田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

亡義父と斉藤実(元首相、内府)・・昭和天皇の最後の重臣

2008年01月02日 23時39分44秒 | 平和
義父故佐藤信愛と齋藤内府、元首相

 義父は1917年岩手に生まれ、幼時期に朝鮮総督府長官の斎藤実(2・26事件で暗殺された元首相)の縁で朝鮮に行き、ソウルで教育を受けた。縁戚の岩手の齋藤一族がキリスト教であったなどの背景もあって、12歳、中学生でキリスト教の洗礼を受け入信(これは義父の死後知った事実であるが)、その後1937年早稲田大学理工学部入学、卒業後三菱重工に就職、一時的に海軍技術将校となり、終戦と共に三菱重工に復職、以降退職後は生産管理の技術士として活動をする傍ら、早稲田YMCA会員として、また地域のキリスト教会の信徒として熱心に活動した。
 信愛と書いて「のぶのり」と読むのだが、これは齋藤実が命名したことをやはり義父の死後聞いた。

 斎藤実は、渡辺錠太郎、高橋是清などと1936年の2・26事件で青年将校によって虐殺されたが、やはり義父の葬儀の時、親戚のものが宮内庁侍従から教えてもらったという、昭和天皇御製の次の短歌を披露し、当時の宮廷史の一端を知ることができたのでご紹介する。

 降り積もる雪を今年も眺めつつ 
   逝きし二人のおとど(大臣)をぞ思う

なお、この歌は1937年の二月に作歌されたものというが、何故か、追憶されたのは3人の大臣ではなく2人であり、侍従が言うにはそれが斎藤実と高橋是清で、何故か渡辺大臣は(嫌われて?)入っていないそうで、齋藤と高橋はよほど若き昭和天皇の信任が厚かったのだろうなと彷彿されるが、真偽のほどは分からない。





 






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