詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

綺麗な水

2019-02-05 18:13:44 | 千駄記


この瓶には綺麗な水が満ちていると錯覚するほど空っぽである

「水瓶の唄」を知ったのはもう40年位前の話。

<百万冊の書物を読み一日中テレビの前にいれば
どんな事でも知ることができるだろう
その部屋に寝ころんだままで>

この河島英五のフレーズがぼくを撃ち抜いたのだが
それにしたって百万冊の書物を読むのは無理だな
と思っていた。それから数年後、

「知ったというのは解ったということではない。
解ったというのは出来るということではない」

という言葉がまたもぼくを撃ち抜いた。
今から35年前に石原慎太郎から聞いた言葉だ。

今や百万冊の書物を読み一日中テレビの前にいなくとも
インターネット検索さえすればどんな事でも
知ることができるだろう。それこそ部屋に寝ころんだままで。

知ることはできるが理解はできないかもしれない。
理解はできても実行はできないかもしれない。
ただし、すぐに知ることはできる。これは大きい。

河島英五の「水瓶の唄」の一節はこう続く。

<だけど友よそれでそれで自由になれたかい>