陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

仕事納め

2009-12-31 19:27:48 | Weblog
今日は、仕事納めでござります。
ワタシにとっての。

以前は、
元旦は年に一日の休日と、
少しばかり嬉しい気分で大晦日の仕事を終えたものでござったが、
今はもう、ただ何となくオワリでござります。

今年も自分なりのルールで何とか完走はしたものの、
結局のところ、改めてオノレの限界を痛感させられたトシでござりましたよ。
まあ、ワタシの能力では所詮こんなところでござりましょう。
と、思わざるをえませんなあ。
もう今さらジタバタせず、観念した方が我が身のためでござりましょうや?
溜息をつきつつ、帰ってから焼酎でも飲みましょうぞ。
このところ、肝臓の具合がよろしくないんやけどね。

来年は、もう明日であるが、寅年。
寅は千里を走るというが、どうなんでござりましょうなあ。
ワタシは年男にあたるが、
動物の虎は、いまや絶滅危惧種になるほど数が少なくなっているそうな。
ワタシもこれからは同じ道を歩むのでござりましょう。

明日の元旦は休日なので(このブログもお休み)、
韓国ドラマの「ヨンゲソムン(泉蓋蘇文)」の録画を見ようと思っていたら、
年末年始は番組がなく(普段の平日は毎日に放送)、録画ができていない。
やむなく、家人にレンタルDVDを頼んでおいたので、恐らくそれを見ることになる。
しかし、毎年のことながら、
いや普段も同じだが、
何故に、各局ともに番組がかくもくだらないものばかりなのでござりましょう?
特に年末年始は。
よくぞ、これほどまでにくだらない番組を並べられるものよと感心してしまう。
メディアとしてのテレビ業界は、遠からず壁にぶちあたるのでござりましょうなあ。
いや、もうその領域に入っているのでござりましょう。

家人に聞くと、
まだNHKでは紅白歌合戦をやっているそうな。
ワタシは、ムカシ、中学生の頃に見たことがあるが、
昨今は、視聴率が低迷しているそうな。
そりゃあそうでござりましょう。
海外の邦人には人気があるかも知れないけど。

あ、いや、
こんな戯言を書いていても仕方がござらぬ。
気力も体力も衰え、
アタマもココロも萎えてしまった一年でござったが、
そろそろ失礼をばいたします。
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年の瀬とリンパドレナージュ

2009-12-30 19:14:31 | Weblog
今日なんぞは、電車に乗っても、路を歩いても、
雰囲気が「年の瀬」ですなあ。
朝晩は冷えるが、日中は天気がよく、いい年の瀬でござります。

買い物をする人も多い様だが、何故にごった返すのか、ワタシにはまるで理解不能。
昔と違って、正月といっても何も特別なことはない様に思いますがのう。
まあ、デフレだから、買い物で財布のヒモが緩むのは結構なことなのかも。
ワタシは何も買わないけどね。
買うカネがないから買えないというのが正しい表現でござります。

職場の周辺は、カンサン。
これも結構なこと。
諸賢は、帰省その他でゆっくりとなさりませ。

ハナシが変わって、
今日、ジブンのことで改めて認識させられたことがありましたぞ。
リンパ浮腫の治療の一としての「リンパドレナージュ」。
仕事で、がん治療(リハビリ)の資料を見ていると(読むのではなく見る)、
これはワタシにも当てはまるゾと思いあたった。
(注)美容のハナシではござりませぬよ。

要するに、手足の「むくみ」で、四肢のだるさや疲れ。
完全に治るわけではないそうで、
効果の程はともかく、「圧迫療法を行いながらの運動」が推奨されている。
また、刺激(マッサージ)が良いとのこと。
これを機に、もう少し詳しく調べてみましょうぞ。

懸念は、
もともと悪い(アタマの)血のめぐりに加え、リンパ液のめぐりも悪くなり、
更にはフトコロの新陳代謝も一段と悪くなり、
クビを含めて、何もかもが「どうにも回りませぬ」という事態に陥ること。
う~む。うむうむ。
その防止策と対処策を、この正月に向けて考えねばなりませぬなあ。

しかし、これってワタシだけの話ではなく、
日本国も同じではござらぬか。
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年賀状(欠礼お詫び)

2009-12-29 16:57:57 | Weblog
公私ともに年賀状を全廃して、もう十年以上になる。
関係の方々には申し訳ないことでござります。

廃止した理由
(1)12月はそんな精神的余裕はござりませぬ
    ⇒ そんなことを言ってるから仕事もダメなのよ
(2)経費節約
    ⇒ 目先の50円+印刷費で鯛を逃しているかもよ
(3)ホントウは面倒なのでござります
    ⇒ それを早く言え!

