風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

霜柱はなぜ霜柱なのか

2017年02月23日 | 「新エッセイ集2017」

冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。
草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。
地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。

子どもの頃は、よく霜柱を踏みながら登校した。
夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。
小さな足裏に、誰かが作りあげた城を踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作るのか、それが解らない少年には、壊すことが疑問を納得することでもあったのだろう。

父の大切なカミソリの刃を折ってしまったのも、カミソリというものが不思議な刃物だったからだ。
父のそのカミソリは、折りたためるようになっていた。床屋にあるようなベルト式の砥石で、父はいつもカミソリを丁寧に研いでいた。
そのような父の習慣も不思議だったが、髭のような硬いものが切れるのに、父の肌を傷つけることがない、そのことの方がもっと不思議だった。
父が居ない隙に、そのカミソリで色々なものを切ってみた。そして、とうとう刃を折ってしまったのだ。

ぼくは父が怖かった。いつも些細なことでも叱られた。ましてや父が大事にしていたカミソリのことだ。
まず母に見つかった。父が独身の頃から持っていたものだと母は言った。どれだけがっかりするだろうか、と母も嘆いた。
ぼくは毎日びくびくしていたが、けっきょく父からの咎めはなかった。ぼくの落胆ぶりをみて、母が何らかの手を回したようだった。

ぼくは父の万年筆も何本も駄目にした。
ペン先からインクが出てくるのが不思議だったからだ。ペン先の部分をばらし、ペン先を広げてしまったり、曲げてしまったりした。
万年筆はどれも、ふだん父が使っていないものだったので、ぼくの悪戯がばれることはなかった。
ぼくはいつも壊すばかりで、どれひとつ不思議を解決することは出来なかったのだ。

いまのぼくは、霜柱ができる原理もすこしは解っている。世の中のいろいろな仕組みも、いつのまにか人並みに知るようになっている。
けれども、今朝も霜柱を見つけたとき、ぼくはまた少年の不思議に戻っていた。
こんな悪戯を誰がしたんだろう、と一瞬おもったのだった。



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2 コメント

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不思議ですよね♪ (雀(から))
2017-02-27 09:35:05
シモバシラという植物は、もっと不思議です!
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霜柱とシモバシラ (yo-yo)
2017-02-27 20:23:44
雀(から)さん
いつもコメントありがとうございます。

シモバシラという植物があったんですね。
ネットで花も確認できました。
シモバシラと霜柱は、不思議さで繋がっていました。

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