今年は夏から雨が多く、気温差もきつく、野菜が大変だと聞く。こうしたことから、もしかして野菜は工場で作った方がもうかると思う人も多いだろうし、それを実行している企業もある。野菜は土などなくとも作れることはよく知られている。工場で野菜を作ることに欠かせないのが、自然の力を間接的に使う技術、つまり工業だ。自然の力とは、気温、土壌微生物、太陽光、水、鉱物、化石、そしてタネのことだ。これを直接使わないで、石油などの力を使ってタネの生長と得るべき収穫物の量と質を最適化する、そして生物を災害から保護する2点を工夫すると野菜は商業的に作れる。すべてはコストを下げるための技術なのだが、実は本当のコストは環境が負担している。この農法では、IC技術、コンピュータ、スマホの使用が欠かせない。それで農業は革新されらと考える向きは非常に多い。だがそれは言うまでもなく考え物だ。 . . . 本文を読む
暑い夏。世の中の動きも暑苦しい。リオオリンピックも興味が持てない。どうしてかを考えている。こういう時に宇宙の写真を見て考えることにしている。今地球のある銀河には400億個の太陽があるそうだ。太陽系という星団もその程度あるとしたら、それがすさまじい数である。さらにわかっていることらしいが、宇宙には銀河(島宇宙など)は1兆個もあるという。もはやこれは数字で考えることすらむなしくする現実だ。時間とは何か。空間とは何か。エネルギーとは何か?地球という小さな空間で試行している概念は果たして宇宙に通じる概念なのであろうか?この200年足らずの工業文明は、我々を「飛躍」させ、人間の偉大さを自認せしむるほどの革命的な事象であった。だがそれは偉大なことなのだろうか、我々の有している価値観は、正しいのであろうか?、7年前に書いたものを参照している。人類の信じてきた世界観は、いまや機能しなくなったことに注目する必要がある。現代の世界観とは機械的世界観であり、アイザック・ニュートンによって用意されたものである。これが産業革命を可能にし、精神生活よりも物質的繁栄に眼目を置く機械化万能、工業化万能の近代文明への道を決定した。人類はこの道を400年以上も永遠の真実であるかのごとく信じ、猛烈なスピードで突進し続けた。今日、われわれの価値意識を規定して機械的世界観を廃棄することを拒み、恐れ、あるいは考えたくないという状況に覆われている。
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私はマニュアルとは機械や武器や薬剤を使用する時の手順であると思っている。それ以上ではない。命を取り扱う医療関係者も、航空機パイロットも、バス運転手も、薬や食料を生産する労働者も、そして子供に加工食品や生鮮野菜を食べさせる親たちさえもマニュアルに従っていれば高いレベルのサービスが効率的に、また豊富に提供し、提供されると信じて働いている。しかし、これは危ない考えである。 . . . 本文を読む
毎朝、多摩川湖畔を歩いている。朝歩くのと昼歩くのと、目に入ってくるものが全く違っていることに気付く。それは朝と昼とでは自分の嗜好対象や思考回路がかなり違っているからであろう。
朝は、道路や川べりの自然に目が向く。昼は、自動車や電車そして信号や店の看板に看板に目が向く。 . . . 本文を読む
地方再生の声が賑やかだが、地方からの人口流出は止まらない。その大本の原因は農業が壊れてきているからである。農業がどう壊れているかは別として、地方経済は農業が土台であるという原則が放置され、「儲からないから止めろ」「でも票 がほいいから補助金をばらまこう」となって農家の誇りをきづ付け、後継者がうまれない状況がずっと続いている。そこで農業という固定観念(呪縛)を観光農村というコンセプトで、景観という資源を活かす道がないだろうか?その条件は水田の美しい姿を保つこと。米作りは農村の景観美しさの元なのだ。米作りを止めるなどという選択は極めて愚かだ。世界と競争するために変な生産性を上げるよりも米を景観として、そしてエネルギー資源として生かせばもっと利益が上がる。