陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

ヨン・ゲソムン

2009-10-30 08:58:00 | Weblog
このところ、「ヨンゲソムン」という韓国ドラマを見ている。
平日の毎日に放映され、録画してもらったものを日曜日にまとめて見る。
5日分だから日曜日はそれでかなりの時間がつぶれる。

最初、「ヨンゲソムン」が「泉蓋蘇文」と結びつかなかった。
また、ドラマのタイトルの中で、ハングルの他に「淵蓋蘇文」と表記されている。
淵蓋蘇文? と思ったが、
調べたら、『旧唐書』、『三国史記』で、唐の高祖の名(李淵)を避諱し、「泉」にしたらしい。
ワタシは、「泉蓋蘇文(せんがいそぶん)」でしかイメージできない。

ワタシの朝鮮に関する知識は限りなくゼロ。
しかし、泉蓋蘇文は知っている。
日本書紀(皇極天皇元年条(642年))にも記述がある。
確認すると、「大臣伊梨柯須彌(いりかすみ)殺大王。并殺伊梨渠世斯等百八十餘人。仍以弟王子兒爲王」
とあった。

唐の脅威に対抗すべく、クーデターを挙行。
王族を抹殺し、大莫離支(だいばくりし、行政・軍事の最高ポスト)となって、
ことごとく唐を撃退した。
死後、唐・新羅連合軍の攻撃で、高句麗は滅亡(668年)。

英雄でござるよ。
蘇我馬子のイメージと重なる部分がある。
馬子が、泉蓋蘇文の危機感を継承したという方が正しいんでしょうなあ。

ドラマでは、
新羅の金庾信(キムユシン)が花郎(ファラン)であった青年期、
泉蓋蘇文はその郎徒であったとの設定になっているが、ホント???。
まあ、ドラマだからどうにでも脚色できるんだろうが。。。

金庾信は、新羅の金春秋(武烈王)を支え、
金春秋の新羅は朝鮮三国を統一した。
これらは皆、同時代。
(倭は、百済と共に白村江で大敗。)
朝鮮三国時代末期のみならず、動乱の時代は英雄が出ますのう。

その観点から見ると、
今の日本は、単なる衰亡の時代でござろうよ。

ドラマは面白いが、
隋や唐の皇帝が「アイゴー」と嘆く場面などは如何なものでござろう。
また、隋や唐の皇帝が臨席する場面が、ワタシのところの会議室レベルとは、
少々「???」ですぞ。
そんな細かいことを言っても仕方がないけどね。
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手当、補助金、助成金

2009-10-29 08:38:38 | Weblog
民主党政権がスタートしたばかりだが、
何だか自民党時代よりもひどくなりつつありますなあ。
何が?
カネのバラマキが。
コンクリートからヒトに優しい政策への転換というフレコミではあるが、
バラマキという意味では同じ。
表現が柔らかい分、かえって始末が悪い。

子供手当のみならず、高校教育の無償化もあるし、
更に、以前からの雇用調整助成金や、農業の補助金などなど、多くの補助・助成金がある。
中には、それなりに意味があるものもあるが、
殆どは感心しませんのう。

・支給する側
 → 支給することで、本来の根源的措置への対処が疎かになる
・支給される側
 → もらうことで、甘えが生まれ、依存してしまう

つまり、社会が甘えの構造そのものになってしまうこと。
支給される側は、そりゃあ有り難いでしょうなあ。
そのときは。
甘えずに、それを使って対策を怠りなくやれば、生きた金になるだろうが、
単に、カネが入った、助かったでは、解決を先延ばしにしただけで、
もらった者や企業が一時うるおうだけ。

一番の問題は、そのカネは誰のカネかということ。
支給が国なり自治体だとすると、それは税金からであり、ヒトのカネ。
富の再配分も勿論必要だが、
特定の者(達)や特定の企業に再配分されるとなると、如何なものでござろう。
その結果、ヒトのカネをアテにする者が出るとすれば、それは人間のクズ。
そのうち、周囲はそうしたジンシュだらけになりますゾ。

