田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

食の安全問題の本質(2)

2008年12月03日 19時52分50秒 | 平和
現代社会の複雑な回路の中で、操られているような事故が認識される。自分は道に迷い、何故ここにいるか、ここがどこかも分からない。結果は人から知らされるが何故ここにいるかは知らされず、これからどうなるかも分からない。そういう不安。知識の欠落、迷妄による選択ミスへの不安。人は選択しようとするがするが選択肢が示されない、示されてもその意味や意図が分からない・・・・結局何も真実を知らされていない中で既成事実が進む。すべてが偽装である。偽装の欺瞞性は真実らしさのイメージで覆い隠される。安心、安全を売るというが安心、安全のイメージを売るというものの方が多い。言葉そのものが偽装となる。安全ということは商売の対象ではないのに対象になる。「より安全」という差別性が商品の品質を構成するという異常。安全の対語である危険が一人歩きしていると認識されるからこその安全の言葉が印象的になる。
口に入る食べ物の安全チェックは、本来獲物を口にするときの捕食者の本能が判別する。子供に対しては親が口に含んで毒味をするようにして判別している。いまは、その判別が捕食者や親から離れ商売人に任される。食品の商売は加工をすればするほど、多くの人の手を経るのでそのたびに危険が増幅する。もちろんモラルの低い人が介在する場合は確実に食品は危険になる。BSEは、食品のそのような工程の中に、工程そのものに危険が潜んでいる。





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