●国際政治と国内政治
1月。駐米野村吉三郎大使「日本にとっての大東亜共栄圏必要性、大東亜建設協力を求める」
5-6月。松岡外相訓令を持ち「米国要求は、日本の太平洋での武力不行使、中国からの撤退、など」。
4月。日ソ中立条約。
6/22ドイツ、ソ連に侵攻
7/2御前会議決定。「対英米決戦を辞せず」南方作戦の追認。
7/25在米日本資産を凍結。
7/28御前会議。
7/28仏印進駐強行。米国の警告無視。
8/1米国、対日石油輸出禁止。
8/14 太平洋憲章。米英首脳会談で。①一切の侵略行為とその結果を認めない②関係国民の希望と一致しない領土変更は欲せず③全ての国民の政体の選択権を尊重。
11/26米国国務長官ハルのノート。従来の見解を繰り返す。
12/8米英に宣戦布告
●国家財政の様子
国家総予算192億円。臨時軍事費89億円。
●戦争準備態勢と軍民統制
3/3国家総動員法改正。
。
4/3皇紀2600年記念事業、八紘の基柱。奢侈品等製造販売制限規則。
7/18第三次近衛内閣
9/6御前会議。帝国国策遂行要領採択。「①自存自衛のための対米英欄戦争を辞せず。10月下旬を目途に戦争準備の完遂②米英に対して日本帝国の要求を貫徹につとめる③この要求が10上旬までに貫徹目途無き時は、直ちに開戦。米ソの対日連合構築に警戒。---帝国の要求事項。①米英は帝国の支那事変処理に口を出し、またはこれを妨害せず。②米英は帝国の所要物資獲得に協力すること。--要するに、中国問題は口を出すな、戦争に必要な物資は供給せよという、独善。
9/13中学男子の制服を国防色異色に。
10/15御前会議。「12月初頭に開戦決定。
10/16近衛内閣崩壊。東条英機内閣発足。松岡外相退任。
12月刑法改正。「流言飛罪」
12/9非常措置として全国215人を検挙、150人を予防検束。
12/19言論出版、集会、結社等取締法。治安維持法全面改正。
東条陸相が「戦陣訓」を全陸軍へ交付。「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」
●軍隊の動き
この年初頭、関東軍35万人に達す。
2/7国防保安法
4月。生活必需物資統制令、
6/4日本軍機24重慶爆撃、5時間。
6/5 大地下壕事件、1200人の市民窒息死。
7月。 南部仏印侵略。
9/18大本営陸軍部。作戦準備指令。南方へ兵力移動開始
11/5 連合艦隊に作戦準備指令
11/6南方軍に要域の攻略を指令。
12/20防空法改正(防空場の障害物除去の権限)
独ソ開戦にともない、関東軍特殊演習。70万の大軍集結。13個師団 編成に。 海南島からマレーへ進軍
12月、シンガポール大虐殺事件。25軍司令部。華僑粛正命令。。"
12/8米英に宣戦布告。詔勅「帝国の真意を理解せず、みだりに事を構えて東亜の平和を攪乱し、ついに帝国をして干才をとるに至らしめ・・・。
●マスコミ
「自存自衛」のキャンペーン」このころから始まる。東南アを攻め込むには中国と同じ口実(悪者退治)は使えない。しかし「自衛」とは言えない。そこで「自存」という言葉を造語、盛んにキャンペーン。自存とは、「日本が生きるための必要な資源を確保」すること。大東亜新秩序の建設。今度の対米英戦争を支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称する。大東亜戦争と呼称するのは大東亜新秩序の建設を目的とする戦争であることを意味する。
"戦陣訓の歌(1941年4月)
(梅木三郎作詞:須磨洋朔作曲)=(歌唱;徳山漣)
日本男児と 生まれ来て
戦さの場(にわ)に 立つからは
名をこそ惜しめ 武士(つわもの)よ
散るべき時に 清く散り
御(み)国に薫(かお)れ 桜花
情けに厚き 丈夫(ますらお)も
正しき剣(つるぎ) とる時は
千万人も 辞するなし
信ずる者は 常に勝ち
皇師(こうし)に向かう 敵あらじ
五条の訓(おしえ) かしこみて
戦野に屍(しかばね) さらすこそ
武人(ぶじん)の覚悟 昔より
一髪(いっぱつ)土に 残さずも
誉れに なんの悔(くい)やある
山ぬく威武(いぶゐ)も 騎(おご)るなく
海をも出ずる 陣をもち
つらぬく大義 三千年
大和心の ひと筋は
これこそ 軍の大精神