新たな支給や増額をするなら、原則としてその分は他の既存のものを削るべきで、
削れなければ支給すべきではない。
当たり前のこと。
削減は、現下の予算見直しレベルでは不可。
もっとバサバサ切らないと。
問題が起きようが、どうなろうが、切る。

ああだこうだと言っていると、何もできませぬぞ。
昨今のJAL救済もその典型。
社会的な影響も大であろうが、倒産すべきものは倒産させた方が、結局は良い。
OBの年金も当然に大幅に切る。
ジブンで稼げないんだから。
ヘタな手助けは、将来に禍根を残すだけ。

戦後の歌に「こんな私に誰がした」というのがありましたなあ。
世の中が180度変わるときは、そういう立場の者、階層が出る。
いやおう無く。
個人レベルでは如何ともしがたい。
しかし、昔と違って、今は変わるといっても、数十度程度。
こんな私になったのは、それはひとえにジブンのせいなのよ。
ワタシも、上の歌詞の様に言いたいが、それを口に出すと、笑われるだけ。
そして、ジブンがみじめになるだけ。
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「小学5年生」、「6年生」の休刊

2009-10-28 08:35:53 | Weblog
小学館の子供雑誌「小学5年生」「同6年生」が休刊とのこと。
いやはや、驚きですのう。

報道によると、人気キャラクタ不足もその一因とのこと。
そうでしょうかなあ?

小学館の贔屓をするわけではないが、
他社の同類雑誌を含め、この種の雑誌は、子供にとって必須のものと思っていたけど、
つまり、子供にとっての情報源という意味で、、、
しかし、もはや時代が違うんですなあ。

ネットや他のメディアで得ることができる情報も多いとは思うけど、
定番というべき紙メディアが売れなくなるとはねぇ。
信じがたい。

ワタシャ、子供には他のメディアを見させないでも、定番雑誌は読ませた方が良いと思うけど、
世の中、どうなってるんだろうねぇ。
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白馬は馬に非ず

2009-10-26 08:56:30 | Weblog
先週、連続で社内の勉強会をした。
テーマは、2010年4月施行の改定労働基準法。

【蛇足】 改定する法律を、役所はいつも「改正」という。
ジブンたちがやることは「常に正しい」+今回の改定も「正しい」ということ。
アタマを冷やしてこの100年をふりかえってみろ、と言いたいね。
100年どころか数年でも良い。
逆に、国民は、常に「改悪●●法」と呼ぶようにしてはどうであろう?

それはともかく、その一に、「月60時間超の時間外労働の賃金割増率は50%以上」がある。
その60時間超のカウントは、法定休日(日曜日など)の労働は全て対象外(8時間を超えた部分も)。

その理由は、
労働基準法上、法定休日の労働は、労働時間の全てが「休日労働」であり、
8時間を超えて働いても「時間外労働」にはならない定めになっているため、とのこと。

まあ、「取り決めの基準をどこに置くか」だから、そう決めましたで良いのだが、
「休日に時間外の概念はないから」というリクツは、そもそもが不可解。
結果、60時間超えの場合は、金曜日や土曜日の時間外労働の割増率(50%)が、
日曜日の割増率(35%)より高くなる。
つまり、60時間超えの場合、金曜日や土曜日の残業を禁止し、日曜出勤をさせた方がコストは安くなる、
ということ。
ふ~ん。
これもワーク・ライフ・バランスの一つでありましょうなぁ。

まさに教条的。
加えて、その取り決めに疑義を唱える者はあまりいない。
念のためネットで調べると、法律の専門家のサイトでも上の様に解説してある。
「法律でそうなっているからそうなのだ」と。
それどまりではホントウの専門家といえるでありましょうかのう。

連想すること-

いわく、白馬非馬説。
「白とは色の概念であり、馬とは形の概念である。
この二つの概念は異なる。
白馬は、この二つが結びついた複合概念であり、純粋な形概念ではない。
故に、白馬は馬ではない」
これと同じ。

