詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

「レーベ」50号

2019-02-07 21:36:19 | 短歌情報



「レーベ」50号が届いた。
「レーベ」 2004年創刊 発行人ぬきわれいこ。

私は50号を特別な思いで拝受した。
今号が最終号だと少し前に
ぬきわさんから伺っていたからである。

50号を拝読しながら少し拍子抜けしたような気がした。
会員のみなさんも、ぬきわさんも淡々と
いつものように歌をつくり、文章を書いている
ように思えたからである。
しかし、それが如何にも
ぬきわさんらしく、「レーベ」らしい。

最後の頁の最後に
ぬきわれいこ
レーベ会員一同
の連名で次のように書いてある。

今から十七年前、平成十五年一月に「レーベ」は創刊しました。
(略)名前すらまともに読んでもらえなかったライオンは、ついに
紙面での雄姿と、雅と、斬新の役目を終えたようです。(後略)
註)レーベ(LÖWE)とはライオンのこと。

あたかも一頭の老いた雄のライオンが
踵を返して草原の果てに消えてゆくかのようである。

第50号の文章ではかとうやゑこ氏の
「吟行旅行会のかえり」が印象に残った。

最後にぬきわれいこ「光の街」から一首紹介したい。

砂時計の砂落ちつくす寂しさを見つつ不思議に充足のあり



ぬきわさんお疲れ様です。
またいつかお目に掛かりましょう。




ひと世とは虚ろなるかな

2019-02-07 12:05:44 | 千駄記


ひと世とは虚ろなるかな子育てより親看る方が永いのである

前を見るより振り返ることの方が多くなりますと
人生とはいかに儚いものかと痛感します。
明日こそ 今度こそ と願うより
あの頃は あの時に と悔やむことが増えるのです。

だいたい子は親に反発して育って親になり
親は子の面倒になるもんかと思いながら
老いてゆくものと思いますが曲者なのは後者です。

健康に気をつけていたって病気にはなります。
先日、ゲートボールを楽しむ高齢の方々を見かけました。
晴れているとはいえ、この寒空の中ゲートボールを
楽しめるという老後は恵まれています。
昔、もっともっと古ぼけた公園でゲートボールの
集団を見たとき
私の親父はこんな老人にはならないだろう
と思っていました。
父は人との付き合いを嫌う性格もあったけれど
黙々と死ぬまで仕事を続けるのだろうと漠然と
思っていたわけです。
数年前に倒れてから父はすっかり弱ってしまいました。

八〇歳前後にして意気軒高な方も多いわけですが
それは運がいいのだとも言えます。
世話になるもんかと粋がっていた親を思い出しつつも
あんときこう言ったじゃねーかと
放置するわけにいかない子の責任もあるわけです。
するとあーだこーだと言ってられません。
私は実際このうたのように親を看ているわけでは
ありませんが、いざとなったらを考えないわけにも
いきますまい。
うちの姉のようにケツをまくる生き方も
ありますがフツーの人間にはそんなこたぁできません。