夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

抜粋した短編はそろそろ終わり

2024-05-18 12:10:34 | Weblog

小布施駅構内の「ながでん電車の広場」から消えた " デハ二201 " は解体廃棄を免れました。

信濃川田駅構内に放置された後、県内安曇野の松川村にある「安曇野ちひろ美術館」に隣接する「トットちゃん広場」へ。

黒柳徹子さんの発案で、著書「窓際のトットちゃん」を再現することになりました。

カメラを持たずに下見したらその公園はオープンで誰でも入れます。

後日小型カメラを持って出直し。懐かしい電車の姿を記録してきました。

現役当時の デハ二201 と信濃川田駅に置かれていた当時の映像も取り込んでまとめた一節です。

もう一本は自主映画から。

旅の途中、夕暮れの海で佇む少女。

彼女の視線の先を手漕ぎの和船がゆっくり横切る、ただそれだけ。

流れるハーモニカのメロディーは私の作曲です。


本編から抜粋作品を連続でアップしてきましたがそろそろお仕舞いにしようと考えています。

作品の中に探せば使えるエピソードはまだありますが、肝であるサビの部分は安直に切り出すべきではないと思うからです。

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あれが正しいフランス語だとは思っていません

2024-05-17 15:02:01 | Weblog

線路端の猫戯子(ねこじゃらし)からの抜粋を次々に公開しています。

本日も3本をアップしました。

これらに対してコメントも多数寄せられています。

その中に"Am I the only one to have the weirdest french voice over ?" というのがありました。

日本語に翻訳したら「最も奇妙なフランス語の音声を持っているのは私だけでしょうか?」

そりゃそうでしょう。もちろんですが私はフランス語の勉強なんてしていません。

ナレーションは原稿を Google 翻訳 でフランス語に変換、読み上げサイトを使って音声化したものです。

これが実は簡単な作業ではなく、フランス語と日本語の根本的な違いを思い知らされました。

原稿の文面を何度も書き換えたり順序を入れ替えたり日本語に際翻訳の繰り返しでした。

その上フランス語は発音できない言葉があって、例えば木島線の駅名をそれっぽく発音させるのは苦労しました。

駅名の「柳沢」を Yanagisawa で語らせると「やなじさわ」になるのでスペルを変えて何度も試行錯誤。

他にも妙な発音やアクセントになる単語は数えきれません。

日本語的な微妙な言い回しはフランス語では表現できないらしい事もちょっとだけ理解しました。

でもね、これで構わないんです。字幕が入れてありますから意味は通じるはずです。

昔の藤村有弘さん(古いなあ)のインチキ外国語の世界だと思っていただいて結構。

こんなことは通訳の誤訳、映画の吹き替え改変や省略した字幕だって珍しくありません。

そんなこんなも含めて作り手としてはこれでいいと思っています。

試作段階でこれを見たTVの某ディレクター氏は「フランス人のお友達が居るんですか?」。

全部英語ならほぼ通じるんでしょうがメインにフランス語(もどき)を採用した趣旨を感じていただけない人が居るとは。

昨今は変な日本語だって氾濫してるじゃないですか。草とかワロタなんか。

まあ細かいことは考えないで作り手が何を主張しているか、そこを見てほしいんです。

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あの日の海に戻ろう

2024-05-16 14:45:58 | Weblog

2012年3月31日、長野電鉄屋代線信濃川田駅はラストランを迎えて人々が集まっていました。

その様子はもちろん撮影しましたが、その後で駅を望む離れた位置からホームで待つ下り電車と上り電車の交換の様子を。

 

本編でこれを編集する過程で大きな方針転換。作品自体の分岐点にしました。

廃止される鉄道とは距離を取ろう、そんなのは誰もがやる事じゃないか。

自分はここから別の道、線路を行こう。

私の中で屋代線も木島線も脇の存在になりました。

 

こっちは自分の中の老いぼれに任せてあの日の海に戻ろう。

遠い昔、自主映画の撮影で行った日本海。

若い日の自分と自身の分身である少女と仲間たちが待つあの海へ。

置き去りにした彼らのところへ。そして皆であの風船を探そう。

 

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実家の植木と草の手入れで疲れたけど

2024-05-15 14:59:11 | Weblog

須坂の実家は空き家でしばらく行ってないので表の庭はきっと草が生えて大変な状態だろうと気にはしていました。

ところが思った程ではなくて花壇は黄色い花が一面に咲いているし小路はどこから種が飛んできたのかポピーが群生。

問題は庭の隅のレッドロビン。

基本的に2本ですが表の方は高さ3メートルに伸びていました!