いずれにせよ、年賀状は出さないと、相手からも来なくなりますなあ。
当たり前だけどね。
今や、受取る年賀状は僅か。
出さないのにいただいているとは、非常にまずいと思いつつ、
欠礼がつづいている。
ここに、伏してお詫びつかまつりまする。

昔は、普段の音信がない方からの年賀状は楽しみの一だったが、
今はいただいても、さっと見るだけ。
関心そのものが薄くなった。
トシのせいでござろうか?  

そんなワタシでござるから、
年賀状は勿論、お歳暮、お中元などなど、世の義理は全く無用でござりますよ。
ワタシも原則として何もしないから。
何かあった場合のちょっとした心づくしは必要だと思うが、
それを超えるものは、互いにナシにしましょうぞ。

形にこだわることなんぞ何~にもござりませぬよ。
ワタシが死ぬときも、葬式もナシ、墓もナシでござりますからな。
予め、お伝えしておきますぞ。
ま、人生、単純に生きましょうぞ。
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念ずれば花ひらく

2009-12-26 17:42:18 | Weblog
今年も残り少なくなりもうした。
いろいろあったが、結局、後退をくい止めただけの一年でござりました。
諸賢は、いかがでござりましたかな?

日本は、財政問題が更にズルズルと後退しましたなぁ。
ツケは、後日確実に巡ってくるが、どうするのでありましょうなぁ。
また、世界は、環境問題など、後退どころか破局に向かってまっしぐらですなぁ。
こちらは、もう後日はなく、近くカウントダウンが始まりますぞ。

それらと比べると、ワタシはまだ良い方なのかも知れませぬなぁ。
後退の度合いが小幅という意味で。
いやいや、後退の度合いの「プアくらべ」なんぞしても仕方がありませぬ。
所詮は、同じフネに乗っているのでござりますからなぁ。

『念ずれば花ひらく』
という。
坂村真民(さかむら・しんみん)氏の詩。

強いお人ですのう。
普通の人は、数回念じてそのうち一回くらいは花がひらくかも知れぬが、
ワタシの様な、ココロが貧しく、性根がネジ曲がった者は、
つまり、プアな者は、
いくら念じても花はひらかない。

念じ方が間違っているのか、
それとも、修行が足りないのでござろうか。
人生の修行が。。。

真民氏をまねて、
毎朝、未明に起き、宇宙の精神に耳とココロを澄ませ、
プア大明神に祈りをささげ、
そうして念ずれば、少しは違うのでござろうや?

いや、「プア大明神」が宜しくないのかも。
では、何に祈れば宜しいのぢゃ?
プア大菩薩? プア観音?
いやいや、「プア」じゃあラチがあきませぬ。
来年は、宗祖変えをし、新しい神なり仏を探すことから始めることにしましょうかのう。

本質的には、この神だのみがそもそもの間違いなのでござろうが、
しかし、ワタシに残された方法は、もはやそのくらいなのでござりますよ。

真民氏の詩の中に、

『かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない』

という一節がありますなあ。
何と! このブログとは正反対でござるよ。
このブログは、
『かなしみは、そのままに
アホなアタマも、そのままに』
でござりますからなあ。

強いお人は真民氏の詩のとおりなのでござろうが、しかし、弱い者はそうはゆかぬのでござりますよ。
プアな者はなおさらでござります。

ワタシにとっては、ただ「悲しみは星影と共に」でござります。
何と古いことよ、と言う人がいたら、あんさんも古いお人ですなあ。

ああ、今年もまた、アタマとココロとフトコロの「プア三拍子」から脱却できないままに、
年が暮れゆく。。 
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ミネルバのフクロウ

2009-12-25 08:58:00 | Weblog
冬は黄昏が早い。
まして、今は時代の黄昏と重なる。
いや違う。
過日のCOP15の状況など、人類の黄昏を予感させられますぞ。

『ミネルバの梟は黄昏とともに飛ぶ』
よく知られたヘーゲルの言葉ですなあ。

「時代の黄昏期には、時代を規定していた規範やシステムが役割を終え、
次代の新しい考え方や社会システムが到来して夜明けを呼ぶ」
と一般的に解されている。

そうでござろうかのう?
ヘーゲルが生きた時代ではそう思えたのかも知れんけど、
黄昏どきに、いつも新しい考え方が到来するとは限りませんぞ。
まして、黄昏の後は、夜にきまっとりますがな。
これからは、今までの様に、夜が明けるかどうかはわからんですぞ。
人類は、常に前に進むとは限らんし、ヘーゲルの様に思えた時代は幸せなんでありましょうなあ。

