前述のとおり、10年前に他界した藤井先生の隠居後の名前を藤井善兵衛といいました。藤井家が松屋百貨店の宗主の直系だそうです。南伊豆の農家から買い受けた寓居には名札「善兵衛・竹林精舎」と書かれていました。先生は遺産を取り崩しては旅費をねん出し、世界を広く各駅停車の鉄道旅行を楽しまれたようです。聞けば造園に焦点を当てて手記を多くものされました。これらのレポートは「車窓から見た日本の植物」(1961、現代教養文庫社)というご著書などのほか、大塚製薬の薬報に50年近く連載され、5万枚のスライドとともに得難い資料となっているようです。
先生は緑と健康(療法)の関係をいろいろな視点から論点化し、それを実際化(課題化)する作業に私にも力を貸せと度々手紙をよこしてくれました。1970年以前に厚生省の病院造園研究班が存在し国立病院、国立療養所の病院長、事務長、その他各病院の医療・介護スタッフの自主参加、その上に東京農業大学・千葉大の造園学の先生たちや都市計画や造園緑地の専門家たちも参加していました。医・薬・園・病院経営の異業種参加の研究です。これに私も末席参加させてもらいました。藤井先生はこの中心メンバーとして議論をリードされていました。(続)
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