政治家はダメ、公共投資はダメ、農業はダメ、地域はずたずたに、構造改革の出来ない日本となり苦しみが続く。「補助金をもらわなければ何もできない」という閉塞感が拡がった。 中央に頼らず、自力で産業を興す。江戸時代の各藩はその意気で地域経営をしていた。 各地域に「自分の哲学」で固有の産業構造をつくる。自分で自分の経営をする、もうすぐ市町村はその存在を問われることになるでしょう。補助金頼りもうだめ、中央直結や大企業下請けではなく、住民が主人公で、住民のエネルギーでまちづくりをする、ここにしか地域復活の活路はない。しかし、世は国際化時代で広い視野と人脈、最新の知識情報の入手が必要です。その上に自分の哲学と、実行力と・・・。15年前の日記にそれらしい発案をしてみた。 . . . 本文を読む
日本人は太陽は赤いと教育されている。「白地に赤い日の丸をあげて」と戦前の唱歌。「真っ赤に燃える太陽だから七つの海は恋の季節よ」と流行歌。日本人は太陽は赤いと言うがこれに対し、いや違う、太陽は白いなどという異論は出しにくい。画一性教育(暗記教育)は○×式で色々な事象を記号化して一丁上がりとする。疑問も差し挟まない、異論も言い出しにくい、こういう文化がある。実際に太陽を見ると、時と場合によって決して赤くはないのだ。太陽は白く見えるときもあるし、黄色く見えることもある。もちろん赤く見えることもある。世界では、太陽は白いという常識をもつ民族もあるし、黄色いとうのが常識の民族もある。私たちは、太陽が赤いなどの例のごとく、記号的な情報が当たり前だとしてこれを前提として議論を運ぶことが多い。 . . . 本文を読む
役所など大組織は、最近では大マスコミなどは、美味く分担され(管理され)それなりに動いている。しかし、その動き方は緩慢であるし、失敗をしない、責任を自分のところに持ってこないように、ことコチノ頭になっている。だから面白くない。企業だったら、担当者が失敗もし、リスクを冒してはじめて成功の淵に届くのであるが、これも大企業となると危険は犯すべからず、責任を引き受けるべからずと、守りのシフトが強く、頭の良い担当者ほど上を向いて歩こう、ヒラメのように上に目を付けてごそごそ動くことが、習性となる。 . . . 本文を読む
2000年、農業を巡って、ありとある人達が農業について論戦を戦った。不思議なことに農業を営む人ではなく農外の人達、特に学者や評論家、財界人が多かった。そして思うに、これらの評論骨格はたった一つの言葉、生産コストが主語になり、見事に人間や自然が抜け落ちていたことだった。 . . . 本文を読む
農村は「経営」を現場で調査しなくては分からない(2000)
生活や生産の現場で何が苦しいのか、このことは統計とか人々の表情とかの表面を見ていてはわからないことが多い。農業の経営を見てい来た私にとっては、いい加減な学者やコンサルタントが、非常に権威主義的に、上から目線で「農業経営を語り、改善を提言する」姿にいやになるほど遭遇してきた。TPP導入でれる戦う日本農業の「美しい」未来像」を成功した経営者像の例示によって、農業農村に住む人達を「説教」している学者、コンサルタント、ジャーナリスト、この人達の薄っぺらい人生を見透かすことが出来る。 . . . 本文を読む
遺伝子組み換えという言葉だけはずいぶんポピュラーになった昨今である。そしてそれは何やら危険で怖そうなムードを落としている。遺伝子工学の進歩はめざましい。医学分野や製薬分野では、この技術によって驚異的な進歩が期待できるのも事実である。ただ、作物を作るのに遺伝子組み換えがよいのか、あるいは、この作物を育てるために他の生物を排除、あるいは地上から抹殺してしまうことは無いのか、議論を聞いているとむくむくと恐ろしい悪夢が漂う。この技術を駆使してアメリカやブラジルなどの超大国の農業は革命が起きつつある。両国は世界の食糧基地でもあるので、現実問題となってきた。もしかして人類の存続問題につながるかも・・・15年前に感じたことをそのまま記載しておく。 . . . 本文を読む