とは言いつつも、ひょっとしてとの期待感がココロの隅にあるのでござります。
次の時代のフクロウは、どこを飛んでいるのやら、と。
時代の黄昏とともに、ワタシ自身も黄昏時を迎えたから、
このところ、何か聞こえるかと耳を澄ませてるんやけど、何も聞こえてきませんがな。
もっとも、ワタシはミミが遠くなり、神の智恵を聞きわけるアタマを持っていないから、
ムダなことをしているのかもしれへんけどなあ。

結局、ただどんどん暗くなるだけで、
一向にフクロウなんぞ飛んできませんがな。
ワタシが見つけられんだけかもしれへん。
どなたか、フクロウを見つけたら、そしてミネルバの伝言を聞いたなら、  
どうぞ、ワタシに教えてくださいましな。
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アンダークラス

2009-12-24 08:59:10 | Weblog
新聞によると、今夜は世界の「多くの人々にとって」特別なひとときなんだそうな(日経「春秋」)。
多くの人々?
「ある特定の人々」じゃあないかと思うけどね。。

日本では、一日クリスチャンが増えるのであろうかの?
クリスチャンではないワタシにとっては、クリスマスなんぞ無関係。
まして、プアな者には普段と何も変わりはしませんぞ。
アンダークラスにとってはどうであろう?

「アンダークラス」、最近、この言葉が再び関心を集めているそうな。
もともとは「社会的要因による貧困層」の概念だという。
最近はそれに様々な視点が加味されているらしい。

普通の労働者の収入に満たない者たち。
今の日本でいえば、非正規労働者が典型的な存在とのこと。

日本の貧困線(最低限必要と思われる生活費の水準)は、
OECDの計算では、一人暮らしで約150万円、二人家族212万円、三人家族259万円、四人家族300万円。
7人に1人が貧困層だという。
アメリカと同じになってきましたのう。

150万円+@50万円でござるか。
しかし、都会と地方では生活費に差があるだろうし、
また、住まいが賃貸か、親元同居なのかで随分と違うと思うけど、
まあ、一つの目安といったところでござろうかのう。

ここに区分される層も問題だけれど、
もっと大きな問題は、
いつ何時、普通の労働者がこのアンダークラスに陥落するかも知れぬ、
その可能性に(密かに)怯えている。
みんなが。
ということではありませぬか?

ワタシの印象では、
このアンダークラスは、一度陥ったら抜け出せないアリ地獄の穴に落ちた者たち。
ブラックボックスと同じ。

イメージでは、
穴に落ちた者に加え、
まだ穴に落ちてはいないが、穴の周囲1mの範囲(=その境界線上)にいる者を含めると、
全体の80%を占めるのではありませんかのう。
逆に、一応の安全エリアにいるのは20%。
殆どの者がその境界エリアにいるが、気づかないか、怖いから見ない様にしているだけ。

ワタシも、会社を辞めたとき、その穴に足を踏み入れ、
ズルズルと10mほど下に落ちた。
その後、必死にもがいて、地表から5m下のところまで這い上がったが、
いまだに地表下での足踏み状態が続いている。
足の上げ下げを止めると、10mどころか、更にその下、穴の底まで落ちてしまう。
今は、地表下で、更に落ちることだけをかろうじて免れているが、
しかし、そのための足の上下だけでもホトホト疲れますぞ。

「幸福な家庭は似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書いたのは誰?
トルストイのおっさんよ。
ワタシゃ、逆だと思うけどね。
不幸なものは皆、ただしんどいだけの日々の連続なんでござりますよ。

穴に落ちるのは社会の仕組みが原因。
しかし、落ちた後、底まで落ちない様に這い上がるのは、ホンニンの問題。
それが資本主義の掟。
それが現実。
つまり、穴の周りに柵を張るとか、穴そのものをふさぐのは政治なり社会の責任であり、
不幸にして穴に落ちた者は、地表に出ようとするなら、自力で出ねばなりませぬ。
勿論、仕組みとして穴にロープを用意しておくとか、その辺りの措置は必要。
自力で抜け出せない者は、落ちる(堕ちる)しかござらぬ。
誰かや社会を頼り、タナボタを待っても、そんなものは期待するだけムダというもの。

