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花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

傷んだ林檎│気虚と陽虚のメタファー

2015-01-15 | 漢方の世界


気虚と陽虚の違いについて学生から質問を受けた高教授が、林檎を例に挙げて説明なさったことがある。-----林檎の一部が腐り始め色が変わっている。気虚は、林檎のこの部分を切り落としたら残りの部分は美味しく食べられる。陽虚の場合は、色が一見変わっていない部分もすでに味が変質しているのだと。その時、高教授はそれ以上の説明をあえてお加えにならなかった。あえて言語化せずに「傷んだ林檎」として我々に提示されたメタファーなのである。気虚から陽虚の進行に際して問題は部分から全体に及んでいることなど、言葉でいくつかの暗示を理解しようとしても、恐らく高教授が「傷んだ林檎」で表出し伝えようとされた本質の一部に過ぎないであろう。

中医学の教科書的な説明で言えば、気虚証とは「元気不足、臓器の機能衰退の証候。常見される症状は、息切れ無力、だるさ、自汗、舌淡、脈虚」であり、一方陽虚証は「陽気が欠損して、温暖推動されず、臓器の機能が衰退する証候。常見される症状は、寒気と肢体の冷え、精神的疲労による無力、呼吸困難、味覚が減退し喉が渇かない、あるいは熱い飲み物を好む、尿が薄く軟便、あるいは尿が少なく浮腫、顔が蒼い、舌淡でやや肥大、脈は沈、遅、無力。」である。確実に言えることは、これらをまる覚えしただけでは「傷んだ林檎」の発想は生まれてこないということである。

最近読んだ論文「メタファーを通しての理解と知識―コトバという形式知と身体知としての暗黙知」(渡邊美代子: 東京経済大学, 人文自然科学論集129:p47-71, 2010)は、じつに多くのことを考えさせて下さる興味深い論説であった。コトバという形式知に置き換えても暗黙知が残されているのは何故かという疑問から始まり、人間の情報処理、コミュニケーションについての深い洞察が語られている。自分の頭の整理の為に、改めてここで暗黙知と形式知の定義を書いてみると、形式知とは言語や絵を用いて、あるいは実技の供覧などにより他者に伝えることが出来る知識である。そして暗黙知は、形式知になっていない無形の知識であり、コツや勘処というもの様に個人が実体験か修練を経て体得するしかない得られない知識である。

どの様な業界においても組織を強化し次世代に知的財産を伝えてゆくためには、個人に蓄えられた知識が共有されなければならない。そのためには、1人の個人が現場の経験から通じて蓄えてきたある種のノウハウは、皆が解る言葉や形にして引き出さねばならない。その暗黙知から知識を拾い上げ表出可能にする手立てとして挙げられているのが、メタファー(広義の比喩、狭義では隠喩)なのである。渡邊先生の論文では「最適なメタファーを用いて、暗黙知から知を掬い上げ、形式知に置き換えることができるか」ということともに、「コトバに乗せられずに暗黙知として残ったものをどれだけ感知することができるか」ということを重要な点として挙げておられる。さらにこの論文の末尾の方では、「因みに、日本文化には「話半分に聞く」や「話が上手すぎる」といった具合に、コトバというものに信頼をおかない傾向が窺え、このことはしばしば欧米の言語至上主義と対比されるが、この日本文化の特質は、先人たちがことばの本性というものを感知していた、もしくは見抜いていたことによる、というように読むこともできよう。」と、言葉で表せない暗黙知を重視する日本文化の特質についても言及しておられる。

真実は言葉を超えたところにあると考える日本文化(あるいは日本人の)性向についは、江戸時代の医学教育においても同様である。そこでも論説よりも修練が重視された。江戸中期の儒学者で医師でもあった亀井南冥の著書『古今斎以呂波歌』には、多くの諧謔に満ちた戒めの歌がならんでいる。「医は意なり、意と云ふ者を会得せよ。手にも取れず画にも書かれず。」、「論説をやめて病者を師と頼み、夜を日に継いで工夫鍛錬」などである。日本漢方には「方証相対」という、全身の症候を総合した証をそれに適応方剤に直結させる考え方があるが、学識や経験を重ねた治療者が有している、ある方剤が有効であると考えられる身体像のイメージもまたメタファーであり、言葉でつたえきれない理解があることを知るが故である。ふたたび「傷んだ林檎」に立ち戻る時、日本漢方も中医学も出発点や立場が異なっていても、優れた医術者が辿り着かれる境地というものは、もしかしたらそれほどの違いはないのではないか。どの道においても先人の遥か後塵を拝する私は、最近はそう思い始めている。

(追記:日本漢方とかかずに漢方の表記でよいのである。しかし「漢方=西洋医学に対する東洋医学」と考えておられる方もあり、あえて日本における固有の「漢方」と言う意味を強調するために日本漢方と記載した。)