同じく、バカの見本としてよく言われることだが、
「自衛隊は軍隊ではない」
何故か? → 日本は憲法で戦力を持たないこととなっている。
憲法に違反するものは、日本では存在してはならない。
従って、現に存する自衛隊は軍隊ではなく、憲法に違反していない。

数年前には小泉発言がありましたなあ。
自衛隊のイラク派兵問題で。
憲法で、自衛隊は武力行使が禁止されている。
従って、戦闘地域には派兵できない。
イラクのどこへ派兵するのか?
→ 小泉曰く「自衛隊の行くところが非戦闘地域である」

あいた口がふさがらないとは、このことでしたなぁ。
昔からこういうのは詭弁といいますぞ。
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松葉杖

2009-10-23 08:56:45 | Weblog
先週金曜日から足の具合が悪くなり、松葉杖を利用する様になった。
途中から普通の杖に変えた。
今日で一週間。

通勤は電車。
日曜日は休んだから、6日間で 6日×2=計12回通勤電車に乗った。
土曜日は朝晩とも最初から座れたので、それを除くと10回。
内2回、声をかけられた。
一は、「どうぞ」と言われ、その人が席をたったので、有り難く座らせていただいた。
二は、「座りますか?」と言われたので、辞退した。
(↑この差の意味は分かりますか?)
結果、譲られて座ったのは1回。
声をかけていただいたのを加味すると、15%の確率というところか。

なかなか思う様にならないが、極力、ドアの入口、戸袋のところの角に立つ。
手すりがあり、身体を預けられるから。
ここに立っていると、すぐ隣の席に座っている者が電車を降りた場合でも、
その者の前に立っている者がそのまま座る。
隣の角に松葉杖で立っているワタシに声をかける者は皆無。

ジブンの目の前に松葉杖の者がいると、譲ってくれる人もいるが(上のケース)、
少しでも角度が違うと、気づかないか、気づかないフリをする。
面白いものですのう。
まだ元気な人も、上の現実を何かの参考にされると良い。

【注】 湘南方面の電車の中で(松葉)杖の者を見つけたら、それがワタシである可能性もあるが、
ワタシの場合は席を譲ってくれなくて結構ですぞ。
立つことを承知で乗っており、譲られることは全く期待していないから。
期待する様になってしまったら、それは人格的破滅者でありましょうなあ。
ワタシは、アタマもココロもプアだが、そこまでは落ちぶれていませんぞ。
どうしようもない状態になったら電車を降りるので、
立っているということは、まだ耐えられるということ。


もう一点、改めて気づいた点は、グリーン車に乗る者は結構多いということ。
若い人も結構乗っていますなあ。
ワタシなぞ、特別な場合とか、体調がどうしようもない場合の、ごくごくごく限られた場合だけで、
会社を辞めてからは、20年弱で1回。
そのときは、同行者が乗るというから同伴した。

プアなワタシは、そもそもグリーン車に乗る身分や立場ではないことを承知。
(かってのワタシの様に)朝の通勤電車で、極度の睡眠不足を補うために乗ることはあるだろう。
しかし、夜の帰宅時に若い人が乗るとはどういうことなんだろうねぇ。
世の中、若くてもリッチな人はいるでしょうなあ。
フトコロもココロも。
いずれにせよ、ワタシには無縁のジンシュでござる。
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日本プア大賞 亀山継夫

2009-10-22 20:11:09 | Weblog
昨夜(10/21)の報道ステーションで、足利事件の冤罪を追っていた。
その中に、上告棄却当時の最高裁の裁判長 亀山継夫 へのインタビューがあった。

現在弁護士をやっているという亀山は、
その人柄をそのまま体現させた、飾らない応対をし、視聴者に大きな感銘を与えた。
それゆえ、亀山は日本プア大賞に相応しいと判断し、ここに賞することとします。


日本プア大賞  亀山継夫 殿
                 (元最高裁判所裁判長、現弁護士)

貴殿は、最高裁判所の裁判長として足利事件を担当、
2000年7月17日に「DNA型鑑定の証拠能力を認める」判断を示し、
被告(菅家利和氏)の刑(無期懲役)を確定させました。

