てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

こんなところに加賀百万石三代当主、前田利常公の灰塚

2015年09月06日 13時00分00秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
昨日のブラオイラ小松市からの帰り道に
前から気になっていた場所に寄ってみた。


加賀産業道路沿の山側に目立たないように、その場所はあります。


道路に看板も出ていないから、誰も知りません。


なんとここは、加賀三代藩主前田利常公の遺灰を埋めた灰塚なのです。

あの鼻毛を伸ばして徳川からの脅威を回避した名君、利常公。

約20メートル四方の広さでしょうか。



それにしても、遺灰をなんで小松のこの地に?

先日も訪れた野田山墓地が、
代々の加賀藩当主が埋葬されることになっているのだが。→これですよ

調べてみると、

(ネットより抜粋)
前田利常の晩年は隠居城として幕府の許しを特別に得て小松城を造営しここに住んだ。利常は、1658年に死去、
生前この三宅野台地からの眺めを大変気に入り、「もし自分が死んだら、あの三宅野に火葬して欲しい」と遺言したと言う。
灰塚は、火葬の際に出た灰を塚に埋めたのが由来とされている。

さすがに前田家としては、本人の希望とはいえここに埋葬することはできず、
金沢の野田山に眠っているが、遺灰の一部をここに埋めたということです。






小さな溝らしきものもあるような・・・




隅の方には、倒れて折れている石柱が・・・。

もう少し、大事に保存してもいいのかな・・・。
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あっ地震だ!!

2015年09月06日 12時05分37秒 | 【ヒゲ親父】出来事
地震列島の日本において、我が地元地域は地震が少ない方です。
・・・2007年(平成19年)に能登半島地震という大きな地震はありましたが、それでも比較的少ない地方でしょう。


今日のような雨の日は晴耕雨読、
図書館に本を借りに行くことが多いです。

今日借りたのはこの10冊


●これだけは知りたい旅客機の疑問100
●ルポ過激派組織IS
●世界遺産でわかる世界の歴史
●写真で見る京都今昔
●天皇の祈りと宮中祭祀
●こんな市名はもういらない!
●橋を見に行こう
●記録された記憶
●Newton太陽系のすべて
●星稜高校野球部

である。(テキトーに)

その図書館で本を物色中に、「あれ地震?」みたいな感じになってました。
オイラは感じれずでした・・・。(鈍感


へぇ~石川県沖で最大震度3か、

さて今日のような雨の日は、
家で1日
読書とブログ作成とダラダラとネット鑑賞と昼寝になるだろうね・・・・。


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ブラオイラ#40(小松市コマツ編)

2015年09月06日 00時40分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
白山市の美川町を後にして、
小松市へ向かいました。


今回は小松市でもコマツに注目しようと思います。

コマツとは石川県創業会社の中でも最大の会社、建機メーカーの小松製作所のことです。


創業地はJR小松駅の前にあり、旧小松工場は現在「こまつの杜」と呼ばれております。


世界最大のダンプも置いてあるし、

すげー!!!


昔の姿の復元された本社事務所もあります。



歴代の建機がズラリと並んでいる。



最古のトラクタ(いしかわモノづくり産業遺産認定品)



ここが創業の地とわかったが、コマツにとってもっと古い場所がある。


(ウィキより)
1917年1月、石川県能美郡国府村(現・小松市)で銅山を経営していた竹内鉱業(吉田茂の実兄である竹内明太郎により創業)が自家用機械生産のため、同郡小松町の小松駅近傍に小松鉄工所を開設したのが始まりである。また太平洋戦争中に日本海軍が米軍のブルドーザーを鹵獲、日本でも同じものを生産可能にする為、同社に送られて実用化の研究が始まったが、これが同社とブルドーザーの関わりの始まりである。1921年5月13日に小松鉄工所が竹内鉱業から分離独立、現在の登記社名である小松製作所に改称し発足した。当初は不況の煽りを受け細々と経営していたが、満州事変を境に業績が好転。各種工作機械をはじめ、トラクターやブルドーザーの国産化にも成功した。

小松市の山へ向かう

銅山跡へ向かうのだ



おっ

小松のものづくり発祥の地とあるね


おいおい、すごいところに着いたぞ。

遊泉寺銅山跡地の入り口です。


創業者の銅像かな?



信じられん!由来を読むと、ここに1600人の従業員とそのその家族を合せて5000人が住んでいた町があったとのこと。

その町並図を表している。



学校やら郵便局やら呉服屋まで、遊郭も!?

一応、地図を見て


では、進んでみよう。



あれは・・・?


んん!?



じゃ~ん!!!

これが世界のコマツの原点である(なんちって




真吹炉という。

道沿いには小さな川が、


昔は重要な生活用水だったのだろう、キレイな水です。



石垣。かつての町並みの名残りかな。



おいおい・・・熊でるのか


これ以上は厳しいか・・・。


残念だけど、ここで引き返します。
(大煙突跡まで行きたかったけど・・・)

それにしても、感動です。
今や「世界のコマツ」の発祥の原点の銅山跡に来たのだから。

でも、こんなところに5000人住んでた町並みがあったとはやっぱり信じられん・・・。
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