02-28 18:23:43 | Weblog
2月も今日で終わり。
午後5時に流れる港区の音楽(チャイム)の時間帯は、少し前まで真っ暗だったが、
今日などは残照が少し残る様になった。
冬の峠を越したなと感じる。

今年の冬は、一度も風邪をひかなかった。
おかげさまで、何とか乗り切った感じ。
昨日は雪がふったから、まだ安心はできないが。。

今朝、家の小さな桜の木に、つぼみが芽生えているのに気づいた。
春の息吹。
足音もなく近づいてくる。
オフィスの近くの南桜公園の一角の二本の桜は、もう一分咲き。
例年、この二本だけは早い。カンザクラではないと思うけど。
もう少したつと春爛漫。

世の中、いろいろあるけど、我慢すれば春は必ずくる。
冬が寒ければ寒いほどに、春には花らしい花が咲く。
人間も同じであって欲しいもの。
今年の春は、どこかへ桜を観にゆこう。
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最後の咆哮

2009-02-21 21:12:46 | Weblog
先日、また一つトシをとった。どんどん年齢を重ねてゆく。
若い頃は、ジイさんと思っていた年齢。自分のトシが信じられない。
周りは笑うだろうね。カガミを見てみろ、と。

年々、体力が落ちるのが自分ではっきり判る。
体力が落ちるだけでなく、あちこちの不具合が次々と出る。
何だか、スクラップ行きが近い感じが無きにしもあらず。
体力が落ちると気力も落ちる。
気力を維持するのは難しい。

こんな筈ではと思っても、如何ともしがたい。
ついでにという思し召しか、いろいろなことが起こる。
天の配剤も、加減をしてほしいもの。
加減をしないなら、仕方がない。
もう、余り多くは望めないが、力をふり絞り、天に向かって最後の咆哮をみせてやる。
自分は咆哮のつもりが、人は蚊がなく程にしか感じないかも知れないけれど。

   
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坊主バー

2009-02-20 08:46:32 | Weblog
テレビなどで何度か紹介されている様だが、坊主バーなるものがあるそうな。
坊主が経営するバー。

バーを経営する坊さんが、客との会話の中で、人生相談の様なこともするとのこと。
坊主といえば、寺の敷地を利用した、駐車場、マンション、幼稚園などの経営かと思っていたけどね。
(それもどうかと思うけど。)

今や、坊主の世界も何でもありですなぁ。
お釈迦さんが今の仏教界をみたら、びっくりだろうねえ。
坊主バーの宗派では、飲酒も妻帯もOKだそうだから。

おおむね、宗教は、独自の教義をかかげる、カリスマ性ある開祖から出発するが、
それが教団などの組織になると、開祖の魅力や元始の教義からどんどん離れてゆく。
つまり、堕落の始まり。
全ての宗教・宗派は、組織となることで必ず堕落する。例外はない。
その堕落のなれの果てが、坊主のビジネス。
いかに屁理屈を並べても。

坊主も、ごくごく少数を除き、殆どの者にとっては「職業」なんだろうねぇ。
坊主は、もともとは「修行」する人を指すと思うけど、今はビジネスをやるための修行?
それは今に限らず、昔から同じか。
奈良・平安の律令制下においては、坊主は「国家公認資格」で、役務や納税・兵役が免除だからすごいよね。
一種の特権階級。
なるほど、希望者も多い訳だ。
希望者が多いから、国家が許可制とした。
この国家公認の坊主は、とどのつまりは体制に奉仕することが求められる訳で、
そもそも日本の坊主というのは何なの? という話しになる。
中には、国家の許可なく僧となる農民などもいて(私度僧)、身分秩序のバイパスの側面もあったが。。。

一人一人の坊主だけでなく、
宗教法人を隠れ蓑にした大がかりなビジネスが、今も昔も花盛り。
皆さん、宗教法人ほど儲かるものはない、といわれていることは知ってるよね?
ワタシも、いっそのこと宗教ベンチャー「プア大貧教」でも起こし、教祖に転進しようかね?
そういう宗派だったら、ワタシは立派な有資格者!
その節は、皆さんは信者として入会してください。  
豪華な入会プレゼントをはずみますぞ。

=追記=
宗教ベンチャー「プア大貧教」は、どんなご利益かあるかって?
勿論のこと、入信し、寄進が多いほどに、プアから脱することができます。
入信しない者は、罰を受け、プアの身に落ちるのよ。
超リッチな者ほど、超プアに。
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レームダック

