どこからともなく優しい香りが漂ってくる。キンモクセイの花である。
キンモクセイは中国原産で、漢名は丹桂(たんけい)。日本には江戸時代初期に入ってきたとされる。和名のキンモクセイは、漢名・木犀(ギンモクセイのこと)の白い花に対して、黄橙色(金色)であることから、こう名付けられている。
キンモクセイの香りは、古くから香水だけでなく酒やお茶などに使われているが、最近では、アロマ(オイル)としての利用も広がっているようである。
いよいよ、本格的な秋である。
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ソバの花である。白い花は赤い茎、緑の葉と相まって清楚ながら美しい。
晩秋の山間の畑に咲くソバの花は、何とも言えない趣があり、日本農村の風物詩の一つであろう。
ソバは中央アジア原産で、日本への伝来は古い。蕎麦は漢名で、日本では古くは「そばむぎ」と呼ばれた。
かつて、ソバを食べると言えば「そばがき」「そばもち」のことであり、現在の細長いソバが作られ、好まれるようになったのは、江戸時代初期(寛文ごろ)とされる。
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孟宗竹の若可愛らしい芽が顔を出し始め、タケノコの旬を迎える。
もっとも、旧暦では、立夏の末候(新暦の5月15日~20日にあたり)を「竹笋生ず」と表しており、真竹のタケノコが出る頃を旬としていたのかも知れない。
竹は中国原産であるが、「孟宗」は漢名ではなく、冬に母のために筍を採りに行った親孝行な子供の名前だとか(牧野原色植物図鑑)。筍医者や筍生活と言った面白い言葉にも親しみを感じる。
いずれにしても、タケノコご飯や煮物など、あの香りとシャキシャキ感がたまらない。(近くの竹林にて)
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暦の上では、今日から二十四節気の一つ、穀雨に入る。
穀雨とは、多くの作物(穀物)を潤す春の雨が降る時期のことをいう。この時期の雨は、古くから瑞雨(穀物の生育を助ける雨)をはじめ、甘雨(草木を潤し育てる雨)、催花雨(開花を促す雨)、菜種梅雨など多くの呼び名があるように、作物生産に大きな影響を与えることが分かる。
写真は、恵みの雨を受けてたくましく伸びようとするカボチャの芽。これから多くの作物が「芽生え」の時期を迎える。そして、この季節の終わり頃には八十八夜が訪れる。(写真:近所の農園にて)
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半夏とはカラスビシャク(烏柄杓)の漢名。
半夏は夏の半ば(旧暦では4月~6月が夏)の意味であるが、暦の上では、夏至の期間を三つに分けた時の三番目の候で、カラスビシャクが生える頃として「半夏生ず」または「半夏生」と表される。
少し紛らわしいが、同じ頃に育つ半夏生(半化粧)という名の別な植物もあり、これに由来するとの説もあるようだ。
古くから農家の人々が田植を終わらせる目安、農事の節目としてきた時期である。新暦に当てはめてみると、今年は7月2日~6日の期間がこれにあたる。
(写真:カラスビシャクの苞の部分で、中に花軸がみえる。自宅庭にて)
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吹く風はまだ冷たいが、光はもうすっかり春である。
「木の芽起こし」とはこの時期に降る雨のことで、厳しい寒さを耐えた木の芽吹きを促すように降ることから、こう呼ばれている。陰暦2月を「木の芽月」と呼ぶこともある。
写真は雨後のユキヤナギの芽吹き。一雨ごとに膨らむ緑がきれいだ。
あけぼのの 白き雨ふる 木の芽かな 日野 草城
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今日は立春。初めて春の兆しが現われてくる頃のこととされる。
実際、写真のように何も無かった冬枯れの中にわずかに顔を出し始めた緑を、先人は「冬萌え」と表現している。美しい言葉である。
明日からも厳しい寒さが続くとの予報であるが、陽ざしには心なしか柔らかさがのぞく。
冬萌えの おちばすきまに 冴ゆるかな 室生犀星
(写真:市内逢瀬町の公園にて)
今日は二十四節気の一つ、冬至。
一年で昼の時間が最も短い日で、これから一日ごとに日足が伸びる。
