田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151206 愛と遺産/遺産争族

2015年12月06日 17時08分40秒 | 愛・LOVE・友 

親が死ぬと遺産がそこにあり、一瞬小金持ちになる可能性を前にすると、遺族はその相続を巡って汚い争いを開始するケースを多々聞く。遺産という概念が金銭のみで表される限り、相続を争った場合、その後関係修復困難で遺族は以降助け合う関係にはならない。お金は罪づくりなのである。バラバラになった遺族は今後どう世の中を渡っていくのだろうか?それは恐ろしい孤独の世界ではあるまいか?やがて年を取り、高齢者になっても親類の絆は使えず、心理的には憎しみだけが煮詰まって腹の底に沈殿し、それがまた病因にもなっていく。

私の父は我ら兄弟に遺産らしい物は何も残さなかった。このためでもあろう、われらは今でも和気藹々慈しみあう親族関係にある。今30年前に死んだ父の書き残し(自分史)を読み返している。この書き残しは、謹厳実直で人にへつらうことを嫌い、「笑わン殿下」と異名を取ってきた父が、言葉として遺族達に「愛」だの「情」だの気持を伝えていないが、淡々と語る文章の端々に自分史の読者は息子であり娘であろうという想定が読み取れ、自分が獲得した知識や失敗したこと、人との接し方、社会を見る目などについて懇切な解説を発見することができる。最近歌った歌曲の中で「愛」とは遥かな昔を思うこと、見えない未来を信じること、繰り返し繰り返し考えること、命をかけて生きること」(谷川俊太郎の詞)という下りがあるが、父が残してくれた言葉の含蓄がこの歳になって、改めて生きることの喜びや楽しみを授けてくれている.

育ててもらった両親、祖父/祖母や一緒に暮らした父母、兄弟、友人・・・そしてふるさとの景色がおり混ざって、父の言葉が、力強く生きる力を生産する決して枯れることのな愛の泉であり、それは金銭の持つ効用などとはお呼びも付かぬ宝(遺産)であることを知る。

現代社会を覆う拝金主義は結局を孤立に追いやり、父母の愛の究極を理解できない、愛を知らない人生を強いる。若くして巨万の富を受け継いだ瞬間から多くの人は、親類ばかりではなく他人を警戒し、おびえ、そのために人や場合によっては近親のものを警戒し、攻撃する性を身に付け、貧しい文明の追加的構成者になる。それが、やがて自分の息子や娘達にもコピーされ子孫の発達を阻害するようになる。金銭に支配されたこの人生はどのように決算されるのだろう。


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