1月。駐米野村吉三郎大使「日本にとっての大東亜共栄圏必要性、大東亜建設協力を求める」
5-6月。松岡外相訓令を持ち「米国要求は、日本の太平洋での武力不行使、中国からの撤退、など」。
4月。日ソ中立条約。
6/22ドイツ、ソ連に侵攻
7/2御前会議決定。「対英米決戦を辞せず」南方作戦の追認。
7/25在米日本資産を凍結。
7/28御前会議。
7/28仏印進駐強行。米国の警告無視。
8/1米国、対日石油輸出禁止。
8/14 太平洋憲章。米英首脳会談で。①一切の侵略行為とその結果を認めない②関係国民の希望と一致しない領土変更は欲せず③全ての国民の政体の選択権を尊重。
11/26米国国務長官ハルのノート。従来の見解を繰り返す。
12/8米英に宣戦布告
●国家財政の様子
国家総予算192億円。臨時軍事費89億円。
●戦争準備態勢と軍民統制
3/3国家総動員法改正。
。
4/3皇紀2600年記念事業、八紘の基柱。奢侈品等製造販売制限規則。
7/18第三次近衛内閣
9/6御前会議。帝国国策遂行要領採択。「①自存自衛のための対米英欄戦争を辞せず。10月下旬を目途に戦争準備の完遂②米英に対して日本帝国の要求を貫徹につとめる③この要求が10上旬までに貫徹目途無き時は、直ちに開戦。米ソの対日連合構築に警戒。---帝国の要求事項。①米英は帝国の支那事変処理に口を出し、またはこれを妨害せず。②米英は帝国の所要物資獲得に協力すること。--要するに、中国問題は口を出すな、戦争に必要な物資は供給せよという、独善。
9/13中学男子の制服を国防色異色に。
10/15御前会議。「12月初頭に開戦決定。
10/16近衛内閣崩壊。東条英機内閣発足。松岡外相退任。
12月刑法改正。「流言飛罪」
12/9非常措置として全国215人を検挙、150人を予防検束。
12/19言論出版、集会、結社等取締法。治安維持法全面改正。
東条陸相が「戦陣訓」を全陸軍へ交付。「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」
●軍隊の動き
この年初頭、関東軍35万人に達す。
2/7国防保安法
4月。生活必需物資統制令、
6/4日本軍機24重慶爆撃、5時間。
6/5 大地下壕事件、1200人の市民窒息死。
7月。 南部仏印侵略。
9/18大本営陸軍部。作戦準備指令。南方へ兵力移動開始
11/5 連合艦隊に作戦準備指令
11/6南方軍に要域の攻略を指令。
12/20防空法改正(防空場の障害物除去の権限)
独ソ開戦にともない、関東軍特殊演習。70万の大軍集結。13個師団 編成に。 海南島からマレーへ進軍
12月、シンガポール大虐殺事件。25軍司令部。華僑粛正命令。。"
12/8米英に宣戦布告。詔勅「帝国の真意を理解せず、みだりに事を構えて東亜の平和を攪乱し、ついに帝国をして干才をとるに至らしめ・・・。
●マスコミ
「自存自衛」のキャンペーン」このころから始まる。東南アを攻め込むには中国と同じ口実(悪者退治)は使えない。しかし「自衛」とは言えない。そこで「自存」という言葉を造語、盛んにキャンペーン。自存とは、「日本が生きるための必要な資源を確保」すること。大東亜新秩序の建設。今度の対米英戦争を支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称する。大東亜戦争と呼称するのは大東亜新秩序の建設を目的とする戦争であることを意味する。
"戦陣訓の歌(1941年4月)
(梅木三郎作詞:須磨洋朔作曲)=(歌唱;徳山漣)
日本男児と 生まれ来て
戦さの場(にわ)に 立つからは
名をこそ惜しめ 武士(つわもの)よ
散るべき時に 清く散り
御(み)国に薫(かお)れ 桜花
情けに厚き 丈夫(ますらお)も
正しき剣(つるぎ) とる時は
千万人も 辞するなし
信ずる者は 常に勝ち
皇師(こうし)に向かう 敵あらじ
五条の訓(おしえ) かしこみて
戦野に屍(しかばね) さらすこそ
武人(ぶじん)の覚悟 昔より
一髪(いっぱつ)土に 残さずも
誉れに なんの悔(くい)やある
山ぬく威武(いぶゐ)も 騎(おご)るなく
海をも出ずる 陣をもち
つらぬく大義 三千年
大和心の ひと筋は
これこそ 軍の大精神
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