田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

戦時下の田園調布、昭和20年に17回の爆撃

2009年03月20日 07時46分40秒 | 平和
090319戦争を語り継ぐ会(戦時中の田園調布)
私たちは平和な社会の維持、発展のために戦争体験を語り、今も続く戦争の惨禍を戦争を知らない世代の人にも見つめられるように、戦争を方率使いを始めます(田園調布九条の会)という伝単が手元にある。3月22日、午後一時半から、近所の富士見会館で田園調布在住84年の、調布学園同窓会会長さんと同80年の元住友金属鉱山の常務のお話しがある。東京大空襲が昭和20年3月10日にあった。これは原爆の惨禍に匹敵する大虐殺であったが、その模様の記録映画も同時放映される。
田園調布はほとんど空襲らしい空襲は無かったと思われているが、昭和20年、8月の敗戦までには17回ほど空襲があったと大田区史に記載がある。それによると、大田区は1月9日,1月28日、2月16日,2月17日,2月19日,3月5日,3月9日,4月4日,4月7日,4月13日,4月15日、4月19日,5月24日,5月25日,5月29日,7月12日,8月13日の空襲を受けた。死者は629,負傷者は2264,全半壊家屋874,全半焼家屋81533戸である。田園調布駅前の花屋さんのあるところにも、爆弾が命中し7名が即死したと近所の古老が最近証言したと聞いた。このあたりは広大な敷地を持った三菱重工が兵器工場を営んでいた。古くからの住民の一人に聞くと、多摩川の土手は三菱製の戦車が試走し道路にまで降りてきて町中をうろうろしていたとのこと。それでは爆撃をしてくれと言わんばかりだが。ちなみに、昭和20年の4月15日付各紙は次の大本営発表をトップ記事にしている。すなわち、4月13日の米軍の空襲で皇居の一部と明治神宮が焼失した。170機が来襲し41機撃墜した。我が軍は損害81機。市街地は無差別爆撃である。なお、後刻の米軍資料では、爆撃参加機数は330機。損失8,損害50。焼失戸数17万、焼死者2000人。撃墜を5倍、米軍の損害を6割水増しの大本営発表ということになるが。当局のウソ八百、偽装は当たり前のことであり、6/14朝日新聞は「敵来たらば、一億特攻で追い落とそう」といい、全国民を特攻兵と位置づけて手榴弾の投げ方や刀、竹やり、ナタ、出刃包丁等まで殺人のしかたを誌面で説く有様だった。「老人も女も来る日に備えよ」と新聞をアジビラにしていた。

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