2009-02-18 08:51:20 | Weblog
レームダック(lame duck)-
麻生内閣は、どうしようもない程の死に体内閣。
まだ半年だというに。
「身からでた錆」とはよく言ったもので、何だか小学校での模範教材に相応しい。

言うほどに混乱の波紋を広げ、
内閣のお友達は隠そうとも隠せないほどの失態をし、
まあ、完璧はないものの、
人間、やはり、その任にあらずということがありますなあ。

外から見ると、何をやっているのかと、滑稽に見えるでしょうなあ。
昔、イタリアの内閣がころころ変わったころ、当然、国内の政治・経済も一貫性がなく、
支離滅裂の信用できない国に見えたからねぇ。
今も大して変わりはないけど。

大局観のなさや判断ミスなど、ワタシも似たようなものだから、
あまり人のことはいえないけれど。。。

何か、気分が晴れることはありませんかねぇ?
アソウ氏も、どこか遠くの誰もいないところへ行きたい気分だろうねぇ。 
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モーターサイクルダイアリーズ

2009-02-15 17:23:29 | Weblog
映画、「モーターサイクルダイアリーズ」(2004年 英/米)を観た。
テレビ放映の録画。
余り期待しておらず、参考程度にと、
「ゲバラの若き日の映画」だよと言って録画を頼んでおいたが、
タイトルを知らない家内は、新聞の番組表で見つけられず、途中からの録画になってしまった。
その途中からの分を観た。

一言でいうと、
今、封切られている2部作「チェ/28歳の革命」、「チェ/39歳別れの手紙」よりも、はるかによくできている。

これは、原作「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」(チェ・ゲバラ著)を映画化したもの。
医学生である若きゲバラが、年上の友人アルベルト・グラナードとバイクに乗り、
ブエノスアイレス(アルゼンチン)からアンデスを越え、
ベネズエラのグラビア半島までの旅を描いている。
行く先々で出会う人々を通じて、スペインなどの征服後の圧政の歴史と、
その後の資本主義の荒波に飲み込まれた人々の生活と社会を目にし、
ゲバラが「チェ・ゲバラ」となる萌芽と必然性が、グラナードとのコンビの中でよく描かれている。
(今の2部作は、その視点が薄い。)
貧困、格差、差別-これらをどう解決するか、
ゲバラの人間に対する愛情が、結局、武装闘争しかないとの結論に至らしめる、若き日の貧乏旅。

ラストシーンの、
旅を終えたゲバラとグラナードとの別れの場面-ゲバラが飛行機で去る映像と、
今、再び、ゲバラが新たな闘いに出るための飛行機をオーバーラップさせ、
それを見送る老人の顔と表情が、印象深い。
82歳(映画制作当時)になったグラナードが、この映画に協力した様だが、
そのグラナードの皺深い顔が何ともいえない余韻をかもし出している。
(映画では、その老人が誰かは何も語っていない。)

今の2部作は、正直なところ(映画の出来ばえとしては)今一つだが、
この「モーターサイクルダイアリーズ」は、想像以上に良い作品だった。

●オフィシャル・サイトがあった。 ⇒ The Motercycle Diaries
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腕があがらない

2009-02-14 21:07:47 | Weblog
夕方、知人と合流し、酒を飲んだ。(於:大門)
今、戻ったところ。
帰路見た東京タワーの照明がきれいだった。

戻ってきて、オフィスのソファにゴロリと横になった。
何げなく腕を上にあげた。
痛い!
あれ?

半年くらい前だったか、会合の雑談で健康話になったとき、
両腕を真っすぐ上にあげて耳につくか? と聞かれた。
「何というアホなことを。つくにきまっている」と、腕をあげた。
「まだ大丈夫だな」と言われた。
今、それができなくなっている。 
うぅ~!
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プア3-(6) 夢かうつつか

2009-02-14 16:40:21 | Weblog
今日は暖かい。春の様な気温。
暖かいと、足腰が少し楽になる(ような気がする)。

最近、歩いているとき、
自分の今の状況なりがぼやけてくる、
そういう感覚に、ふと襲われるときがある。

一言でいうと、「トシだから」になるんでしょうかなあ。
実際、クリニックで、医者からそう言われることもある。
振り返れば、若いときから、身体によろしくない生活の連続だったからねぇ。
(遊んでいたわけじゃあありませんよ。)