被告の冤罪が明らかになった今、報道のインタビューにおいて、
貴殿は、懺悔は無論、反省のかけらも無く、職業人として傲慢不遜、
且つ人間としてもムセキニンな態度&発言で、
視聴者の気分をムカつかせると共に、
現在の裁判と、裁判官がいかなるものかを世に知らしめました。

貴殿のジブンとジブンの属する組織だけが良ければそれでよしとする自己保身は、
(アタマとココロの)プアの典型であります。
同時に、並みのプアには到底及ばない大プアが、あろうことか最高裁判所にいた(る)こと、
そして、「なるほど、世の中はかく生きるべきか」との範を反面教師として世に示しました。

その結果、子供がいる家庭では、
「ボクちゃん、あんな人間にだけはなってはいけませんよ」
とさとすことができる様になるなど、
倫理教育材料を自ら身をもって提供しました。

その献身的な功績は大であり、ここに日本プア大賞を贈り、永遠にたたえます。
また、貴殿をはぐくんだ五族郎党の陰の貢献も併せて賞します。

賞金: ナシ
副賞: 貴殿の五族各1食相当分の稗(毒入り)

授賞式は省略するものとし、
副賞は、プア大賞選考委員会までとりに来られたし。
なお、受賞の辞退は認められません。

2009年10月22日
プア大賞選考委員会


なお、この足利事件の判決に関係した主だった裁判官を次に記す。

●上告棄却当時の最高裁判事
亀山継夫(裁判長、現 弁護士)
河合伸一(現 弁護士)
福田博(現 弁護士)
北川弘治(現 弁護士)
梶谷玄(現 弁護士)

●再審請求棄却当時の宇都宮地裁裁判官
池本寿美子(裁判長、現 宇都宮地裁)
中尾佳久(現 宇都宮地裁)
佐藤裕子(現 松山地裁大洲支部)
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子供手当とモラルハザード

2009-10-16 08:54:38 | Weblog
概算要求が90兆円を超えたとのこと。税収が40兆円なのにねぇ。
更にどう絞るかが焦眉の急だとはいえ、国債の発行が不可避の模様。

その一因が、民主党主張の子供手当。
来年度の半額分で2.2兆円、フルだと5.3兆円だという。
ワタシは、この手当には大反対だが、民主党の看板だけに彼らは意地でも実行するだろう。

しかし、どうしても実行するというなら、その分は別枠にすべきでしょうなあ(⇒「子供国債」と命名)。
返済ありの奨学金と同じで、支給された子供たちが将来ジブンで負担する様に。

この国は、企業にせよ国民にせよ、
助成金、補助金、手当などというヒトのカネをあてにする風潮がますます高まっていますなぁ。
そりゃあ、当事者は助かるだろうよ。
しかし、それは元々誰のカネ?

特殊な場合を除き、本来、身体が動くのに、ヒトの金をアテにする者は、人間のクズ。
まっとうな人は、自力で稼ぎ、その中で生活するのでござるよ。
そんなことは、誰しも分かっとろうがな。
棚ボタは、部分ではありえても、全体ではありえない。

税収の2倍の予算規模の状態が長く続いているが、
誰もが指摘する様に、そんなことがいつまでも続くワケがない。
誰かがどこかで負担することになる。
ならば、子供手当ではその負担を明確にした方が良い。
「子供は社会全体で面倒をみる」な~んて、一見きれいな表現だが、
言葉のアヤに錯覚してはいけない。
介護保険でも同じ論法がまかり通ったが、実態はどうであるか。
ホントウに社会全体で面倒をみるなら、例えば、子供手当は月額最低10万円にすべき。
或いは、20万円でも良い。
中途半端が一番良くない。

懸念されるのは、国債という名の借金だけではない。
国民のモラルハザードが大問題。

上に書いたクズ人間が増えるにとどまらず、
例えば、
今だと、小さい子供をかかえていると「大変だね」となる。
手当が支給されると、「手当が出ているんだから大変さも当然」となる。
少なくとも、ワタシはそうなる(だろう)。
口には出さないけど、そう思う者は沢山いる様になると思いますぞ。

