昨日のブラオイラ小松市からの帰り道に
前から気になっていた場所に寄ってみた。
加賀産業道路沿の山側に目立たないように、その場所はあります。
道路に看板も出ていないから、誰も知りません。
なんとここは、加賀三代藩主前田利常公の遺灰を埋めた灰塚なのです。
あの鼻毛を伸ばして徳川からの脅威を回避した名君、利常公。
約20メートル四方の広さでしょうか。
それにしても、遺灰をなんで小松のこの地に?
先日も訪れた野田山墓地が、
代々の加賀藩当主が埋葬されることになっているのだが。→これですよ
調べてみると、
(ネットより抜粋)
前田利常の晩年は隠居城として幕府の許しを特別に得て小松城を造営しここに住んだ。利常は、1658年に死去、
生前この三宅野台地からの眺めを大変気に入り、「もし自分が死んだら、あの三宅野に火葬して欲しい」と遺言したと言う。
灰塚は、火葬の際に出た灰を塚に埋めたのが由来とされている。
さすがに前田家としては、本人の希望とはいえここに埋葬することはできず、
金沢の野田山に眠っているが、遺灰の一部をここに埋めたということです。
小さな溝らしきものもあるような・・・
隅の方には、倒れて折れている石柱が・・・。
もう少し、大事に保存してもいいのかな・・・。
【ヒゲ親父】
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加賀産業道路沿の山側に目立たないように、その場所はあります。
道路に看板も出ていないから、誰も知りません。
なんとここは、加賀三代藩主前田利常公の遺灰を埋めた灰塚なのです。
あの鼻毛を伸ばして徳川からの脅威を回避した名君、利常公。
約20メートル四方の広さでしょうか。
それにしても、遺灰をなんで小松のこの地に?
先日も訪れた野田山墓地が、
代々の加賀藩当主が埋葬されることになっているのだが。→これですよ
調べてみると、
(ネットより抜粋)
前田利常の晩年は隠居城として幕府の許しを特別に得て小松城を造営しここに住んだ。利常は、1658年に死去、
生前この三宅野台地からの眺めを大変気に入り、「もし自分が死んだら、あの三宅野に火葬して欲しい」と遺言したと言う。
灰塚は、火葬の際に出た灰を塚に埋めたのが由来とされている。
さすがに前田家としては、本人の希望とはいえここに埋葬することはできず、
金沢の野田山に眠っているが、遺灰の一部をここに埋めたということです。
小さな溝らしきものもあるような・・・
隅の方には、倒れて折れている石柱が・・・。
もう少し、大事に保存してもいいのかな・・・。
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