姦通罪が、明治政府によってあらためて制定されたのが1889年、明治憲法の発布と同時期だ。姦通罪とは夫のある女性が夫以外の男性と姦通することによって,その女性と相手方について成立する(女性を罪に問う)犯罪。「夫のある夫人で姦通した者は六ケ月以上二年以下の重禁錮に処す。その夫人と相姦した者も同じ刑に処す。本条の罪はその夫人の夫の告訴を待ってその罪を論す。ただし夫が先に姦通を縱容した場合は告訴の效なし」とされた。
昭和6年、女性の参政権を求める請願に貴族院が反対した。反対理由は次のようになっている。「女は生理的に男に劣り、この請願は我が国の家族制度の美風を破壊する欧州かぶれの悪案。」貴族院議員、井田某。「婦人公民権法案」反対演説。当時の支配層の認識は女性は劣った性、子供と同格に扱われていたのかも知れない。
われわれの親の世代には、国民主権という概念のかけらすらなかった。こういう時代には、女性は、劣った性として(家庭の中では)家長に従属するのが常識とされた。また女性もほとんどこれに異を唱えることも無く、言ってみれば、これで収まっていた。 . . . 本文を読む