長年 お能を趣味としてやっている友人の発表大会が、
先週末 目黒の能楽堂で行われましたので出かけましたが、
その帰路 原宿・表参道周辺で行われていた「原宿表参道元気祭」を見に行ってみました。
この祭は「スーパーよさこい2016」とも呼ばれ、全国から102の踊り手グループが集まり、
5つの舞台・ストリートでその演舞が披露されていました。
原宿駅近くの会場は、駅から近いこともあって大変な人出で、
その上 会場間を移動する出演者の動きもあって大変な混雑が続いていました。
原宿駅近くの3つの会場を廻ってみましたが、それぞれのグループメンバーの年齢差はあるものの
みんな元気いっぱいで、見ている方も暑さを忘れて見入っていました。
「原宿口ステージ」
「代々木公園ステージ」
「NHK前ストリート」会場
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鎌倉鶴岡八幡宮では例大祭が執り行われ、14日は宵宮祭、15日は例大祭、神幸祭、
16日は流鏑馬神事が執り行われましたが、昨日15日の神幸祭の時に行ってみました。
神幸祭は、八幡宮の大神様を神輿にお遷しして、氏子区域をお渡り頂くお祭りです。
ご本殿から神輿3基が担ぎ下され、宮司以下神職、錦旗、太鼓、提灯、弓矢、神馬などの行列が
お旅所まで進み、そこで祭壇が整えられ、神幸祭神事が執り行われます。
お旅所は、例年 二の鳥居のところに設けられていましたが、今年は段葛が修復工事中のため
三の鳥居のところ(太鼓橋の前)に設けられていました。
そこで、幸神祭の神事、八乙女たちによる八乙女舞が行われました。
また、大銀杏の若木はかなり伸びて石段の上に顔を出しており、古木の根元のところにも
新しく芽が出て、こちらも期待が持てそうな感じになってきました。
神幸祭前の境内の様子
(参道では囃子太鼓が打ち鳴らされ、拝殿では八乙女による奉納踊りが行われていました。)
神幸祭の始まりで、宮司・神職の方が本殿に上がられて、神事が執り行われます。
お旅所に着いたら、次から次に祭壇に飾られます。
神馬もお旅所にやってきました。
[ その後の大銀杏・若木の様子]
若木がかなり大きくなりました。 また古木の根元に新芽が出ておりました。
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鎌倉・室町時代に、三浦半島で栄えた三浦一族の鎮魂祭として行われている「道寸祭り」。
「道寸祭り」では、三浦一族(最後の城主・三浦道寸)を偲ぶ供養祭とともに、
三浦一族のお家芸として永く伝えられてきた「笠懸」が披露されます。
三浦一族は戦いの訓練の中で、笠を敵の顔と見立てて、
疾走する馬の上から弓を放つ訓練をしていたそうですが、
その訓練がいつしか「笠懸(かさがけ)」と呼ばれるようになったそうです。
「笠懸(かさがけ)」は、的の左右両側には竹矢来などを設けて、その間から的をねらうというやり方で
「流鏑馬」と比べても極めて実践的で難しい弓馬術と言われています。
今回の「笠懸」は、油壷の荒井浜海岸で武田流の射手により行われましたが、
大小2つの的がそれ2ヶ所に設けられて
射手はまず大きな的を狙って馬場先の方に走り、
その後 帰りに砂浜近くに設けられた小さな的を狙って馬場元の方へ走って行きます。
まずは、三浦一族を偲ぶ供養祭 その後「笠懸」に先立っての神事が執り行われました。
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小田原では、「梅まつり」(1/31~3/1)が行われており、
小田原城址や曽我梅林でいろいろなイベントが行われています。
先日、曽我梅林で「流鏑馬(やぶさめ)」が行われましたので、出かけてみました。
「梅まつり」とはいえ、早咲きの梅だけがほぼ満開状態で、普通の梅はまだこれからという感じで
まつりの後半のこれからが見頃になると思います。
新聞報道では、流鏑馬には約2万人の観客が集まったと報じられていましたが、
ここの会場は、神社境内などの流鏑馬神事と違って田んぼの中で行われるので、
たくさんの人が見れるようになっています。
流鏑馬は、武田流の流鏑馬で、その式次第に沿って行われましたが、
射手は男子6人、女子4人の10人で、5頭の馬を使って行われました。
流鏑馬の後半の「競射」は、前半の「奉射」の命中成績の上位5名で行われ、
「競射」での成績が良かった3人の人が表彰されていました。
「梅まつり」らしく、満開の梅の中から「射手」が飛び出して「的」を射ます。
流鏑馬は、まずは儀式の「奉射」、続いて競技の「競射」が行われます。
「奉射」の時の的は、1尺8寸四方の檜板に白紙が張られ、的が描かれています。
「競射」になると、的は径3寸の土器(かわらけ)になり、
命中すると土器が砕け、中から五色紙が花吹雪のように飛び散ります。
射手は10人、5人は歩いて、5人は5頭の馬に乗って馬場入り。(中央、右は女性射手)
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横浜山手西洋館では、この時期いろいろな「ひな祭り」の飾り付けが行われていますが、
その中の一つ「外交官の家」の「ひなまつり」の様子を撮りに行ってみました。
最近は、話題性のあるいろいろな「ひな人形」が作られていますが、ここでは「原点を求めて」ということで
ひな祭りで飾られるものの「ORIGIN」を意識した飾り付けがなされていました。
ひな祭りの起源については、いろいろな説があるそうですが、平安時代にはすでに京都で
平安貴族の子女のみやびな遊びごととして記録が残っているそうです。
また、甘酒の起源につては、古く古墳時代に遡り、日本書紀にもその記述がなされているそうです。
そして、ひな祭りを彩る器の一つである漆器は、その歴史は古く、縄文時代に遡るそうです。
甘酒や漆器の起源の古さは、正に驚きです!
