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眠いか睡いかどっち?

2015年10月10日 | うんちく小ネタ


今日も、文字や言葉について、一寸古くなりますが、
私の会社は、すべての階層について、教育制度がほぼ確立していました。
私は、二十五歳から三十二歳まで、新入社員の教育を担当していました。

ある年のね大学卒の新入社員は十三人でした。
教育期間は、集合教育が一カ月、二か月は配属先で実務を学びます。
教育の一環として、実習日記を書かせていました。
この日誌は、集合・配属先とも続け、教育係と職場の上司が目を通し、
コメントすることになっていました。

さて、一箇月の集合教育が終わったので、皆を連れて飲みに出かけました。
新入社員たちは、集合教育の緊張から解放されて、良く飲み良く食べ、
良く喋り良く歌いました。

次の日の実習日誌には、勿論「ご馳走様でした」は、全員に有りましたが、
なんと「眠い」の多かったことか・・・
私は「眠いは間違い、睡いと書くべき」とのみコメントして、日誌を返しました。
その日、配属先の上司が目を通し、この「眠いか睡いか」で議論になったと、
後で聞きました。


実習生は、次の日の始業前、ぞって私のコメントはおかしいと言って来ました。
「辞典を見ても「眠い」「眠気」だけで、「睡い」「睡気」は有りません」と。


私は、得たりとばかり、
「ねむい」を眠いと書くのが正しいと思うのは、今までそのように
使われてきたからと、辞書を見ても、それしか載っていないのが理由だね。
しかし良く考えてみよう、「睡眠」は、睡くなって眠るとしたら、一目瞭然。
睡は目偏に垂れると書くだろう。
この目を瞼として、上瞼が垂れる と読みかえれば、「ねむい」に最も
正しい漢字だと理解できるだろう。
「睡魔」「爆睡」「昏睡」等、ねむい状態を表す熟語だと理解できないか



「辞書の中身は正しくて、私の言うことは間違いだと言うなら、
 君たちは、まだ学生気分が抜けていないからだと思う」
「学生時代は、教授の言うこと・教科書や参考資料は正しいと信じ、
 それを記憶し、各種の試験に合格し卒業した」
「しかし、社会取り分け会社は、そんな人間を求めてはいない」
「先輩の言うことを信じ、技術資料を鵜呑みにするような人間を、
 コピー人間という」
「会議で、自分の意見を持たず或いは持っていても、採決になると賛成の
 拍手をしている人々を、軽蔑して「叩きや」と言う」
 どちらも、考えることを怠っているとは思わないか」
「考える、疑問を持つ」これが出来ない者は、企業人とは言えない」
「言うなりになる社員ばかりの会社は、発展しない道理だよ」

一か月の集合教育が終わって、配属先で実務教育を受ける新入社員への、
はなむけの言葉は、一寸インパクトが強すぎたかな?