長靴のつま先に向き合ってシチリア島がある。このシチリア島の東南のシラクサに住んでいたため、とくにシラクサのアルキメデスとも呼ばれた天才がいた。一時、アレクサンドリアで数学を学んだともいわれている。
第二次ポエニ戦争でシラクサがハンニバル側(カルタゴ)に味方したため、ローマ軍に包囲されたときには数々の発明品(石弾を打ち込む器械を発明したり、凹面鏡を作ってローマの軍船を焼いたとも伝えられるが真偽の程は定かではない)でローマを苦しめた。
BC213年、シラクサ攻略を目指したローマ軍は、一人の人間の頭脳の力が四個軍団にも匹敵することをまざまざと見せつけられた。ついにこの年は、アルキメデス一人のために、シラクサ攻略が不発に終わった。
翌BC212年、シラクサの捕虜尋問から、狩の神アルテミスの祭日にはギリシャ民族であるシラクサの人びとは葡萄酒に酔いつぶれるのが習慣だと判った。
この期に乗じて夜間ローマ軍は城壁内に突入し一気にシラクサを占領した。
シラクサ陥落の際、ローマ側の将軍マルクス・クラウディウス・マルケルスは 「決してアルキメデスを殺すな」と命令を下していたが、
地面に図形を描いていたアルキメデスはそれを踏みつけた兵士に反抗し、結果その一兵士の手によって 殺害された
(アルキメデスの最期の言葉は、「私の図形をこわさないでくれ(私の円を踏むな)」だったと伝えられる)。
その兵士は命令違反によって処刑され ている。その後、その報告を聞いたマルケルスによって墓が作られたという。