カミサマ、ホトケサマを、声をからして呼んでも、
それはエネルギーの浪費。
穴に落ちたワタシにはよく分かる。
社会が悪いだの、政治が悪いだの言っても、それはジブンのい言い訳。
この資本主義の世に、自力以外のものを頼っても、それは筋違いというものでござろうよ。

穴に落ちた者にとって、地表は「坂の上の雲」。
雲を目指して坂を昇りましょうぞ。
とは言いつつも、
ワタシも、この数年段々と疲れてきて、坂の上はまだまだ遥かかなた。
永遠とはこれを言うのでござろうや?
しかし、ここで足の動きを弱めると、どうなるか。
一輪車は、こぎ続けないと倒れてしまう。

80%の者が、残り20%の者を成り立たせている。
80%は踏み台にされている現実。
これじゃあ、世を転覆でもせんとどうにもなりませんがな。
しかし、ワタシにゃあ、もはやそんな力はありませんぞな。
どうしたものでござろう?

仕方がないから、
バクダンでも抱えて落ちて、底にいる「蟻地獄」を吹っ飛ばしてやりましょうかのう。
クリスマスの花火として。
もっとも、バクダンが手元にないんだけどね。
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煙草増税

2009-12-22 08:57:32 | Weblog
迷走したあげく、やっと方向が固まりましたのう。
ガソリン税暫定税率、子供手当など。

ドサクサにまぎれて、「煙草増税」がしっかりと入っていますぞ。
1本5円値上げですと?
1箱400円ですと?
何ともハヤ。

今の世の中、喫煙者は世の中からメの仇にされているから、
ワタシなんぞも肩身の狭い思いをしながら生きているのでござりますよ。
家でも事務所でも、冬は寒空で凍えながら、夏は蚊にさされながら、
外で吸っているのでござる。
アメにも負けず、カゼにも負けず、の精神でござります。

その日陰者が、少しだけ言わせてもらいたいのだが、
増税の際、いつも言われることとして、
外国では(国により差はあるも)煙草の値段は高い。
それに比べ、日本は格段に安い、 との言。

値段は、為替や購買力、そして国情によって違うので比較は難しい。
そのため、ただ表面的な金額だけで比較するのは少々乱暴なハナシ。
例えば、
英国で平均的な煙草は、1箱約 1,000円というのはよく聞くハナシ。
マルボロ=イギリスで5ポンド、日本では300円。
5ポンド×150円=750円
レートが 200円の頃だと 1,000円、250円だと 1,250円。
確かに高い。
しかし、地下鉄(チューブ)の初乗り運賃は、4ポンド。

地下鉄初乗り運賃と同レベルと考えると、
日本の煙草の今の値段 300円は高いんじゃあないの? となる。
地下鉄初乗り運賃の倍なんだから(東京の営団比)。
しかし、この辺りは、深く詮索しても、上の理由で余り意味はない。
不毛な論議。

「健康のため増税」
誠にもっともなハナシ。
反論できず。
であるならば、禁煙せざるをえないというか、買えない値段にしてもらいたいもの。
1箱 400円とかいわず、1万円が良い。
同時に、(いつもの言になるが)
煙草だけでなく、健康や社会の害になる他のものも、大幅に上げてもらいたい。
煙草だけを狙い撃ちにしないで。

ガソリンなんぞは、もっと狙い撃ちにすべきですなあ。
そうそう、塩分のとりすぎは身体に毒。塩も増税すべきですぞ。
結果、タクアンもミソ汁も値上げですな。
な~んて、誰からも同情されない日陰者の独り言。 ミジメ。 
かくなるうえは、減煙または禁煙で、税収に打撃を与えてやるしかござりませぬなあ。
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プア村のCOP15(2) No decison is a decision.

2009-12-19 16:27:51 | Weblog
昨日に続き、コップ酒を持ってプア村の委員15人が参集。
残り少ないマンジュウの配分をどうするか、
一人ずつ意見を述べたが、みんな昨日と同じ事を繰り返すだけ。

肥満体の大食漢は、
 ・「話し合いの時期は終わった」
 ・合意に向け「ともに行動しよう」
 ・「過去ではなく、未来を選ぶ」
と、耳ざわりのいいことは言うが、ジブンが何をするかは一言も触れず。
コイツは、修辞を並べるのはうまいものの、実行力に難ありとされているが、
今回も同じパターン。
口先だけ。

もう一人の大食漢は、もうすぐ肥満体を抜く村一番の大食いになるが、
 ・「今は大食いだが、以前は小食だった」
 ・「家族の中に、まだ十分に食えない者がいる」
 ・「累計してたくさん食った者はカネを出すべき」
と、あいも変わらず責任のがれの弁に終始。
コイツは、昔ビンボウだったため、時と場合で、ビンボウと金持ちの立場を使い分ける。
COPのときは、ビンボウの立場。
会合の前に、村の蓄えをかすめとったマンジュウの一部を、痩せた者数人に分け与えたため、
痩せた村人の何人かの支持があるらしい。

