前々回の、「時代劇が好き」で、劇中で亡くなった身内の墓を、
川の畔や竹薮の傍に作るのは、おかしいと書きましたが、
最近見た時代劇では、鉄砲水の後か、山肌があらわになった下に、
作られていました。(画像参照)
大雨が降ったら、確実に流されてしまいそうです。
どうして、こうも道理に反したところばかり、選ぶのでしょうね。
話は変わりますが、時代劇に出てくる娘さんは、
おたき おうめ おまさ 等々自らの名前におをつけています。
このおは敬語の一種で、本人は「たきと申します」「うめと申します」
と自己紹介をしていたはずですね。
何故、時代劇はすべておの使い方を間違えているのでしょう。
更には、製作スタッフ、俳優陣、放送局側、時代考証の大家の方たち、
揃いもそろって、気付かないのでしょうかね。
時代劇につきものは、なんといってもチャンバラですね。
終盤近くに、主人公は恰好よく立ち回り、胸のすくハイライトです。
ところが、ここで気をつけて観ると、主人公と相手役との位置関係は、
丁度、日食と月食の状態に、なっているんですね。
カメラが太陽の位置、主人公は地球の位置、切られ役は月の位置に居ます。
話は変わりますが、マラソンの中継を見ていると、カメラが走者の横だと、
走者の位置関係は良く判りますが、カメラが前からの時、後方の選手が、
すぐ後ろに着いているように、錯覚したことは有りませんか?
これは、レンズが良くなって、カメラから離れたものまで、
クッキリ写るようになったからなんですね。
話を戻して、カメラのレンズが良くなって、主人公と切られ役の距離が、
刀を振り回しても、相手に怪我をさせずに、臨場感は出せる訳です。
その結果どうなるかと言うと、主人公が立ち回りが下手でも、
それなりの娯楽映画は撮れるということになります。
言いかえれば、人気先行の若者を、主人公に仕立てても、大丈夫!!