プチトマトがどうして苦手なのか。
そのことについて
ずっと上手に説明できないでいました。
あの皮を破った時のプッチ!感が苦手
という説明でお茶をにごしておりました。
プッチ感。
確かに苦手だけど
実は
そこまでない
のです。
味は確かに青臭いけど、別にまずいとも思いません。
味が濃いので悪くない。
友人が
イチゴみたいに
プチプチ食べるよ。
と驚きの発言をしていたのですが、
先週くらいに買ったプチトマトは
皮がまだ柔らかくジューシーで
これはイチゴ感覚も分かるな
と納得する自分がいたのです。
今日、プチトマトのへたをとって水洗いしているときに気がついた。
わたしがどうしてプチトマトを嫌いかというと、
己を曲げない感じがするからです。
このプチトマトというのは
自分が小さくてカワイイということを
熟知しており、
それをいいことにずいぶんしゃしゃり出てくるのです。
お弁当に入れても
サラダに入れても。
そして誰とも同調しない。
どんな食材とも混じり合おうとしない。
そういう自己中心的性格を
プチトマトに感じて
嫌いだったのです。
火を通すと柔らかくなって
他の食材とも同調するではないか。
というプチトマト側の意見の方もおられましょう。
それにしたって、
プチトマトは
自分の甘酸っぱさをずいぶん出してくるのです。
それはふつうのトマトの比ではありません。
トマトの何十倍と言う自己主張。
パスタにもプチトマトを使った場合は
トマトのパスタではなく
いちいち
プチトマトのパスタ
と冠をつけなくてはなりません。
あなたわたしに火を通すなんて
ずいぶん贅沢なことしてくれたじゃない!
あいつは鍋の中から言ってきます。
わたしは
生のプチトマトを食すよりも
火を通して食べるほうが多いのですが、
それも
わざわざその存在を
ただのトマトと同じ扱いにしてやる
というプチトマトイジメなところが気に入っていたのかも。
明日のお弁当もプチトマトを持っていきます。
ビニール袋に入れて持っていき
プチプチ食べてやります。