一文字 寅 の 「風菜園(かぜさいえん)」 

「天に星。地に花。人に愛。」 風に乗って、日々の所感を「風菜園」から発信してまいります。

今朝の新聞に釘づけ。昔泊まった気仙沼「ホテル望洋」の記事  5/17

2011年05月17日 21時50分00秒 | 「所感」もろっもろ~

( 日本経済新聞35面  気仙沼「ホテル望洋」の記事) 2011/5/17

■2011/5/17(火) 晴時々曇時々雨

東日本大震災以降 気仙沼の津波そしてその夜の大火災の映像をニュースで見せられて、ずーっと気になっていたのが、気仙沼で昔私が泊まったホテルは無事だったのだろうか? ということだった。 図らずも今朝の新聞にそのホテルの記事を見つけ、しばし、目が釘付けになった。

その気仙沼のホテル「ホテル望洋」はその名前の通り、気仙沼の港を見下ろす小高い丘の上に建っていたが、震災・津波以降地域の避難所として開放されているとのこと。

ホテルの社長は、避難所の役目を終えたら廃業を考えていたが、サイクリングの大学生を無料で泊めたことが縁で、今年社会人になるその大学生たちが、就職先に入社を秋まで待ってもらって、今はホテルでボランティアに励んで、ホテルの再開を応援しているという内容だった。 私にとっては、なかなかウルウルと来る記事だった。

昔、好天の三月に 盛岡から釜石、 釜石から、 から大船渡大船渡から気仙沼  日本酒片手に2両程度のローカル電車を乗り継いだリアス線の鉄道旅の3日目は、気仙沼を終着点にしていた。 気仙沼駅から歩くこと15分ほどだっただろうか、夕陽射す港に着いたのは。 大島行のフェリーが出船し始めると、上空では何十羽ものカモメが舞った。 港の岸壁には、何十隻もの漁船が横付けされ、水産物直売所では、気仙沼名物フカヒレがずらりと並んでいた。

桟橋でおだやかな海を眺めしばしくつろいだ後、港からさらに15分ほど坂道を上がって、その日の宿「ホテル望洋」に向かった。 そしてその夜は、風呂上りに待望の美味しいフカヒレ料理を頂いたのだった。 そんな気仙沼での思い出は最近の事のように思い出せる。

今回、このホテルが津波にも火災にも遭わず無事だったことを今朝の新聞で思いがけず知り一安心、嬉しい朝となった。 またいつの日かリアス線を旅してみたい、もちろん気仙沼にももう一度寄ってみたい。

(寅)