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横浜市の中区民祭り「ハローよこはま2013」が、横浜公園・日本大通りで昨13日行われていましたが、
その中で「英国女王陛下の近衛軍楽隊」(コールドストリーム・ガーズ・バンド)によるパレードが行われました。
今回の来日は、横浜市の音楽フエスティバル「横浜音祭り2013」の特別企画として、
英国と日本の通商400周年、エリザベス女王戴冠式60周年を記念したものだそうです。
団員はそれぞれ特徴ある制服を着て、そして黒い大きな帽子を深々とかぶり、
胸にはたくさんの勲章を付け、 堂々たるパレード行進でした。
日本大通りを横浜公園側から海岸側へ2往復して、 最後は県庁玄関口での演奏でした。
団員が胸につけている勲章の個数は、団員ごとに違っていて、やはり年配の人が
たくさん付けている感じではありました。
日本大通りを横浜公園側から海岸方向へ向かうパレード。
威風堂々たるリーダー。
この3人の制服、帽子は、他の団員のものとは大きく違っていました。
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10月10日は、東京オリンピックの開会式が行われた日であり、以前は「体育の日」で祝日でしたが、
今では体育の日は第二月曜日になっていて、特段の日ではありません。
( しかし、10月10日は語呂がいいので、銭湯の日、空(天(ten)の語呂合わせ)を見る日、トマトの日、
おでんの日 (一〇一〇ということで東京北区で) などと都合が良いように呼ばれてはいますが・・・・。)
この日、横浜中華街では、1911年10月10日中国で中華民国が成立した日を
記念する祭りの日で、双十節とも言われ、関帝廟横の中華学院校庭での中華芸能演技、
中華街での祝賀パレード、祝賀獅子舞などが盛大に行われました。
中華街の中の中華学院での中華芸能演技は、今までに見たことが無かったので、
今年初めて出かけてみました。
中華学園の小学生、中学生、高校生の生徒がいろいろな舞踊を元気に披露しました。(スローシャッターで撮影。)
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大原はだか祭り(千葉・いすみ市)は、江戸時代から行われている伝統ある秋祭りで、
去る9月22・23日に行われましたが、今年初めてバスツアーで行って見ました。
神社を早朝出立ちしたお神輿は大原、東海、浪花の三地区で町内を巡回し、
午後から大原漁港に集まってきました。
大原漁港に集結した18基のお神輿は、五穀豊穣、大漁祈願の神事の後、
近くの大原海水浴場に行き、勇壮な「汐ふみ」が行われました。
上半身裸の男たちによって担がれた18基のお神輿が「汐ふみ」会場に参集すると、
一斉に外房の太平洋に担ぎ込まれ、海の中を駆け巡り、上に投げ上げられるなど、
次から次と勇壮な姿が繰り広げられました。
今回始めに大原漁港に行き、集まって来るお神輿や神事の様子などを見ましたが、
上半身裸の男たち、女性、子供たちが、お神輿と一緒に集まり、
周りを勢いよく廻ったり、お神輿を上に投げ上げたりして、
和やかな雰囲気の中で五穀豊穣、大漁祈願の神事が行われました。
その後、「汐ふみ」が行われる大原海水浴場に行きましたが、
すでにたくさんの人が海岸線に沿って集まっていて、お神輿が通るようなところには
近寄れない状況で、遠くの海岸線からしか見れませんでした。
「汐ふみ」会場の様子。
お神輿は一斉に海の中に担ぎこまれ、勢いよく駆け廻ります。
お神輿が勢いよく上に投げ上げられます。
ここのお神輿の担ぎ棒は、大きくて長いので、たくさんの人が一緒に担げるようになっています。
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夏祭りがあちこちで行われていますが、三浦市の海南神社でも「夏祭り」 (7/14-15) が行われ、
独特の獅子舞が見られるという話でしたので、祭りの2日目に出かけて見ました。
1日目に神社を出た行道(お練り)獅子、お神輿、山車などは三崎港の一角に安置されていて、
2日目はそこから町内への巡回が始まります。
まずは、先導を務める雌雄二頭の行道(お練り)獅子が、三崎独特の木遣り(きやり)に合わせて
厄除けをしながら 漁師町の商店通りを巡回します。
4人で獅子頭を持ち、胴部となる布の部分を30人ほどで持って、その後に1人が尾を持って練り歩きます。