さすれば、世の中、クズ人間と、斜に見る者ばかり。
こりゃ、めちゃくちゃですのう。
「亡羊補柵」という言葉がありましたなあ。
羊が逃げてから、あわてて柵を修理しても遅いんだよね。
世の中にとっては、まだ、ワタシの様なプア人間の集団の方がマシかもね。
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ハブ空港

2009-10-15 08:57:57 | Weblog
羽田をハブ空港化するという。
当然、関空と成田が異議を呈している。
もっとも、千葉県知事の森田健作は「羽田と成田は一体的運営」なんて聞かされ喜んでいる。
今朝の紙面の写真では破顔。
言質をとり、県内向けにカオがたったと思っているんだろう。
アホなお人ですのう。

それはともかく、ワタシには、よく分からんのですよ。
アタマがプアなものだから、どなたかお教えくだされ。
何故に(ハブ空港は)成田、そして関空ではないのかを。

もともと成田を建設したのは、
羽田は能力の限界で、結果、世界に遅れをとるということでござった。
それが、今、何故に羽田なのかを。

Wikipedia で「東京国際空港」を見ると、次の様にあった。
『当時の港湾土木技術では沖合移転に必要な埋め立て工事には多大な困難が
予想されたこともあり、当時の運輸省は首都圏第二空港の開設を決定、
1966年に千葉県成田市に新東京国際空港(現 成田国際空港)の建設が始まる』

これって(Wikipedia の記事)、ホントウなの?
今、羽田拡張が可能となった新しい技術は何なの?
また、その技術は何時頃確立したの?
では、何故、そのときに羽田の位置づけを再検討しなかったの?
再検討したとすれば、その結果はどうであったの?
何故それを公表し、議論し、(羽田に戻す)方針変更をしなかったの?
表面的な説明だけでは何も分からんでござるよ。
民主党ではなく、国交省(運輸省)に聞きたいですがのう。

成田では、猛烈な空港反対闘争がありましたなあ。
今も細々と続いているけど。
ワタシが高校生の頃、大学生は、成田へ、成田へとなびいたものでござりましたよ。

成田が開港し(改めて調べたら1978年)、
その後、暫くの間、ワタシは成田を利用するに心情的な抵抗があり、
出張をいかに逃げるかで苦心したものでござった。
いつの頃からか、そうも言ってられなくなり、成田を利用する様になったが、
如何せん、遠い。
今でこそ、少しはアクセスが良くなったが、それでも遠い。
しかし、そんなことは最初から分かっていたこと。
関空だって同じ。(←関空を利用したことがないので想像で書いた)

羽田で国際線がどんどん飛ぶ様になれば、99%の者が羽田を利用するだろう。
そんなことは、自明のこと。
調べるまでもない。
成田なんぞ、千葉県民を除き、誰も利用すまい。
(ワタシがそう思うだけで、世の人は利用しますかのう?)

言い訳や屁理屈なんぞどうにでも言えるが、
要するに、グランドデザインが何もない、ということでござろうのう。
昔も今も、役所は当座の対処療法だけで、基本設計なんぞ何~んにもない。
成田が何故にあれほどの反対闘争の場になったか、
そして今も続いているか、
その原因は、成田に建設する(した)必然性が薄いこと、
そして何よりも、進め方がいいかげんであり、権力でゴリ押ししたこと。
どんな利権がからんでいたのか知らないけど、
きっと何かある(あった)に違いない。

民主党政権になって一番評価できる点は、
政策・施策という名のそれまでの利権&ダラダラ行政が、いかにいいかげんであったか、
それが明るみに出ること。
民主党を支援する訳ではないけれど、一党長期政権ではダメだという点。
何より、役人がだらけてしまう。
今回のハブ空港問題だけでなく、
国の膨大な借金だって、その大半は利権&ダラダラ行政の結果。

