ブラ・ブラ・ブラ・ブ~
と内灘町をブラついていますが、
今回どうしても行きたかった場所があります。
それは米軍軍事施設の遺構です。
・・・・・・・・・・とその前に、
この内灘という町の地形が特徴的なんだよな~。
地形が不思議なんです。
丘というか、台地というか断面図でこんな感じなんです。
(出た、オイラのヘタクソな絵)
写真ではわかりにくいけど左側が金沢市方面、
土地が隆起したのか、長年の海からの砂が溜まった結果なのか・・・、
でもこのおかげで金沢は暴風による減災を少し受けている?
また今後起こりうるかもしれない津波を防ぐ防波堤としての役割もするかもよ。
さて話を戻して、米軍施設といえば、
今沖縄でも大問題になっている問題ですよね。
なんとこの内灘にもあったんです。
米軍の軍事施設が!
その施設とは砲弾の試射場でした。
1952年朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。
試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。
来る途中の道路沿いに鉄板道路という看板があった。
案内文を読んでみると
試射場に向かう米軍の戦車やトラックが砂地の道をうまく進めなかったので、
施設がある海岸まで鉄板を敷き詰めたという。
そしてその鉄板道路の現物(一部)がこれです。
(内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ)
砲弾の試射場か・・・、
ぜひともオイラはその遺構に行きたかったのだ。
だいたい下調べしてあったので
その場所と思われる場所へ向った。
河北斎場の裏にこんな看板が、
130M→ 着弾地観測所とある。
でも、砂だらけの畑というかなんというか・・・
それらしいものが全く見当たらない。
歩きにくい砂地を行ったり来たり・・・まったくない
看板のうそつき!
仕方がないので近くの砂浜で気分転換
写メを撮るカミさん。
戻りかけると、こんな看板が
着弾地観測所 240M!
ここまで来たから、オイラはいくよ!
立入り禁止だと
ふん!
いくぞ、いくぞ!
今の時期で良かった
もう少し経てば草が生い茂るぞ
あっ!
何だあれは!
左上に見えてきたモノは・・・
一気に藪の中を駆け上がる。
どうやらこれが目的の遺構のようだ。
それにしても…埋もれかかってるやん。
周りを歩くと、
入口みたいですが中に入る気はない・・・
なるほど、
着弾地観測所だけあって、爆風から守る為の作りだね
眼下に「のと里山海道」が走っています。
やっぱ、あったんだ・・・・・
もちろん今は使われておりません。
内灘の人が追い払ったんです!
すごくね!?
内灘闘争です。
<ウィキ>
今から65年ほど前、朝鮮戦争が勃発、この内灘砂丘は米軍の各種砲弾試射場として接収され、村民が中心となり、ムシロ旗(金は1年、土地は万年)を立て、炎天下の着弾地点に座り込みを続ける、日本さきがけの米軍基地反対闘争が繰り広げられました。政府は、4年余の後、内灘村に試射場の土地を全面返還しました。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ
これもパシャ
米軍を追い出した。
すごい歴史が、
この小さな砂の町にあったのですね。
【ヒゲ親父】
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と内灘町をブラついていますが、
今回どうしても行きたかった場所があります。
それは米軍軍事施設の遺構です。
・・・・・・・・・・とその前に、
この内灘という町の地形が特徴的なんだよな~。
地形が不思議なんです。
丘というか、台地というか断面図でこんな感じなんです。
(出た、オイラのヘタクソな絵)
写真ではわかりにくいけど左側が金沢市方面、
土地が隆起したのか、長年の海からの砂が溜まった結果なのか・・・、
でもこのおかげで金沢は暴風による減災を少し受けている?
また今後起こりうるかもしれない津波を防ぐ防波堤としての役割もするかもよ。
さて話を戻して、米軍施設といえば、
今沖縄でも大問題になっている問題ですよね。
なんとこの内灘にもあったんです。
米軍の軍事施設が!
その施設とは砲弾の試射場でした。
1952年朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。
試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。
来る途中の道路沿いに鉄板道路という看板があった。
案内文を読んでみると
試射場に向かう米軍の戦車やトラックが砂地の道をうまく進めなかったので、
施設がある海岸まで鉄板を敷き詰めたという。
そしてその鉄板道路の現物(一部)がこれです。
(内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ)
砲弾の試射場か・・・、
ぜひともオイラはその遺構に行きたかったのだ。
だいたい下調べしてあったので
その場所と思われる場所へ向った。
河北斎場の裏にこんな看板が、
130M→ 着弾地観測所とある。
でも、砂だらけの畑というかなんというか・・・
それらしいものが全く見当たらない。
歩きにくい砂地を行ったり来たり・・・まったくない
看板のうそつき!
仕方がないので近くの砂浜で気分転換
写メを撮るカミさん。
戻りかけると、こんな看板が
着弾地観測所 240M!
ここまで来たから、オイラはいくよ!
立入り禁止だと
ふん!
いくぞ、いくぞ!
今の時期で良かった
もう少し経てば草が生い茂るぞ
あっ!
何だあれは!
左上に見えてきたモノは・・・
一気に藪の中を駆け上がる。
どうやらこれが目的の遺構のようだ。
それにしても…埋もれかかってるやん。
周りを歩くと、
入口みたいですが中に入る気はない・・・
なるほど、
着弾地観測所だけあって、爆風から守る為の作りだね
眼下に「のと里山海道」が走っています。
やっぱ、あったんだ・・・・・
もちろん今は使われておりません。
内灘の人が追い払ったんです!
すごくね!?
内灘闘争です。
<ウィキ>
今から65年ほど前、朝鮮戦争が勃発、この内灘砂丘は米軍の各種砲弾試射場として接収され、村民が中心となり、ムシロ旗(金は1年、土地は万年)を立て、炎天下の着弾地点に座り込みを続ける、日本さきがけの米軍基地反対闘争が繰り広げられました。政府は、4年余の後、内灘村に試射場の土地を全面返還しました。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ
これもパシャ
米軍を追い出した。
すごい歴史が、
この小さな砂の町にあったのですね。
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