
この瓶には綺麗な水が満ちていると錯覚するほど空っぽである
「水瓶の唄」を知ったのはもう40年位前の話。
<百万冊の書物を読み一日中テレビの前にいれば
どんな事でも知ることができるだろう
その部屋に寝ころんだままで>
この河島英五のフレーズがぼくを撃ち抜いたのだが
それにしたって百万冊の書物を読むのは無理だな
と思っていた。それから数年後、
「知ったというのは解ったということではない。
解ったというのは出来るということではない」
という言葉がまたもぼくを撃ち抜いた。
今から35年前に石原慎太郎から聞いた言葉だ。
今や百万冊の書物を読み一日中テレビの前にいなくとも
インターネット検索さえすればどんな事でも
知ることができるだろう。それこそ部屋に寝ころんだままで。
知ることはできるが理解はできないかもしれない。
理解はできても実行はできないかもしれない。
ただし、すぐに知ることはできる。これは大きい。
河島英五の「水瓶の唄」の一節はこう続く。
<だけど友よそれでそれで自由になれたかい>