そいつは適当な高さで切り、根元の草もを刈り、持ち帰られる分をゴミ袋に入れて帰ってきましたが一連の作業で疲労困憊。

かえる途中寄り道で頼まれた買い物とセリアでこれを。巾着です。

もしかしてこれに使えるんじゃないかと。放送用カメラのレンズキャップ代用です。ピッタリ!

午後は一休み。それでも短編のアップロードは続けます。

YouTube はこのところ再生回数、チャンネル登録共に予想を超える増え方で感謝。

収益化にはまだ達していませんが今後もどんどんアップします。

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「線路端の猫戯子」 抜粋 どんどん公開しちゃおう

2024-05-14 10:47:02 | Weblog

あの長編には抜粋したい短編が多く含まれています。

今まで小出ししていましたがこの際本編以外で短編として通用するものはどんどん公開することにしました。

方針変更です。

今日は4本をアップすることにしました。短編なのでアップロードは簡単です。

廃止直前の屋代線 東屋代駅と10年前の木島線市四ヶ郷駅

廃止を前に乗った屋代線

新しい駅に移行する直前の飯山線飯山駅

木島線開業の大正十四年から歴史を遡ると

本編の表向きのテーマは廃止される鉄道路線ですが、様々な視点で捉え、短編にまとめて挿入してあります。

私は鉄道マニアでも撮り鉄でも廃線オタクでもないことで客観的及び主観的な両面で取り組むことができました。

それにしてもよくこれだけの映像を撮ったものです。

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冷たい雨に「こりゃあ山は雪かな」

2024-05-13 14:47:25 | Weblog

五月は暑くなったかと思うと今日のように冷たい雨の日も。

工房に篭って篭城です。

じゃあ短編の切り出しを続けましょう。

今回は5本を切り出して書き出したファイルをMPEG4にエンコードしました。

上の段左から5本です。

遭遇 偶然目にした JR 東日本の East i

赤いノーズが特徴のJR東日本 電気・軌道総合試験車(検測車) East i が誇線橋の下、新幹線車両基地に!

破れた旗 屋代線綿内駅

「乗って残そう屋代線」の旗はボロボロになっていました。

四ヶ郷駅と東屋代駅 10年の歳月を経て同じ電車がホームに入り、発車。

11年前の四ヶ郷駅を思い出すシーンでした。

銀色の電車 屋代線廃止直前の様子です

廃止間際とあって大勢乗っていました。

飯山駅 新幹線の新しい駅が完成した北側で最後の役割

ここから乗り降りするのもあと僅かとなりました。飯山線の終点 越後川口駅も撮ったはずですが行方不明。

「遭遇」のアップロード完了。リンクを張ってあります。

続いて「破れた旗」も

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本当は新作に挑戦したいんですが

2024-05-12 14:30:49 | Weblog

このところ連続で「線路端の猫戯子」からの抜粋を YouTube にアップしています。

本当はそれじゃなく新しい映像作品を作りたいんですが。

でも本音ではあの長編で持てる力のすべてを使い切ったのだと感じています。

工房には HL-79E の他にも様々な古いカメラがあって、いつでも撮影可能なのに撮る対象が見つからない状態です。

これが写真なら気ままにカメラを向けて撮れるんですが、それじゃあ写真家に失礼かな?。

”線路端の猫戯子”は廃止されるまでの一年を、「消える可愛そうな鉄道」ではなく「電車のある日常」を記録しました。

撮り続ける間にあの鉄道路線の時代背景と世相、そこにクロスする自身を重ねて立体的に構成。

取り組み甲斐がありました。

YouTube には長野電鉄木島線と屋代線に関する動画は何本もありますが、どれも単に電車を追ったものと廃線跡を訪ねる物です。

「あんなのとは違うんだ!」。

 

あれだけの情熱を注ぎ込む対象が今は見つかりません。

このところ切り出した短編を連続でアップしているのはそういう事です。

次なる対象は漠然と「ふるさとの情景」を考えているんですが、どうなりますか。

 

では、今度アップした短編の紹介です。YouTube にリンクを張ってあります。

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Ikegami HL-79E #7 号機は直りました

2024-05-11 07:32:00 | Weblog

先日久しぶりに電源を入れたら調子が変でとんでもない映像が出た件です。

あの時は慌てました。

MPU 基板の "M.BATT ALARM" が点灯。バックアップ電池が完全に終わっていたのが原因と推測。

元々付いていた電池は80年代の物ですから当然終わっていたので換わりのリチウム電池と交換済み。

その電池は中古のゲームボーイから抜いた物で、これも終わっていました。

夕べ、ほろ酔い状態で準備してある CR2032 と入れ替える作業に掛かりました。酔った勢いです。

これが取り出したゲームボーイの電池。タブ付き CR1616 です。

今度使う CR2032 はサイズは大きいけど同じ 3V です。電池ケースにリード線を半田付け。

基板の電池取り付け部の + - にリード線を半田付け。電池は抜いておきました。

ヒシチューブはこのままでもいいかな。

電池を入れてユニットを挿入。恐る恐る電源を入れました。

ALARM は点灯しません!