歩くときに、一番それを感じさせられる。
歩くにも一生懸命にならないといけない。
はた目には、壊れかけのロボットの様に、ぎこちなく歩いている様に見えるだろう。
しかし、本人は一生懸命。視線は広域ではなく、足元または数メートル先。
そういうとき、上の感覚になる場合がある。
あれ? 何をしているんだろう? どこへ行こうとしているんだろう?
そう感じたときを比喩として例えれば、雲の上を歩いている感じ。
ふわふわと調子よくではなく、調子悪く。
勿論、雲の上を歩いたことはないけれど。。。
足元がおぼつかないため、身体が力んでしまう。
そして、何をしているのかがぼやける。

周囲の観察力が落ち、足が地についていないために、上の様な感覚を誘うのだろうと思う。
夢の中で、方向も目的も定かではなく歩いている感じにも似ている。
- うまく説明できないけど、言わんとするところは、おぼろげにでも分かってもらえるだろうか?

昔からの故事にある - 邯鄲の夢。
(邯鄲(かんたん)は、古代中国、戦国時代の趙の都)
一炊の夢、邯鄲の枕、黄粱の一炊、などと表現されることもある。
若干内容が違えども、言わんとするところは同じ。
栄枯盛衰のはかないことと解する人もいるが、単純に「人生は一炊のできごと」でよい。

夢から覚めた直後は、その夢を覚えている。余計なことを考えなければ。
家族の誰かにその話しをする。
夢の内容を口で伝えようとしても、陳腐な表現になり、本当に伝えたいことと違ってしまう。
断片的な夢の記憶を、わかってもらおうと言葉を足し、そして話すほどに、夢から遠ざかる。
夢が何だったのか、よく分からなくなる。
そういう経験は誰しもあると思う。
「邯鄲の夢」では、
夢から覚めて、(主人公の)廬生は、人生の全てを見たと告げるわけだが、それは本当に夢なのか?
廬生が、本当に言いたいことは何だったのか、
それは、栄枯盛衰や、人生のはかなさではない、のではないか?
ヒントは、郷里に戻った後の廬生の人生にあるはずだが、その話は(故事には)ない。

いや、そんなことはどうでも良い。
どんな夢を見、どう感じようが、その夢は、それがどうして夢だといえよう。
夢から覚めたと思っている、その今こそが夢ではないのか?

「豊饒の海」(三島由紀夫)四部作の最後、「天人五衰」。
死期を悟った本多繁邦が月修寺門跡(綾倉聡子)を訪ね、
60年前の、松枝清顕と聡子とのできごとを投げかけるが、門跡は初めて聞く話しだという。

門跡-「松江清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。
     そんなお方は、もともとあらしやらなかつたのと違ひますか」
本多-「それなら勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。
     …その上、ひよつとしたら、この私ですらも」
門跡は本多を見据え、「それも心々ですさかい」。
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる…」
(「天人五衰」より抜粋)

門跡はいう。-「それも心々ですさかい」
そう、全ては「心々」。
それは輪廻転生をめぐる本多の夢。
そして、その夢は、本多にとっては現実。
これは、三島を忖度しているのではなく、ワタシが感じているワタシにとっての夢。
転生があるとして、
その転生する者にとって、この世の人生が夢ではないと誰が言えよう。
(上の)廬生の夢は、廬生の、ある世での人生。
ワタシがプアである(と感じている)のも、ワタシのある一つの人生。
あなたが、今、幸せであるにせよ、そうでないにせよ、それも「心々」。

「世間虚仮」
- 世の中、何が真実か知らないけど、自分が選択した道を信じるしかないんだろうなあと、
朦朧としたアタマで、そんなことをぼんやりと考える。
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外国人研修生の受入れ急減

2009-02-12 08:50:35 | Weblog
他の話題に隠れて目立たないが、過日、次の様な報道があった。
(どの新聞も同じ内容なので、単にプレスリリースを掲載しただけの模様。)

外国人研修・技能実習制度を利用した研修生に関し、昨年秋以降、国内企業の新規受け入れが急減。
-「国際研修協力機構」(JITCO)調査

入国管理局に申請した新規の研修生数は、
2008年10月 前年同月比19%減の 4,753人
2008年11月 同26%減の 4,692人        とのこと。

