「家計の経済学」は、富は太陽と土地の中にあり、それは労働によって引き出すと信じている。何ごとをやるにも、人間の労働が根底にある。米を作る、水を引く、燃料を作る、家を造る、ものを運ぶ・・・これらは現場があり、そこには練達した労働者・農民がいる。労働は常に自然と交渉し自然と向き合い、自然を活用する。そして、労働の種類、技術の種類は無数にあり、分業のネットワークがすなわち社会というわけ。技能は絶えず年長から年少へ受け継がれ引き継がれ、それ自身再生産される。こうした労働の上に、経済が形作られ政治や文化がその外郭を作る。衣食住の生産労働は経済の核心であり、大地の営みの上に成立している。
国民経済は家計の総和。現在世界中で、生産したものを交換する取引(商売、貿易)は、お金でお金を売買する資産取引の百分の一。資産取引がグローバリゼーションの中で、世界各国の国民経済を破局に導きかねない異常なところに来ている。マネーが国民経済の流通手段ではなくなった。ギリシャの国家財政破綻。スペインもついで。このままではドミノ現象になりかねないところにある。リーマンショックによる世界金融・経済危機から4年、失業者は世界全体で2億4千万人。
労働がこんなに過剰であるというのはどういうことか?世界には、食料もエネルギーも大増産しなければならないほどの需要があるのに、その供給メカニズムを構築できない理由はどこにあるのか?
「お金の経済学」と「家計の経済学」がクロスしないなかで、ヨーロッパの危機と理由を共有する日本に、間近に迫る危機は我々が体感する所にまでせまって来ている。
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