
デンマークを初めて国際学会発表のために訪れた時、コペンハーゲン郊外に足をのばしてルイジアナ近代美術館を訪れたことがある。白夜で夜になっても街は明るく往来が絶えない。ぼんやりと鞄の蓋を開けて歩いていたら、開いていると街行く人が教えてくれた。森と海にはさまれた瀟洒な美術館の一室には、あの針金の様に量感を削ぎ落としたジャコメッティの彫像がたたたずんでいた。はるばると極東からヨーロッパのこの地までやって来た、ちっぽけな自分の滑稽なほどの気負いと不安と孤独を具現しているかの様であり、でもその確かな質感に慰められもした。深い藍色の海を見下ろすカフェで風に吹かれて飲んだ珈琲、柄にもなく目頭が熱くなった。
ルイジアナ美術館の別室には昔の居酒屋らしきしつらいがあった。その頃はやりであったらしい歌が流れる中であちらこちらの調度を眺めていたら、後からやってきた年輩の見学者に何処から来たのかと英語で問われた。会話の中で印象に残っているのは、この国の言葉がわからないと時代の雰囲気や文化は理解できないよと言われたことである。何処に旅する際も礼儀として、訪問する国の言葉を少しだけでも事前に学んでゆくことにしている。今ではすっかり忘れたデンマーク語の日常会話であるが、最後にMange takだけは言うことができた。遥か後になって改めて言葉と文化、そして民族の属性とその土地で発祥した固有の医学というものを考える時、このことが思いだされるのである。