ムラの東部の小さな集落から来た者は、
「食う量をみんなが減らすならワタシも減らす」と言うが、
その息子が(減量に)反対していることを他の委員は知っているので、誰からも相手にされず。
コイツは、以前はリッチだったが、今は借金まみれで首が回らない状態。
遠からず破産とのウワサがあるので、村人からは敬遠されている。
ホンニンはそれを知らずに、以前のリッチだった頃と同じ言動・態度なので、バカにされている。
近づくのは、残っている少しばかりの財産に下心があるヤツだけ。

てなことで、話しは今日も堂々巡り。
やむなく、「今回は何も決めないでおこう」ということが決まった。
来年、委員を一人増やして16人にし、コップ酒の会COP16を開くこととした。

来年?
来年まで蓄えのマンジュウは残っているのでござりましょうや?
結局、マンジュウは早く食ったもの勝ちの継続。
しかし、それは蓄えが残っている間という期間限定の話しで、
なくなったらどうするのでありましょう?

隣の村からプア村COP15の様子を見に来た傍聴者が、
帰りぎわに一言。
「コップ酒を飲むだけで、何もしない。プア村はアホ揃い」

【注】コペンハーゲンでのCOP15とは無関係です。
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プア村のCOP15

2009-12-18 08:56:02 | Weblog
プア村の会合。
それぞれの地域から選ばれた委員15人が集まり、コップ酒を飲みながら議論。

議題は、いっぱい蓄えていた筈のマンジュウが残り少なくなったので、
「どう配分するか」について。

なんで、マンジュウがもうこれだけしか残ってないのか?
誰が食べてしまったんだ?
知らないよ。
ボクじゃあないよ。
アイツだ。アイツが責任をとるべきだ。
ジブンだけじゃあない。オマエも食べたじゃあないか。
ワシは(今は)いっぱい食べてるけど、合計するとアンタより少ないゾ。
一番沢山食べている肥満体のヤツは、隅に隠れている。
この肥満体は、昨日「あるべき姿を目指そう」などと格好いいことを言っていた。
今は、この肥満体と、もう一人の食欲旺盛な者が、全体の半分近くを食べているらしい。
この二人は、何もしようとはしない。
ヘタをすると、いま食べている量を減らされるから、ただただ現状維持を主張。
蓄えが次第に減ることなんぞ知らぬ顔。
今、食べられるだけ食べてやろうとのコンタン。
痩せ細った者が、怒ってしまった。
今まで沢山食べたヤツはカネを出せ、と。

もう子供のケンカと同じになってしまいましたぞ。
結局は、ずうずうしいヤツがのさばるだけのプア村でござんす。

話しは、今日も堂々巡り。
議長は「もうやってられません」と辞任。
明日になると、ますますマンジュウが残り少なくなる。

仕方がないから、今日もほろ酔い気分で解散。
また明日。  
明日もタダのコップ酒が飲めるゾ。

これからの食べ物を心配して議論を見に来た村人は、会場に入れず、外で待たされただけ。
寒さで凍えそう。

【注】コペンハーゲンでのCOP15とは無関係です。念のため。
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遅刻&世相

2009-12-17 09:23:45 | Weblog
今日は、5分強の遅刻。
普段より+1時間15分の通勤時間で、いつもの倍。
ワタシが遅刻するのは、「常に」JRの遅れ。

相変わらずJRの対応は素晴らしい。
「事故です。振替え輸送をします。後はご勝手に。」
振替え券を渡す窓口は職員一人で、客は大行列。

久しぶりに京浜急行に乗ったが、乗った電車は、当然にギュウギュウ詰め。
腰と足が悪いワタシには大変なのよ。

いやいや、こんなことを書いてはいけませぬ。
ジブンの都合だけで物事を考えてはなりませぬ。
まして、ワタシの様な、ウジムシの様なプアマンにとっては、
遅れようが、どうであろうが、走るだけでもJRさまには感謝しなきゃあね。

電車に限らず、世の中の全てのことに、
ワタシ&我々は感謝すべきでござりますよ。

政府のさまざまな施策でも、
COP15の議論でも、
プアなワタシには到底及ばぬ人智のみなさまのご尽力があっての賜物でござります。
有り難いことでござります。
南無。。。。 
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