この年になって
男性の友だちが増えました。
私は女子高出身で
大学ではフェミニズムにハマったこともあり、
自分では
男性不信
男性恐怖症なところがあるはずだ
と思っていましたが、
これはどういうことか
と、考えてみたところ
思い当たった。
わたし
男性だけではなく、
女性の友だちも
少なかったわ
と。
女性社会のなかで生きていたつもりだったけど
よくよく考えてみたら
女の子のつくる輪のなかで常に浮いていた。
それを羨ましいと思っている一方で
突き放して外から見ている自分もいて
お友達になる子は
そんな輪の中でも優しくしてくれる子や
わたしと同じように輪のなかにいない子だった。
だから苦手だったのだね。
女の子も。
いや女の子は好きだ。
女の子のつくる輪の中に入るのが苦手だったのだ。
長年、その輪をジトッと指をくわえて観察してきたから
親しみは半端なくあるってことだ。
その点、男性のコミュニケーションをジッと観察したことはあまりないので
勝手に苦手と思い込んでいた。
でも年を重ねて、
子どもができて
社会との接点が広まるにつれ
人間は性別違ってもそんなに変わらない
と気がついた。
むしろ女の子の輪に入れなかった本来のわたしは
男性との距離感のほうが楽なのかもしれません。
学校ももうすぐプログラムの半分の月日が
流れようとしています。
うん、やばい。
なにって、お金が。
働こうかな
って気になってネット検索のこの頃。
男性の友だちが増えました。
私は女子高出身で
大学ではフェミニズムにハマったこともあり、
自分では
男性不信
男性恐怖症なところがあるはずだ
と思っていましたが、
これはどういうことか
と、考えてみたところ
思い当たった。
わたし
男性だけではなく、
女性の友だちも
少なかったわ
と。
女性社会のなかで生きていたつもりだったけど
よくよく考えてみたら
女の子のつくる輪のなかで常に浮いていた。
それを羨ましいと思っている一方で
突き放して外から見ている自分もいて
お友達になる子は
そんな輪の中でも優しくしてくれる子や
わたしと同じように輪のなかにいない子だった。
だから苦手だったのだね。
女の子も。
いや女の子は好きだ。
女の子のつくる輪の中に入るのが苦手だったのだ。
長年、その輪をジトッと指をくわえて観察してきたから
親しみは半端なくあるってことだ。
その点、男性のコミュニケーションをジッと観察したことはあまりないので
勝手に苦手と思い込んでいた。
でも年を重ねて、
子どもができて
社会との接点が広まるにつれ
人間は性別違ってもそんなに変わらない
と気がついた。
むしろ女の子の輪に入れなかった本来のわたしは
男性との距離感のほうが楽なのかもしれません。
学校ももうすぐプログラムの半分の月日が
流れようとしています。
うん、やばい。
なにって、お金が。
働こうかな
って気になってネット検索のこの頃。