ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

我が郷里「南山形」

2008-01-11 18:30:47 | 郷里山形の事
昨年末に山形に住む姉が一冊の本を贈ってくれた。昨年郷里で発行された「南山形 ふるさとの歴史」と題した冊子だ。

小生が小学校一年生の時だから終戦の年の昭和20年だった。当時家族は山形市の中心部に住んでいたが、郊外に日本飛行機会社(通称「日飛」と呼んでいた工場)があり、何度か米軍の戦闘機も飛んで来て爆撃の危険があるようになっていた。その為に市内からの疎開を求められた様で、当時「南村山郡金井村」といった現在の実家がある場所に家族は落着いた。
やがて昭和29年に隣接の山形市に吸収合併されて、「南山形」と称されるようになった。
旧くは「金井村誌」が発刊された経緯があったようだが、小生が暮らした当時は人口5000人余の村にすぎなかった。
そして現在は山形市のニュータウン構想の一貫で新たに住宅地が開発された事もあり、また近年には地区内に温泉も湧出たこともあり、人口8000人余の地区になっている。そこで各地の郷土史の発行に倣い、新しい住民にも郷里の事を知ってもらいたいとして振興会が中心となってこの冊子の発行にこぎ着けた様だ。この冊子を手にとって驚いたのは、この冊子の発行に尽力した振興会の会長と、この冊子の編集長は小生の昔馴染みの同級生の2人であることだった。さらに編纂に係わった人達のなかに見知った方も多数あり、それぞれが地区で活躍している事も分り嬉しかった。
そしてこの地区からはなんとBC約4000年の縄文時代前期の遺跡が発掘されていることだ。それから6000年余の間には気の遠くなるような時代が流れている。村山盆地の一角で蔵王山や月山が望めるこの地区で、過去には幾多の水害や飢饉の被害を乗り越えて逞しく生きてきた先人達の記録があり感動さえ覚えた。

ただ小生が住んだのは18歳までのたった12年の年月に過ぎない。今回この冊子を読んでいて、今さら遠くになった郷里の歴史の長さを知ることが出来たのは幸いなことである。
何時の日かこの冊子を編纂した旧い友人達と是非にも昔話に興じたいものだ。
取りあえず東京で年一回会合を開いている、関東地区に居住の同級生達にもこの冊子を披露したいと思っている。
この冊子を読んで感動した事と我が郷里を自慢したく、あえてアップした次第である。

冊子はA4版の立派なものだ。

            

この地区の中心にはJR蔵王駅がある。

      

コメント (8)
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