善光寺に参拝した
今年の「善光寺御開帳」に足を運べなかったが、参拝することができた
平日の参拝だったが相変わらずの賑わいを見せていた
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御開帳のとき建てられた「回向柱」が気になり尋ねると、境内奥に歴代の回向柱が建てられていた。
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歴史の重みを痛感した
遠い昔、松代にある「地下壕」を訪ねたことがあった
その異様さに再び訪ねたいと思い、車を走らせた
善光寺から約40分ほどでその場所は見つかった
「松代象山地下壕」だ
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太平洋戦争の末期、日本の敗戦が濃厚となる昭和19年、この計画は作られた
本土決戦も視野にいれた政府は「大本営」や「皇居」など政府の中枢をこの松代市象山の地下に移そうと考え、多くの労働者を投入発掘を進めた
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しかし、地下壕の完成を待たず日本は敗戦を迎えた
発掘の生々しさが伝わり、当時いかに大変な労働だったかを物語っている
この作業には多くの朝鮮人労働者が携わり強制労働を強いられた
知る限り、このことは負の遺産と捉えられているのだろうか、この地下壕の話はクローズアップされていないと感じている
事実として、教訓として、この事実を伝える必要があると感じた
今年の「善光寺御開帳」に足を運べなかったが、参拝することができた
平日の参拝だったが相変わらずの賑わいを見せていた
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御開帳のとき建てられた「回向柱」が気になり尋ねると、境内奥に歴代の回向柱が建てられていた。
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歴史の重みを痛感した
遠い昔、松代にある「地下壕」を訪ねたことがあった
その異様さに再び訪ねたいと思い、車を走らせた
善光寺から約40分ほどでその場所は見つかった
「松代象山地下壕」だ
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太平洋戦争の末期、日本の敗戦が濃厚となる昭和19年、この計画は作られた
本土決戦も視野にいれた政府は「大本営」や「皇居」など政府の中枢をこの松代市象山の地下に移そうと考え、多くの労働者を投入発掘を進めた
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しかし、地下壕の完成を待たず日本は敗戦を迎えた
発掘の生々しさが伝わり、当時いかに大変な労働だったかを物語っている
この作業には多くの朝鮮人労働者が携わり強制労働を強いられた
知る限り、このことは負の遺産と捉えられているのだろうか、この地下壕の話はクローズアップされていないと感じている
事実として、教訓として、この事実を伝える必要があると感じた
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