台風一過、直後の好天でもさわやかさを感じている人は少なかろう。その爪痕のあまりの大きさに胸がつぶれる思いである。翌朝14日、中原街道は別の意味で大洪水だった。車両の長蛇の列が都内に向かっていたからだ。この数日、災害に備えて食料や水などの確保に人々は腐心した。台風で物流が停滞すると人々は苛立ち、不安になる。台風当日、多摩川は堤防の天端下2.5mまで水が迫り、岸辺の住民はおののくばかりだった、今朝の散歩で数人をひとからお話を聞いた。堤防より低いところに住んでいたSさん、ほっとしたのか子犬を連れ穏やかに話してくれたが、「もう一階は浸水を覚悟した。すぐ近く堤防に上がり河原に降りる階段に上昇してくる水を眺めていたが、9段しかないのに1時間に3段分水位が上がり、収まるまで5段しか余裕がなかった。」もうひと方のご婦人は「避難場がいっぱいでどこも大行列、私は友人の家に難を避けた」、もう一人のご婦人は「私は運を天に任して動かなかった」。
帰宅すると、鹿児島から贈答品の薩摩芋が届いていた。往時たびたび訪れた大隅半島の友人農家からの贈り物であった。戦争の時、戦後の食糧難の時、そして古くは江戸時代の国難(凶作、地震、噴火・・)薩摩芋は日本を救った。天皇の食事においても珍品だったのが芋粥だった。震災を見た後なのでこういう気持ちが支配した。時節柄、この貴重なこの贈り物、自分は食せず、10月20日の新田神社のお祭りにご寄進申し上げる手配をした。
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