田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

2000年、山代勁二寄稿。[日本人を束縛する天皇タブー]

2008年07月12日 23時56分44秒 | 平和
禁忌(タブー)

権力や権威に関係することで、当たり前の事実を当たり前にいうことが憚れる社会、相互規制によって触れてはならぬことが多い社会―――これが永年続いた日本社会の特質の一つだ。大は議会から小は子供たちの交友に至るまで、禁忌(タブー)がある。それは憲法第一章「天皇」から登場している。天孫なるものが降臨したなどとは誰も信じないけれども、2~3世紀に戦乱の続く朝鮮半島からやって来た難民の中の、力の強い血縁集団で、日本列島に流れてきて、原始日本人を侵略し列島(西日本)の支配者に成長したものであるということぐらいは、ほとんど誰でも「知って」いる。いわば「腹の中の常識」になっている。しかし、天皇・皇室を語るとき,朝鮮とか難民とかといったキーワードを用いることは「自己抑制」されていて誰もまともに語らない、教えてはいけないことだという自己規制が働いている。つまり常識は腹の中に閉じこめられ、人々は「腹ふくるる思い」をしている。天皇・皇室なるものが特別なものではなく、世界史的に見れば常識的に頻発していた民族移動とか難民発生とかの流れの中で、力の強かったある血族が覇権をうちたて、それ(客観的には侵略者)を、天孫降臨神話や国引き神話などで厚化粧、カモフラージュして、明治の支配者が目的意識を持って天皇・皇室の由来としたのだろうが、それ自身としては2~3世紀の歴史の一コマに過ぎず、仁徳天皇陵や応神天皇陵などに秘められている「証拠物件」がやがて世に出るだろうから、21世紀まで明治に作られた天皇・皇室の禁忌が続くなどと考えられない。当然5~6世紀に日本列島(西日本)に統一国家を作るときには「戦争」とか「侵略」とかという言葉で表される大規模な平和・秩序破壊があり、その破壊者、侵略者の首魁として原始天皇族?なるものがあっただけのことである。

憲法を論ずる場合、「恒久平和」「基本的人権」「国民主権」等の基本理念が高々と唱えられるが、戦争が悪い、平和が良いとか侵略がいけないとかという、空疎なコンテクストではなく、日本国憲法の冒頭の一章に登場している天皇について、以上の憲法理念との関連で国民がどんな基本認識をしているか、それを調べる仕事は誰がしているのだろうか。そもそも「こんなもの=天皇・皇室」が憲法の基本理念と合致するのかどうかという問題意識が禁忌のお陰で論点・論議の対象とならない。
 国会は、こういった論議を全くせずに、天皇崇拝を強いる君が代を国歌に、天皇の旗印による侵略の軍靴と共にあった日の丸を国旗に決めたが、天皇・皇室の由来に関する国民の「腹の中の常識」に対して議会が滑稽にもタテついたものとして、馬鹿馬鹿しくも見苦しい出来事であった。何を焦っているのか知らぬが、こういったことを進める連中に、21世紀の国民は「腹の底で」冷笑を持って迎えることだろうと思う。昨日、森総理が「日本は神=天皇の国」などと放言したが、なあんにも分かっていない劣等生といった感じで、その乏しい知性に哀れさを覚える。
00/05/18
「日本は天皇によって治められ、人々は天皇をあがめ奉ってきた。これは永遠なものである。」と戦前の教科書はこのように書いた。


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