それは48年前、とんでもないものを見つけていた!!
しかし、私の家こそ貝塚のど真ん中に位置していることが分かりました。縄文時代は気候が暖かく氷河が溶けて海が内陸まで進み(東京湾が深く入り込み)標高30メートルの丘の上のわが家は海辺であったと考えられます。45年前(1959年)に当時学生だった私は、無意識で庭からとんでもないもの?を掘り上げていたのでした。貝殻が散らばっている2㍍四方を、現代風に言えば「あれっこれ、貝塚じゃん?」と軽いノリで鼻歌混じりで掘っていくと、出るは、出るは、各種の土器片や石鏃や磨製・打製石斧、イノシシ、鹿などの骨、ハマグリの貝殻、それらしく怪しい土板、石板などが出土しました。1959年当時は、学術調査がわが家に及んでいなかったようで前述の鳥居博士など、専門家や好事家が周辺を調査したのでしょうが、わが家と隣地には多分踏み込めなかったのでしょうね。隣地の発掘調査結果によると、そこには7000年前の縄文早期から弥生期を経てさらに1000年ぐらい、つまり平安期まで長期間にわたって人が集落を営んでいたことが分かりました。発掘された石器、土器、獣骨などの遺物は、今大田区の南馬込にある郷土博物館に収められています。
わが出土品をミロのヴィーナスと比較するのはナンセンスでしょうが、古さだったら断然わがヴィーナスが勝ちます。わがヴィーナスは、高さは16センチ、底部直径が8センチ、上部直径が6センチ筒状で肉厚が平均1.5センチ、小高く突起状の両乳房(非常に小さいが)を持ち、両手が浮き彫り状に細長くたれて腰部までつながっています。筒の表面には直径1㎝ぐらいの穴が規則正しく配置されています。また縦に鋭い紋様が描かれ、首には髪の毛の束のようなものが付随しています。胴体の保存状態は70から80%でしょう。体の曲線は、たとえようのない美しさです。けれども、このヴィーナス、前述のように残念ながら顔面が切り取ったように欠けていました。当時必死になって顔面を探したのですがついに見あたりませんでした。しかしそうであってもこれは一級の美術品だと「確信」しています。
東京大学考古学研究所には縄文の土偶、土板、土飾りなどの写真データベースがあり、775例が公表されていますが、破片が多くまた大きさとか形とか、デザインとか類似のものがないようです。掘り出したものはどうしたか?私は、簡単な整理をしてそれらを天井裏にミカン箱数箱に収め置いておきました。眠れる天井裏の美女じゃ洒落になりませんが。そして45年、私は仕事が忙しくてうかつにもわが家の庭に起こっていた縄文発掘事件を忘れていました。この素晴らしい学術品、わが家では子供にすら見せることを忘れていました。そして今、自宅をリフォームした機会にわが宝物を取り出し、皆様に公開することで改めて万感を募らせているところです。
しかし、私の家こそ貝塚のど真ん中に位置していることが分かりました。縄文時代は気候が暖かく氷河が溶けて海が内陸まで進み(東京湾が深く入り込み)標高30メートルの丘の上のわが家は海辺であったと考えられます。45年前(1959年)に当時学生だった私は、無意識で庭からとんでもないもの?を掘り上げていたのでした。貝殻が散らばっている2㍍四方を、現代風に言えば「あれっこれ、貝塚じゃん?」と軽いノリで鼻歌混じりで掘っていくと、出るは、出るは、各種の土器片や石鏃や磨製・打製石斧、イノシシ、鹿などの骨、ハマグリの貝殻、それらしく怪しい土板、石板などが出土しました。1959年当時は、学術調査がわが家に及んでいなかったようで前述の鳥居博士など、専門家や好事家が周辺を調査したのでしょうが、わが家と隣地には多分踏み込めなかったのでしょうね。隣地の発掘調査結果によると、そこには7000年前の縄文早期から弥生期を経てさらに1000年ぐらい、つまり平安期まで長期間にわたって人が集落を営んでいたことが分かりました。発掘された石器、土器、獣骨などの遺物は、今大田区の南馬込にある郷土博物館に収められています。
わが出土品をミロのヴィーナスと比較するのはナンセンスでしょうが、古さだったら断然わがヴィーナスが勝ちます。わがヴィーナスは、高さは16センチ、底部直径が8センチ、上部直径が6センチ筒状で肉厚が平均1.5センチ、小高く突起状の両乳房(非常に小さいが)を持ち、両手が浮き彫り状に細長くたれて腰部までつながっています。筒の表面には直径1㎝ぐらいの穴が規則正しく配置されています。また縦に鋭い紋様が描かれ、首には髪の毛の束のようなものが付随しています。胴体の保存状態は70から80%でしょう。体の曲線は、たとえようのない美しさです。けれども、このヴィーナス、前述のように残念ながら顔面が切り取ったように欠けていました。当時必死になって顔面を探したのですがついに見あたりませんでした。しかしそうであってもこれは一級の美術品だと「確信」しています。
東京大学考古学研究所には縄文の土偶、土板、土飾りなどの写真データベースがあり、775例が公表されていますが、破片が多くまた大きさとか形とか、デザインとか類似のものがないようです。掘り出したものはどうしたか?私は、簡単な整理をしてそれらを天井裏にミカン箱数箱に収め置いておきました。眠れる天井裏の美女じゃ洒落になりませんが。そして45年、私は仕事が忙しくてうかつにもわが家の庭に起こっていた縄文発掘事件を忘れていました。この素晴らしい学術品、わが家では子供にすら見せることを忘れていました。そして今、自宅をリフォームした機会にわが宝物を取り出し、皆様に公開することで改めて万感を募らせているところです。