昨日
某声優さんが、落ち込んで
おられる記事読んで…。
それだけ大切な猫さん
だったんだろうなと思った。
うちも実家に居た頃
よく猫に癒やされた。
気落ちして帰宅して、
そのまま家に入る気に
なれなくて。
暗い門扉で待っていた猫と
しばらく戯れていたもんだ。
実家を離れて数年。
死んでいたのに
一年くらい
知らされてなかった…。
最期の2日前くらいに
会っていたのに。
まさかあの後逝くなんて。
教えてくれたら
看取りに駆けつけられない
距離じゃなかったのに。
まあ、色々あったから
親の気遣いだったのだろうと
今は思う。
実家はなぜだか
猫がよく居着く家だった。
来ては去っていった猫は
たくさんいた。
でも、
あんなに心通った猫は
(一方的な思いかもしれんが)後にも先にも
あの猫だけだった。
それだけ
かかわりも深く
思い入れも大きかったのだろう。
だから、
その時に撮った写真も
動画の声も携帯から消せなくて。
折にふれては
見たり、声を聞いたりする。
そんなこと思い出して
画像を引っ張り出してみた。
もう、
7年前くらいになるのかな?
月日が経つのは、早い。
その間に大好きだった
母代わりのような
祖母も亡くなった。
それこそ子どもの頃は、
祖母がいなくなったら
どうやって生きていけば
いいのだろう…てくらい
別れが怖かった。
でも、その時は不思議と
失った感じは
しなかったんだ。
火葬場で、
棺を見送った後。
確かに体は無くなったけど、
祖母がかけてくれた言葉や
思いや考え方なんか全部
私の中で生きている気がしたから。
それもこれも
『ちりとてちん』の
おかげだったと思っている。
NHK朝ドラの。
師匠から受け継ぐこと、
逝く師匠を見送ること、
そんな中で
自分が感じたことを
mixiで、ずっと書いていた。
その時の自分が
そっと寄り添ってくれた。
残されたものがあるから、
残された者は
それを背負っていかねば
ならんな…と思ったもの。
死んだら全て終わりとは
思わないけど、
生きているからこそ
辛いとか嬉しいとか感じられる。
だから
自分がどんなでも、
ありのまま
全部丸ごと受け止めて、
大事にしたい。
TVで誰かが言っていた。
行動には
責任を持たなくてはならないが
感情には
責任を持たなくていい
ということ。
辛さ、怒り、
マイナスな感情も
それはそれでいいんだと。
無理に抑えることはないと思う。
時間が経っても
癒えないことはあるんだ。
神戸の震災の時から
ずっとそれは思っていたから。
ずっとトゲが刺さったままの
こともあった。
それでも。
見たり聞いたり考えたり
感じたりする中で、
自分に向き合うことを
重ねていくうちに
少し変わってきたことは
確かにあった。
内側の気持ちは
誰の手も及ばない。
最後は自分でしか動かせないもの。
だから慌てずに
じっくりと向き合って、
いや
向き合えない時があっても、
そんな時間も
大事にしていけたらと思う。
ひとつ済んだら
またひとつ
今も
引っかかることはある。
その繰り返しなのかも
しれないなあ。この先も。
また振り返り、
良かったなと思えるような
今にしたいと、
思いも新たに
猫さんの写真、見た。