てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#17(内灘町後編・米軍施設遺構編)

2015年05月10日 21時05分50秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
ブラ・ブラ・ブラ・ブ~
と内灘町をブラついていますが、
今回どうしても行きたかった場所があります。

それは米軍軍事施設の遺構です。


・・・・・・・・・・とその前に、

この内灘という町の地形が特徴的なんだよな~。

地形が不思議なんです。
丘というか、台地というか断面図でこんな感じなんです。

(出た、オイラのヘタクソな絵

写真ではわかりにくいけど左側が金沢市方面、


土地が隆起したのか、長年の海からの砂が溜まった結果なのか・・・、

でもこのおかげで金沢は暴風による減災を少し受けている?
また今後起こりうるかもしれない津波を防ぐ防波堤としての役割もするかもよ。


さて話を戻して、米軍施設といえば、
今沖縄でも大問題になっている問題ですよね。

なんとこの内灘にもあったんです。
米軍の軍事施設が!

その施設とは砲弾の試射場でした。
1952年朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。
試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。

来る途中の道路沿いに鉄板道路という看板があった。


案内文を読んでみると

試射場に向かう米軍の戦車やトラックが砂地の道をうまく進めなかったので、
施設がある海岸まで鉄板を敷き詰めたという。

そしてその鉄板道路の現物(一部)がこれです。

(内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ


砲弾の試射場か・・・、

ぜひともオイラはその遺構に行きたかったのだ。

だいたい下調べしてあったので
その場所と思われる場所へ向った。

河北斎場の裏にこんな看板が、

130M→ 着弾地観測所とある。

でも、砂だらけの畑というかなんというか・・・

それらしいものが全く見当たらない。 

歩きにくい砂地を行ったり来たり・・・まったくない
看板のうそつき!

仕方がないので近くの砂浜で気分転換

写メを撮るカミさん。

戻りかけると、こんな看板が

着弾地観測所 240M!

ここまで来たから、オイラはいくよ!


立入り禁止だと

ふん!

いくぞ、いくぞ!



今の時期で良かった

もう少し経てば草が生い茂るぞ

あっ!
何だあれは!

左上に見えてきたモノは・・・

一気に藪の中を駆け上がる。

どうやらこれが目的の遺構のようだ。

それにしても…埋もれかかってるやん。

周りを歩くと、

入口みたいですが中に入る気はない・・・

なるほど、

着弾地観測所だけあって、爆風から守る為の作りだね

眼下に「のと里山海道」が走っています。


やっぱ、あったんだ・・・・・



もちろん今は使われておりません。
内灘の人が追い払ったんです!

すごくね!?


内灘闘争です。
<ウィキ>
今から65年ほど前、朝鮮戦争が勃発、この内灘砂丘は米軍の各種砲弾試射場として接収され、村民が中心となり、ムシロ旗(金は1年、土地は万年)を立て、炎天下の着弾地点に座り込みを続ける、日本さきがけの米軍基地反対闘争が繰り広げられました。政府は、4年余の後、内灘村に試射場の土地を全面返還しました。

内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」でパシャ

これもパシャ


米軍を追い出した。

すごい歴史が、
この小さな砂の町にあったのですね。
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コメント (2)
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ブラオイラ#16(内灘町前編・幻の宝塚編)

2015年05月10日 18時30分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
本日は母の日です。

オイラの母親とカミさんの母親に
プレゼントを渡しに行ってまいりました。

そのついでに行っちまったブラブラと

今日は内灘町編ですー!

小さい頃、オイラは内灘町をてっきり金沢市だと思っていた。
それほど金沢市と一体化している町で、
いわゆる金沢のベットタウンだが、正式には河北郡内灘町。

そして内灘といえば、
海ー!
なんだけど、今のオイラはそこに興味ありましぇ~ん!

今日は大きなイベントをやっているようです。
(第27回世界の凧の祭典っての)


だから、渋滞してたのか



さて最初の目的地は、北陸鉄道浅野川線の大野川鉄橋だ!

子供の頃にこの鉄橋と並行する横の橋を
父が運転する車で通る度に感じたのは、
なんとなく恐い場所だということ。
大野川が恐かったんだよね。だってこの川深そうでしょ。
それにしても橋が低すぎません?

橋の上を電車が通る写真を撮りたくてしばらく待ったが
なかなか来なかった、くやし
だから誰かのユーチューブ動画をどうぞ→大野川鉄橋を渡る

北陸鉄道浅野川線は金沢駅から内灘駅までの私鉄で、
地元では浅電(あさでん)と呼んでます。

どうです、かっこいいでしょ。


終点、内灘駅

かわいらしい小さい駅。

ん、お祭り?

