( 「幸」 小倉・旦過市場)
■2014/3/23(日)
あのTVで流れた小倉魚町の夜中の大火事が、私の好きな旦過市場ではなかったものの銘酒ギャラリー「つる平」が全焼したことを知り、かなりショックを受け、スーパー丸和の横から始まる「旦過市場」に入った。 戦後の闇市から今に続く旦過市場は、あの松本清張も行き来した市場。
( ディープな市場 日曜日なので約8割の店はお休み )
ちょっとやそっとで、この市場の雰囲気は作り出せないほど、ディープな昭和の面影を今に伝える市場なのだ。 丁度JR広島駅の横にもこの雰囲気iに似た市場があったが、そこは都市計画でなくなるらしい。 平成も25年・四半世紀も経つと昭和の面影が、無くなって当然だろうが、それだけにこんなレトロな雰囲気が残る市場はいつまでも続いてほしいと願ってしまう。
( 「幸」の厨房にかかるフライパン )
女優の池内淳子さんが、亡くなった年のこと「旅サラダ」で、 小倉織りのストライプ着物姿でで訪れたのがこの旦過市場の有名立飲み店「あかかべ」だった。 私も何度かおじゃまして角打ちをやった。
旦過にいけば必ず寄るのが、市場食堂「幸」(さち) 私のこのブログにも6~7回は登場している。 私が行くと必ずだれか常連さんがいて「あなた確か、 奈良の方だったわよね」と声をかけられる。 今回もそうだった。2名の私より年上のお姉さんからそう言われた。
(「幸」メニュー)
「なにより火事を心配して来てみた」とママに言えば 「そうなんよ あの日は夜中から朝まで自宅やら携帯に 無事か~?って電話がかかってきて 寝られんかったと 」と心配したお客さんもたくさんいてありがたいような ありがたくないような日だったとのこと。
私が行くと飲むのは日本酒とわかっているものだから たいてい常温の「剣菱」が出てくる。 今年で5年を迎えるこの店は、一時期もう何度もやめようと思ったこともあったらしいが、旦過市場の中で皆に知られる・愛される店になっている。 やめようと思ったのは、はやらないからではなく、しっかり黒字だったけれど 面倒を見ている母親の病気が原因によるのが大きかったようだが、この日は、そのお母さんも元気そうだった。
▼この日の私は剣菱を二杯
どしゃぶりで雨がアーケードの屋根をドラムのように打ち鳴らしていた、雨宿りがてら始めてこの店に来た5年前を今でも思い出す。 「梅乃宿」のあらごし梅酒が置かれていて、私がその梅酒を造っている同じ町から来ましたと言ったらえらく驚かれたことを思い出す。鹿児島の焼酎の梅酒と梅乃宿の梅酒で利き酒をさせてもらったことを思い出した。 その時頼んだ 「おでん定食」が、確か320円だったかな、5年前でも驚くほど安かったことを憶えている。
(鉄板焼うどん)
いつも温かく迎えてくれると感じるのが、ママは入ってきたのが私だとわかると 「いらっしゃい」ではなくて いつも「おかえり~」と言ってくれること。 それって久しぶりにしか来ない私にしてみればとても嬉しいことだ。 そんなわけで、いつまでも昭和の味わいを絶やすことなく旦過市場とともに頑張って欲しい店だ。
(寅)