JITCO の説明は、「不況で各企業が受け入れを控える傾向にある」。
また、関係者の話しとして、
「安い労働力を受け入れられないほど中小企業を中心に経営が悪化しているとみている」との記事もある。

これらのコメントは、
素晴らしい「研修制度」が、景気悪化のあおりを受けているという言い方だが、
何かおかしいと思わない?
完全に間違っているわけではないが、
ものを真正面から見るのではなく、変な角度から見ている様な言い方。
何かをカモフラージュしようとしている様に思える。

研修生の殆どを受け入れている中小企業は、
今までは安い労働力が必要であったが、今はいらないよ、ということであって、
景気悪化で受入れ余地が乏しくなったからというのは、おかしな言い方。
つまり、研修生は労働力でしかないということが浮き彫りになったということ。

そりゃあそうだよね。
中小企業にとって、国際協力や他国の人材育成なんて身に余る。
まして、仕事が減っているのに、人が必要である訳がない。
国際協力や人材育成はタテマエで、ホンネは人手なんだから。

そもそも、天下り組織の設立・拡大を意図し、
「国際協力」の美名の下に外国人を労働させる仕組みが「研修」制度。

関係者の誰もが分かっていることを、その様に言わないところがひっかかる。
素直でないところが。
まあ、自ら+役所の立場を擁護する言い方になるんでしょうなあ。
報道機関は、その辺りをもっと切り込むべき。
それとも、分かっていながら、敢えて触れないのかねぇ。

(注)国際研修協力機構(JITCO)は、下の五省共管の財団法人。
   (法務省、外務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省)
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裁判官 そして 裁判員

2009-02-08 15:24:25 | Weblog
(2月6日の裁判員の続き)
裁判員のことを書いていたら思い出したことがある。
それを書く。
知っている人も多いと思うけど。

戦後の食糧難の時代は、食管制度(食糧管理法)があったが、配給は十分ではなかった。
人はやむなく闇米を求めた。
一週間から一カ月の遅配は普通だったそうだから。
勿論、闇米の売買・流通は当時の法律で犯罪。
そんな中で、飢え死に(栄養失調)した人が二人いた。
一人は東京地裁の判事、もう一人は旧制 東京高校のドイツ語教授。
彼らは、ヤミ買いに手を出さず、死んだ。

名は失念していたので調べたら、次のとおり。
東京地裁判事 山口良忠氏
旧制東京高校教授 亀尾栄四郎氏

山口判事は「人を裁く裁判官の身でどうしてヤミ買いが出来るか」と、配給だけの生活。
亀尾教授は、「教育者たる者、表裏があってはならぬ」との信念。

日本中で二人。自らの信念でヤミに手を出さなかった人は。
昭和20年当時の人口は約7,000万人。
→ 2/70,000,000=0.00000286%
残りの人は、政治家も、裁判官も、警察官も、役人も、教師も、みんな闇米を手にしたわけヨ。
この件については、いろいろ意見があるだろうけど、
法律とか、人間とか、規範とかいっても、いろいろな意味で「世の中、そんなもの」。

同じ様な例はゴマンとある。
昔の例の方が支障がないから昔のことを書くが、
昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた者が、今日はコロッと変わる。
「君たちだけを死なせはしない、後から行くから」といって特攻隊員を送りだした司令官は、
知らぬ存ぜぬで世を生きる。
徹底抗戦と言いながら、何もしない。
日本人はそんなもの。

と書きながら気づいたが、これって今の役人と全く同じだね。
ウリ二つ。
遺伝子が脈々と受け継がれている。
『昔陸軍、今●●』の●●は、省庁でも、官僚でも、役人でも、何を入れても当てはまる。
百年安心といいながら、1年たったら「年金制度の危機」なんて、その典型。
今、話題の渡りや天下りだって同じ。

話がそれたが、
現代の裁判官は、上の判事と同じことができますか?
同じ姿勢で仕事に臨んでいますか?
口先きだけ、言うだけじゃあダメですよ。
同じことができない者に人を裁く資格があるのかね?
当事者はいろいろ屁理屈を言うだろう。
国民は、ワタシは、そんな屁理屈なんぞは訊いていません。
人を裁く者としての「姿勢」を問うているんですよ。