あさでんまつりですか。

ちょっち見学

いいね~

終点駅によくある「ここまでだよ!」というところが好き



そしてこの終点駅にある左に逸れる
意味ありげな支線の線路
ご記憶下さい・・・・。



さて、次の場所へ
(カミさん早くもお疲れ&呆れモード)

着いたのは内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」である。

無料だから好き

さて、内灘と言えば、
今はなき粟崎遊園(あわがさきゆうえん)である。

そもそも浅電は粟崎遊園につなげる目的でできた電車なのだから。

そしてこの粟崎遊園は
あの宝塚を真似て造られた。

<はいネットから解説抜粋>
「北陸の宝塚」。そう呼ばれた一大レジャーランドの跡地には、住宅団地が広がっている。
金沢市近郊の海岸沿いの砂丘に、敷地約20万平方メートルの「粟崎遊園」が開園したのは1925(大正14)年。遊園のあった石川県内灘村(現内灘町)と金沢市街地を結んだのが、同年に開通した北陸鉄道浅野川線の前身、浅野川電鉄だった。今でも沿線の人たちは当時の愛称で「浅電」と呼ぶ。
遊園には500人収容の大劇場、動物園などがあり、少女歌劇が人気を呼んだ。町の資料によると、カンカン帽姿でのタップダンスや、男役スターが活躍するレビューに大歓声が起きた。親子連れや団体客のほか、ロイド眼鏡のモダンボーイや短髪のモダンガールで浅電はすし詰めだったという。
関西では、阪急電鉄の創始者・小林一三が1914(大正3)年、後の宝塚歌劇団を創設。影響を受けた浅電の発起人の一人で、木材商の平沢嘉太郎(1864~1932)が私財を投じて遊園を造った。平沢は遊園を「わしの玉手箱」と呼んで愛した。だが、戦時色が強まるにつれ人々の足は遠のき、1941(昭和16)年に閉園。施設は解体され、「砂上の楼閣」のごとく消えた。

砂上の楼閣か・・・。

この施設には、当時の記憶が展示されている。

粟崎遊園の模型

本館の前に駅がありますね、終点駅の内灘から左に逸れた先に延びていたのがこの粟崎海岸駅だったんだ。

ここには
「大山すべり」と呼ばれるすべり台は全長が70mを超え、大人にも好評であった。
当時写真がこれ

模型がこれ

いいね

そしてこの施設横の広場にあるこれは


粟崎遊園の唯一現存する遺構である。
本館入口門である。

(住宅街にあったのをここに移築しました。)

これですよこれ

模型ズームアップ!

よくぞ残してくれた

当時のポスター




宝塚になれなかった粟崎遊園・・・・。


そういうところが、石川県らしくて愛らしくて
オイラは好きだな。

さてさて、過去の記憶施設を後に
後編に続くよ
次は米軍アウトーだ!
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取材記者のようである。

2015年05月10日 08時33分10秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
最近、自分は取材記者の様だと思うことがある。


自分の出身地を公表したことにより、
ブログ記事の内容がガラリと変わった。

観光記が多くなって、
出掛けた先で
スマホでパシャパシャ。

いい感じの風景があれば、車を停めてパシャパシャ!

こっちの角度からパシャ!
あっちの角度からパシャ!
高めからパッシャ!、低めからパシャ!

この時点で頭の中でなんとなく記事の作文を考えていて、
運転しながら全体の構成なんか考えちゃって・・・。


さらに最近ハマっているのが
大学生時代の友人とやってるLINEだ。

46歳のオッサン同士が、
「今こんなところにきてる。」なんて
散歩中継なんかもしちゃっているから・・・

パシャ!しては、
LINEで報告。

その反応コメントにお返しコメント。
忙しい、忙しい。

さながら取材記者のようなんだ。


そして家に帰れば、写した大量のデータを
PCへ送信する。(これが一番大変・・・

そしてブログの記事を書いていく。
(忘れないうちになるべく早く


ブログは多くの人に見てもらいたいのが第一!

第二には、「てんもく日記」とあるように、
自分の生きた証としての日記ですから、
後日に読み返すことができて、その当時の気持ちが
わかるようにとできるだけ詳細に作っている。

まぁ、なにかと大変だけど、
健康的で、充実して
そもそも楽しいからいいんです。

さて、今日は母の日、
実家に行くので、
その後、ブラリするかな・・・

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