さきほど、テレビでNHKスペシャル(「原発メルトダウン」危機深刻化した88時間新証言で実録ドラマ化)を見ました
知らなかった! 衝撃だった!
5年前の3月11日午後2時46分私は宮城県の東北自動車道を花巻市に向け北上していました
詳細は下記ブログをご覧下さい
いばらきの祭りを研究する会ブログ
http://blog.goo.ne.jp/7n2epn_1949/m/201103
大きな揺れのあと続けて何度も何度も余震があり、目的地をあきらめ夢中で帰路についていました
国道4号は雪が舞い、大渋滞が続きいつ戻れるかもわからない、ガソリンは少なくなる、不安の中なんとか翌朝家にたどり着きました
まさにその時間に福島第一原発では想像を絶する闘いがあったと知りました
これまでそれなりの報道には接していましたが、これほど詳細に再現されたのは見たことがなく当時の様子がよくわかりました
よく放送してくれました
1号機、3号機の水素爆発につづく2号機のメルトダウンに伴う格納容器破裂危機
2号機の格納容器破裂爆発が起これば「東日本壊滅!」と必死に闘った東電関係者
今なお放射線の被災で避難を余儀なくされている人の苦悩だけが伝えられているが、関わった人たちや吉田所長の苦悩をこれまで知らなかったことを恥じたい気持ちだ
見終えたあと関係者とはいえ死を省みることなく復旧に全力を注いだ東電の人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった
現場に8か月もの間、缶詰状態で指揮にあたった吉田所長、所長は2年半後食道がんで帰らぬ人となった
58歳だったと
現場の状況をわかりもしない官邸や原子力安全委員会からの執拗な指示
吉田所長の「核を制御できるのか!」と悲痛な叫びが聞こえるようだ
知らなかった! 衝撃だった!
5年前の3月11日午後2時46分私は宮城県の東北自動車道を花巻市に向け北上していました
詳細は下記ブログをご覧下さい
いばらきの祭りを研究する会ブログ
http://blog.goo.ne.jp/7n2epn_1949/m/201103
大きな揺れのあと続けて何度も何度も余震があり、目的地をあきらめ夢中で帰路についていました
国道4号は雪が舞い、大渋滞が続きいつ戻れるかもわからない、ガソリンは少なくなる、不安の中なんとか翌朝家にたどり着きました
まさにその時間に福島第一原発では想像を絶する闘いがあったと知りました
これまでそれなりの報道には接していましたが、これほど詳細に再現されたのは見たことがなく当時の様子がよくわかりました
よく放送してくれました
1号機、3号機の水素爆発につづく2号機のメルトダウンに伴う格納容器破裂危機
2号機の格納容器破裂爆発が起これば「東日本壊滅!」と必死に闘った東電関係者
今なお放射線の被災で避難を余儀なくされている人の苦悩だけが伝えられているが、関わった人たちや吉田所長の苦悩をこれまで知らなかったことを恥じたい気持ちだ
見終えたあと関係者とはいえ死を省みることなく復旧に全力を注いだ東電の人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった
現場に8か月もの間、缶詰状態で指揮にあたった吉田所長、所長は2年半後食道がんで帰らぬ人となった
58歳だったと
現場の状況をわかりもしない官邸や原子力安全委員会からの執拗な指示
吉田所長の「核を制御できるのか!」と悲痛な叫びが聞こえるようだ
放射線物質を除去出来る高性能のベントフィルター、何が起こっても100%作動するベントシステム、があれば放射能の拡散も、水素爆発も格納容器破壊による最悪の事態もふせげます。
あと第3世代の原発に装備されている、メルトダウンにより溶けた核燃料棒を格納器内に貯めておくコキャッチャーが装備されていればベターですが、これは後付けは難しいので、現行器には対応は出来ないと思います。
今、各原発は津波対策を重視してるが根本的な対策が何か?わかているのか?
原子力規制委員会の新規制基準を見ても不安に思います。
何が重要なのかの問いは私にはわかりません。