神戸空港、静岡空港ができ、茨城でも工事中。
新規開港したところは、さぞや賑わっているのでござろうなあ。
まさか、カンサンとなんぞしていないでしょうなあ。

人間、一度アメダマをしゃぶると、そのアメダマが当たり前になってしまう。
ワタシもアメダマをしゃぶりたいが、今は糖尿病で、ダメなんでござるよ。

民主党の子供手当も上のアメダマと同じことでござろうよ。
いずれ、別の問題が浮上するだろう。
国民のモラルハザードという、とんでもない大問題が。
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オバマとケネディ

2009-10-14 08:59:40 | Weblog
オバマをケネディ(J・F・ケネディ)とダブらせる向きも多い(と思う)。
昨日のブログの補足になるが、

広島・長崎がオリンピック招致に手をあげる点に関し、
> 2)オバマ&米国にプレッシャーをかける

という点。
勿論、これは核廃絶に向けた今後のオバマの行動に対するプレッシャーの意。

ワタシは、別にオバマを嫌っている訳ではなく、
大いに頑張ってもらいたいが、
世の期待感(最近は少し落ち目だけど)が大きいだけに、気になる点がある。

オバマ自身もケネディを標榜しているらしいが、
多数がイメージするケネディ像は、虚像というか、偶像に近いものがある様に感じる。
ワタシは、むしろ弟のロバート・ケネディをかっているのだが、
両名とも、殺された点が虚像を一層膨らませている様に思う。

日本でいえば、例えば、坂本竜馬と同じ。
生きていれば、という期待感が実像以上の人物像を作ってしまう。

自身の意に反したであろうが、ベトナムに深入りしてしまったのはケネディ。
結果として、ベトナムが泥沼状態に陥いる、その道筋を作ってしまった。
もし、殺されずに生きていれば、後世、どういう評価を得たであろうか。
ベトナムで、米国社会がどうにもならない様になってしまった責任者として評価された可能性は大。

オバマも同じ。
アフガン、イラクが泥沼になりつつある。
勿論、元々はオバマ自身が引き起こした訳ではないが、前任者の後始末で、
「平和」を回復すべく「増派」をする。
「正義」の名の下に。
その増派の連続は、結果として更なる泥沼を招く。
ベトナムと全く同じ。
正義は、オバマの、そしてアメリカから見ての正義であって、別の角度から見れば新たな侵略。
そして、オバマの意図とは違う方向に流れてゆく。
これは歴史の悪意。
いや違う、歴史の必然。

何が言いたいかって?
別のたとえをすると、
歴史上の暴君は、殆どが、個人をみれば抜きんでて優秀な人物であったということ。
(例外もいるけど。)
それが、歯車が狂うと暴君になってしまう。
ケネディやオバマを暴君と言っているのではなく、
個人がいかに優秀で、理想に向けて努力をしても、
歴史を味方につけねば、逆に反動になってしまう。

しかし、これは難しい。
歴史の意思は、人には分からないから。
結果でしか分からない。

ワタシが「歴史の意思」なんて言葉を口にすると、
人は笑うでしょうなあ。
ジブンのことも分かっていないプアが、人のことを言えたもんだと。
ワタシも、それを言われると、何も言えなくなりますなあ。

ま、オバマさんよ、
核廃絶に向けて大いに頑張ってくださいましな。
世界に核がなくなり、広島・長崎で平和の祭典が営まれる様に。
これって、かってのパックス・アメリカーナが形を変えて実現するということ?
もう、パックス・アメリカーナはありえないんだけどね。
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広島・長崎のオリンピック招致検討

2009-10-13 08:53:02 | Weblog
広島と長崎が2020年オリンピックに立候補を検討するという。
「核なき世界」実現へのアピールだというが、
どんなもんでしょうなあ。
両市の理念と五輪、
平和の祭典を標榜しながら、コマーシャリズムの権化と化した今の五輪とを混同しない方がいいと思うけどね。

ワタシは(五輪そのものには)関心がないけど、
国内のいろいろな意見を無視して(強引にでも)立候補し、

1)カネを使わない、形だけの招致活動をしてIOCがどういうものかをあぶり出す
2)オバマ&米国にプレッシャーをかける

という意味ではおもしろいのかも。
核廃絶-2020年の世界がどうなっているか、見ものですのう。
それまで生きる楽しみができましたぞ。  
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