同窓生にチャンバラ小説を紹介してもらったところ、山田風太郎氏のチャンバラ小説多数とともに、この作品も紹介された。
それが、この作品を手にした動機だった。こんな作品があったとはまったくの驚きだった。
「・・・あの戦争の、特に民衆側の真実の拍動を伝えた記録・・・」という、この本の「まえがき」にあるように、著者自身の目で見た赤裸々な敗戦時の民衆の実態であった。
この日記の前年、昭和十九年11月24日は、東京空襲が開始された日であった。この日を境に、東京市民が傍観者から当医者へと変わったのだった。
この日記は、医学生であった山田風太郎氏が、翌年の元旦に始まり大晦日で終わっている自分の日記を公開したのである。
冒頭は、次で始まる。
昭和二十年1月1日(月);薄曇りのち晴れ
運命の年明く。日本の存亡この一年に係る。・・・
昭和二十年12月31日(月);大雪
雪降に降る。・・・○運命の年終わる。 日本は亡国として存在す。
われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。未だ全てを信ぜず。
で終わっている。
当時の敗戦(終戦記念日=昭和二十年8月15日)前後という大変な時期の日本人の姿や行動がありのまま赤裸々に書かれている。
本当にそうだったのだろうと思い、またなんと冷静な人々(国民)なのだろうかとも思った。(ちょうどこの度の大震災の時に、東北の方々が秩序正しく助けあいながら、道徳的で冷静な行動をとったのと、とても似ているのではないのだろうかと感じたのである。)
二十歳初めの著者が大変頭がよく高い教養を持っていたため、恥ずかしながら古希の小生でも読めなかったり理解できない部分がかなりあった。それで十分に内容が理解できたわけでもないが、大変貴重な資料だとういことは分かった。
長すぎるという問題はあるが、反戦教材として内容的には従来型のものよりは優れていると思う。大学生達が読んでくれるといいと思っている。(国民の生活面目線での貴重な資料である。)