影像を確認して AWB をセット。まだ映像が変ですが気が付いて ABB ボタンを押したら正常になりました!

今度の電池はとりあえず袋に入れてこの隙間に押し込みました。リード線はテープで固定するつもりです。

ほろ酔い状態なのでこの時点での生出し映像を記録するのを忘れました。

本当はこの過程こそ動画で記録しようと考えていたのですが先を急ぎ過ぎ。

でも結果オーライ。めでたしめでたし。

#3 号機も同じ手順で電池を取り替える予定なのでそちらは記録しましょう。

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せっかくのきれいな鉄橋なのに

2024-05-10 13:57:51 | Weblog

中野市の千曲川に新しい橋が架かりましたが。うーん。

買い物で出たついでに帰りはこの橋を渡ることにしました。

おっと、仮称だったはずの名前がそのまま正式名称になったのかな?

確かに笠倉と壁田の間に架かっていますがこれじゃあそのまんま。

向こう側の笠倉は旧豊田(とよた)村、唱歌「故郷」の地です。

それにちなんで「故郷橋」なんて、もし名前の公募があったら応募しようかなと考えていたんですが。

下は千曲川です。

風景に溶け込んだ美しい橋です。これがクリーム色や灰色だったら見たくありません。

同じ中野市で買ったのがこれ。先日買ったのと同じ物です。

Ikegami HL-79E の MPU バックアップ電池の件です。

先日は #7 号機に載せたゲームボーイから外した電池が完全に終わっていたので対策で同じのを買ってきたばかりです。

#3 号機は基板からリード線を引き出して電池ボックスに入れた CR2032 をつないでいたはずですが

カバーを開いて確認したらこちらも前に中古ゲームボーイの電池 CR1616 を基板に載せたんです。

その方がスマートですから。

これも前みたいに CR2032 にしようと電池ケースも合わせて買うことにしました。

ちゃんと調べればわかったはずで毎度のお粗末。

基板に収まればスマートですけど誰も見る訳じゃありませんから。

現状は電池をグルースチィックで固定してあるので取り外し作業は慎重を要します。

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「線路端の猫戯子」まだあった一節

2024-05-08 09:37:46 | Weblog

映像による長編叙事詩 「線路端の猫戯子」にぜひ公開したい一節がまだありました。

YouTube の動画は一般的に冒頭の数秒から数分を見て興味が無い内容だと視聴者は離れてしまいます。

私の場合はそれを百も承知で動画を作成しています。

せいぜい数分で離れる人を逆にこちらから篩いにかけて落とし、残った人を相手にするという考えです。

でも公開するからには多くの人に見ていただきたいのが本心。

両方の考えの中をとって長編から抜粋した自分にとって宝石のような短編を書き出してみてもいいかな、と考えるようになりました。

昨日と今日は2本の抜粋を公開。どちらも YouTube にリンクを張ってあります。

京都の舞鶴引き揚げ桟橋です。

京都はこれ以後も加悦SL広場を含めて3度車で長旅をしてきました。

戦争が終わって外地から引き揚げた人々の中に召集されて海軍に入り上海に渡った父も。

この一節は引き揚げた人々はそれぞれどうやって故郷に帰ったのか、そこに引っかかるものがあってのこと。

港町の簡易宿泊所で過ごしながら検疫をしながら過ごし、各種手続きを済ませ家に連絡して帰ったのでしょう。

帰る交通手段は主に鉄道だったと思いますが、亡き父は恐らく北陸本線、信越本線を経て最後は長野電鉄を使ったと思います。

この一節は長野電鉄絡みで作りました。

今回調べて初めて知ったことですが、引揚者には国から旅費が支給されたとのこと。

運賃はどうしたのかという疑問は解けました。

引き揚げに関しては調べると詳しい情報がありますが、どれも悲惨な内容で胸が痛みます。

長野須坂間の旧村山橋と飯山市の旧中央橋関連。

長野市と須坂市の間、千曲川に掛かる新旧村山橋をメインに飯山市の旧中央橋です。

この時点で旧村山橋の状況は知っていましたがどうしても電車の車窓から撮影したくて電車に乗りました。

村山橋は架け替えられる前の姿を別件で撮影してありました。長野行き上り電車が通過します。

最後の橋脚撤去の様子もしかり捉えてあります。

中央橋も架け替えられましたが右岸の先に木島線の木島駅がありました。

古い鉄橋の撤去過程も映像で残してあります。

どちらの鉄橋も今は一部が公園の隅にモニュメントとして残されています。

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