板尾創路著「板尾日記」
を読んでおります。
いまは「板尾日記3」です。
板尾さんの3年間を一気に読んでおりますと、
不思議とこのひとを良く知っているかのように錯覚します。
ものすごく親しいひとであるような
親戚か知り合いであるかのようなシンクロ具合。
日記は3~10行くらいのもので、
一日をこまかく書いているわけではないのにも関わらず。
これって、とっても危険。
わたしも
このブログを含め
3つほど日記をつけているのですが、
たとえば
わたしの一日が100の事柄で形成されているとすれば、
日記に書くことは1くらいのこと。
しかも、その「1」もさして重要なことでもありません。
もっと重要な重大事件が起こったとしても、
むしろ
そういったことは文章にはおこしにくい。
でも読んでいる人にとっては、
その文章以外に情報がないわけですから、
文章の中で起こることがMAXだと思い込むのです。
いちど頭の中で変換して文字になったものですから、
むしろ書かれた事柄はゆがんでいる可能性もある。
他人が見たら
完全に嘘という場合だってありえる。
だからシンクロするのは危険だ
と思っています。
一度ルミネの舞台で見ただけで
板尾さんには会ったことすらないですし、
この日記は板尾さんではなく、
日記の中でキャラ形成した板尾さんなのに。
固有名詞も知っている人が多く、
板尾さんの日常を想像しやすいからかなぁ。
となると、
わたしのこの日記は他人にはどう想像されているのか。
を読んでおります。
いまは「板尾日記3」です。
板尾さんの3年間を一気に読んでおりますと、
不思議とこのひとを良く知っているかのように錯覚します。
ものすごく親しいひとであるような
親戚か知り合いであるかのようなシンクロ具合。
日記は3~10行くらいのもので、
一日をこまかく書いているわけではないのにも関わらず。
これって、とっても危険。
わたしも
このブログを含め
3つほど日記をつけているのですが、
たとえば
わたしの一日が100の事柄で形成されているとすれば、
日記に書くことは1くらいのこと。
しかも、その「1」もさして重要なことでもありません。
もっと重要な重大事件が起こったとしても、
むしろ
そういったことは文章にはおこしにくい。
でも読んでいる人にとっては、
その文章以外に情報がないわけですから、
文章の中で起こることがMAXだと思い込むのです。
いちど頭の中で変換して文字になったものですから、
むしろ書かれた事柄はゆがんでいる可能性もある。
他人が見たら
完全に嘘という場合だってありえる。
だからシンクロするのは危険だ
と思っています。
一度ルミネの舞台で見ただけで
板尾さんには会ったことすらないですし、
この日記は板尾さんではなく、
日記の中でキャラ形成した板尾さんなのに。
固有名詞も知っている人が多く、
板尾さんの日常を想像しやすいからかなぁ。
となると、
わたしのこの日記は他人にはどう想像されているのか。