地球温暖化の原因は二酸化炭素を出し続けたことにあった。二酸化炭素が植物に吸収され、固定されて大気中の濃度が一定であれば、温暖化という危機はなかった。しかし、人類は産業革命以後、化石燃料、つまり石油や石炭を燃やし続けた。出ている二酸化炭素はゴミであることがよく知られるようになり、人類は焦り始めた。しかし、人間社会の経済の仕組みは、そのゴミを処分し、空気中から減らすことは出来ないものとなっている。その仕事は政府がやるか、民間のボランチアがやるかしかないのであるが、それは自由経済にとてつもない規制を要求する。たとえば、燃料転換や化石燃料の値上げ、運送制限などである。そんなことをすれば、経済活動は窒息するということで、経済力が大きければ大きいほど反発が大きく、ニッチもサッチも行かなかった。人類は、そういう経済にどっぷりと浸かっているので、ゴミで殺される所に来ている。
二酸化炭素を減らし、地球温暖化を食い止めるために、生産や流通の過程で大量に排出される二酸化炭素を出さないことが叫ばれているが、今一つ重大な問題がある。それは我々が営む経済を変えることである。
商品化されるものは、多くのものが幻想の満足にすぎないとフランスの批評家E・Hフロムは言っている。商品はゴミを生産し、消費はゴミをためる。消費者は気づかないうちに、ゴミ社会に安逸をむさぼり、人間はゴキブリのように繁殖していく。リサイクル社会はゴミを拡大再生産し、ゴミの重圧で生態系が壊れるまでそれを続ける。増え続ける温暖化ガスに対して人類はどうすべきか、自由経済の原理と論理の中に救いを見つけることが出来ないと私は思う。
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世界中の識者は、二酸化炭素を中心とする温暖化ガスが、産業革命時よりも2%多く放出され、その勢いが増していることを知っています。それはもちろん先進国の工業化に責任があります。このままの勢いで放置しておくと、21世紀中に人類も生物も滅ぶことは間違いない、と言われています。こうした悲劇を抑えるにはどうすればよいか、世界中で知恵を絞り、対策を分け合って行かねばなりません。そういう話し合いが、今、地球中で行われています。やらねばならないことは、国と国のレベル、国のレベル、地域のレベル、企業のレベル、家庭のレベル、個人のレベルで、同じ目標を共有し、おのおのの条件に応じてきめ細かく行う必要があります。 . . . 本文を読む