かつては、この日が一年の始まりとされたこともあるとか。
今日は久しぶりの青空。陽にあたるユズの黄色がまぶしい。
ユズは中国原産。一般に、ユズを漢字で表すときには柚、柚子を当てることが多いが、牧野植物図鑑によれば、和名ユズの漢字表記は柚酸で、漢名で柚は現在のザボンになるという。
冬至と言えばユズ湯。ユズ湯は血行を良くして体を温める効果があり、冬至カボチャ等とともに体をいたわる風習として今に残る。
また、冬至は「一陽来復」の日とも言われるので、今日はゆっくりとユズ湯につかり物事の好転を願うことにしたい。(写真:近所の庭先にて)
この時期、一時の暖かさを春と勘違いして咲いた花。
帰り花、忘れ花ともいわれるが、狂い花といった不名誉な呼び方をされることもあるようだ。辞書には遊女、歌舞伎役者が2度目の勤めに出ること、ともある。
季節は立冬の末候(七十二候)にあたり、そろそろ氷が張り、霜の降りる頃となった。
これらの花は、本格的な冬を迎える前の自然からの贈り物なのかも知れない。(写真:庭に咲いた季節外れのつつじ)
菊日和、菊の花が咲く頃の良い天気のこととされる。何とも美しい表現だ。
この時期は各地で盛んに菊花展、菊人形展などが行われている。綿密な計算のもとに丹精込めて育てられた菊の花には感動すら覚えるが、秋晴の穏やかな日、雑多な菊が畑のすみに咲く風景をみると、鉢物には無い懐かしい昔の秋がよみがえる。
見かへるや 麓の村は 菊日和 龍之介
今年は不順な天候が続いている。数少ない「菊日和」を満喫したい。
(写真:郡山市大槻町地内の一風景)
写真は、昨晩(旧暦の8月15日)の月、ふつう十五夜の月、中秋の名月と呼ばれる月の姿である。色気のない不粋な写真になったが、旧暦の8月15日の月だから言っても、毎年このように完全な満月になることは無いそうなのでアップしてみた。次の機会は8年後になるという。
旧暦の秋は、初秋(7月)、仲秋(8月)、晩秋(9月)であり、中秋とはちょうどその真ん中ということになる。中秋の月を愛でる「お月見」という風習は、この日の月が「芋月」とよばることもあるように、秋の収穫物を供えて「五穀豊穣」を祝い、感謝することに始まったとされる。
この時期はちょうど秋雨や台風などの季節と重なる。このため「中秋無月」「雨名月」などと言われることもあるが、昨晩は久しぶりにじっくり鑑賞できた。晴天に感謝である。(写真:自宅ベランダより)
今日は八十八夜。
立春から数えた日数で、♪夏も近づく八十八夜・・・ と歌われるように春から夏への節目といえる。今年は気温変動が激しいためか実感に乏しいが、写真の芽吹きのように季節は着実に動いている。
この八十八夜は暦の上で雑節とされ、節分、入梅、土用、二百十日、彼岸などと同じように暮らしや農作業の目安として、日本で名づけられたものだという。
「八十八夜の別れ霜」といわれるように、当地方でもこの頃を境に霜の心配はなくなる。(今年はちょと違う?) また「八+十+八=米」で農作業を始めるのに縁起が良い日とされ、現在もこの日を目安にしている地方も多い。先人の的確な季節感、知恵に驚かされる。
ただ、月の動きを基準に数えた旧暦時代の八十八夜は素直に分かるが、なぜ二百十日は二百十夜としなかったのであろうか、少し気になっている。(写真:郡山市逢瀬町にて)
季節は二十四節気の立春から雨水へと移り、少しづづ春へと向かっているが、当地方はまだ寒い。
昔の人は、この頃のことを春寒(余寒とも)と表現した。
美しい言葉である。
写真は、つがいで仲睦ましくやってきたメジロのうちの一羽。
黄緑色の羽と白い縁取りの目、そしてその鳴き声、仕草が何とも可愛らしい。この姿を見ると、子供の頃に飼っていた自慢のメジロを思い出す。
軽やかなメジロの声に近い春を感じる。
(写真:郡山市の自宅庭にて)
今日は立春。この言葉を聞くと、なぜか心が浮き立つ。
立春。旧暦時代につけられた二十四節気の一つで、春の兆しが初めて見え始める頃とされる。実際には最も寒い時期にあたるが、別の見方をすれば寒さが底を打つ時期ともいえる。事実、写真のように、この頃を境に季節は少しづづ春へと向かう。旧暦の季節表現の妙に関心することしきりである。
よく、私たちは手紙の時候のあいさつとして「立春とは名のみで、厳しい寒さがつづきますが・・」などと使うことがある。しかし、そもそも立春の頃は寒いのが普通であり、”立春=春、温かい”は少し違うような気がする。変な理屈か?
音なしに 春こそ来たれ 梅一つ 召波
(写真:郡山市の自宅庭にて)