前の手取川の戦いの地をいろいろブラついた後、
さらに南に行って小松の浅井畷の戦いがあった場所にも行っていたのだ。
だけど、そこは何も書きたいことが無いほど
な~にもないところだった。
住宅地の中に
こんな感じの石碑と
案内板と
全体的にこんな小公園の場所
正直あまり感動する場所ではなかった・・・・。
浅井畷の戦い。北陸における関ヶ原の戦いと言われている。
小松城の周囲には泥沼や深田が広がっている。その中を、幾筋かの畷(縄手)が走っている。畷とは縄のように細い筋になっている道のことであるが、小松城の東方に浅井畷という畷があった。長重はこの浅井畷で兵を率いて前田軍を待ち伏せした。8月9日、前田軍が浅井畷を通ったとき、待ち伏せしていた江口正吉ら丹羽軍が襲いかかった。いくら大軍とはいえ、左右から襲われてはたまったものではない。しかも畷のために道幅が狭く、大軍としての威力を発揮することができない。このため、前田軍は大被害を受けたが、前田軍の武将・長連龍や山崎長徳らの活躍もあって丹羽軍を撃退し、何とか金沢に撤退することができたのである。なお、浅井畷古戦場は、1941年に石川県指定史跡となっている。
ひとつだけ感じるとすれば、
さすが前田軍25000もの兵を要し、関ヶ原に到達していたなら、
関ヶ原の戦いは序盤の拮抗もなく圧倒的な東軍勝利だったのかなと思ったくらいである。
【ヒゲ親父】
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