職業裁判官ではない裁判員だって同じこと。
裁判員として裁判に臨む人は、上の質問を自分に問うてから出かけるんだよ。
自分は何者で、何をしようとしているのか、と。

本来的に、司法制度や裁判官を論ずる前に、今の日本でまっ先にやるべきことがある。
それは、未だになされていない日本人自身による太平洋戦争の「戦争責任」問題。
戦後60余年たっても裁判は行われておらず、従ってケジメがついていない。
今となっては、当事者の多くは死に、生きている者も高齢。
現実問題としては、(人を裁くための)裁判は難しい。
結局、ウヤムヤのなし崩し。

そういう国家及び国民性であることが一番の問題。
だから、周辺国からいつまでもネチネチと言われる。
ワタシ自身、そういう周辺国に「チベットその他、オマエも同じじゃないか」と言いたいが、
周辺国は、上の様な日本人のあり方を問うている、と思う。
その核心部分を放置し、表面だけ一見キレイに見える様にしても、何も変わらない。
裁判員に就任する諸氏は、その辺りを一度は考えてみるとよい。

ワタシ?
ワタシは、人を裁けるほどの高潔な人格、高邁な識見は、残念ながら持ちあわせておりません。
また、消極的であれ、裁く側に立ってみようと思うほど傲慢ではありません。
かつ、裁判所に出かける時間もありません。
従って、裁判員になりたくてもなれない。
ワタシは、裁判員を務められる人がうらやましい。
ワタシはプアであるので、そういう人物及び状態にはほど遠いから。

うらやましい?
う、ちょっと待てよ。 ひらめいた! 
ワタシは、人生の目標を「裁判員になる」こととし、それを目指すべきなんだ!
情けないことながら、ワタシはプアなわが人生をどう生きれば良いのか、いまだに分からない。
ところが、やっと、今、わかった!

アラカンになるまで分からなかったのも道理。
ワタシは裁判員になるべく生まれてきたんだ!
裁判員制度ができた今、それが分かった。
裁判員は、上に書いた、ワタシが有していない条件を満たしているわけで、
ワタシはその到達を目指すべきだと、
そして、裁判員になることがワタシの人生なんだと!
裁判員はプアではないのだから、裁判員がプア脱出の道なんだ!

ワタシは悟った。悟った経験がないため、断言はできないが、そういう感じ。
悟ったついでにもう一つ、次を実行しよう。
死んだとき、墓標を下の様にする。

  ▼裁判員になれた場合
    ⇒大きな銅像をたて、墓銘に「裁判員●●●●」と記す。
     (銅像も墓銘も金ピカにするゾ。誇らしく。)
  ▼裁判員になれなかった場合
    ⇒銅像はなしで、墓銘に小さく「裁判員になれなかったプアな●●●●」と記す。

早速、遺書を作っておこう。
皆さんも証人になってください。
併せて、銅像をたてるときは募金への拠出もお願いしますヨ。
一口、そうですなあ、十万円で。
これから裁判員となる世の諸氏よ。
ワタシは、諸氏の様に、人格高潔、識見高邁な人物になり、プアを脱却した境遇になるよう、
その様な人生を目指しますぞ。もう、遅いかもしれないけど。
目標 裁判員!  
目指せ! 非常勤 裁判所職員(国家公務員)!

そもそも、このブログは、ワタシがプアである原因をつきとめ、そこから脱却する方策を考えるためのもの。
お釈迦さんは、出家してから菩提樹の下で悟りをひらくまで、確か6年ほどかかったと思うが、
ワタシはブログ開始(2008年10月)以来、4カ月強にして悟りを得た。
もっとも、お釈迦さんは「正覚(しょうがく)」の境地に達したわけだが、
ワタシは方向に気づいただけで、中身はこれからだから、比較にはならないね。
そもそも比較する方がおこがましい。
すぐ調子にのる、こんなことじゃあ「高潔な人格」は百年河清を待つに等しいかも。。。 
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チェ/39歳別れの手紙

2009-02-07 19:08:52 | Weblog
「チェ/39歳別れの手紙」を観た。
マリオンの日劇3。
映画やボリビアについて、幾つかの印象はあるが、瑣末なことなので書かない。

ただ、
ゲバラに最大の畏敬の念をもって哀悼の意を表します。
エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna)、
あなたは20世紀最高の人でした。
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