商店の入り口で、木遣りに合わせて 行道(お練り)獅子は威勢よく担ぎ上げられ、
掛け声と共に胴部の布や尾が 上下に大きく波打つように動かされます。
また、店内になだれ込むように入って行き、しばらくして後退りしながら出て来るところもありました。
行道(お練り)獅子の舞に続き、
お神輿、山車、太鼓、木遣りが三崎の町を練り歩き、町は祭り一色でした。
そして、祭りに参加している人たちは、経験豊かな大人たちとともに、
小さい子供、小、中、高校生、青年層の人たちと若い人たちの姿が多く見られ、
故郷の祭りとして大切にされ、伝統ある祭りとしてしっかりと伝承されている感じでした。
行道(お練り)獅子は大きくて重そうですが、4人がかりで抱えられています。
行道(お練り)獅子の巡回は、先金棒を先頭に子供たちの化粧金棒が続きます。
お店の前で、木遣りに合わせて雌雄二頭の行道(お練り)獅子が厄除けをします。
お神輿の担ぎ手は若い人ばかりで、木遣師の「きやり」に合わせて担がれます。
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江ノ島の八坂神社のご神体は、その昔 腰越の小動神社に祀られており、
大波で流され海中に沈んだものを 漁師が引き上げたとされていて、
両神社は強い結びつきがあり、天王祭も同時に行われています。
天王祭では、江ノ島八坂神社の御神輿は海上渡御のあと、小動神社への巡行が行われます。
小動神社の関係者は、龍口寺前で八坂神社の御神輿を迎え、
そこから両神社の御神輿は 各町の山車(だし)が飾られて道幅が狭くて、時折 江ノ電が走る電車道を
小動神社まで揉み合いながら、練り歩きます。
両神社の御神輿は、電車が来ない間は道一杯動いて練り歩いていますが、
電車が来ると「電車優先」で、お神輿は道の両側に避けて一時休止して、
電車が通り過ぎるとまた練り歩きます。
電車が通る時には、警察関係者による交通整理が行われますが、やっと電車が通るくらいの幅を
開けるのにも 時間がかかり、電車は超低速でやっとこさ通り過ぎていました。
電車道には各町の山車が飾られて狭くなっています。
龍口寺前では小動神社関係者が、江ノ島八坂神社のお神輿を迎えます。
電車が来ると「電車優先」で、お神輿は一時横に避けて待機します。
警察関係者によって開けられた道を電車は超低速で通って行きます。
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横浜中華街では、旧暦正月を祝う 「春節2012」 (1月23日~2月6日)が開催されており、
この間、いろいろな行事が行われます。
昨日23日は、中華街全域で春節の伝統行事である「採青」(さいちん)が行われました。
「獅子舞」が、中華街の各店舗の商売繁盛、五穀豊穣を祈願して、夫々のお店の前で舞います。
獅子舞は銅鑼(どら)や太鼓に合わせて、お店の入り口で激しく舞い、
そして、店舗に吊るされた ご祝儀の紅包(ほんぱお)を くわえ取ります。
獅子が好きな青菜で紅包が作られたところから「採青」と呼ばれているそうです。
大きな店舗では獅子舞は店の中に入り、2階にも上がったりして店の中で舞います。
そしてお店から出てくる時は獅子は後向きでしっぽの方から出てきます。
その後、立ち上がって紅包をくわえますが、紅包の出し方もお店によっていろいろです。
お店の上の階から竿に吊るされたり、紐に吊るされたり、店の入り口の軒先に吊るされたり、
店の入り口で竿につるされたりしていますが、その「紅包」 を獅子はうまく くわえていました。
そして最後はお店の商売繁盛を祈願して、爆竹がけたたましく鳴らされていました。
これから期間中、祝舞パレード、燈籠祭、伝統芸能演技(舞、踊り、雑技など)が行われるようです。
竿に吊るされた紅包をくわえる獅子。
(左)中華街にはお正月の飾り。(右)2階から高々と吊るされた紅包。
呼吸があった二人による獅子舞で、高いところの紅包をくわえます。
(左)紅包が、獅子の好物の青菜で作られたところから「採青」と呼ばれているそうです。
この店では青菜と紅包がいっしょに吊るされていました。
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先月初めに、横浜・馬車道で「馬車道まつり」の街頭撮影会があったので、
「まつり」の様子をいろいろ撮影していましたが、
今回これらの写真をWindows Live ムービーメーカーで、ムービー風にまとめて見ました。
馬車道通りでは「乗り合い馬車」や「人力車」が往来したり、
鹿鳴館スタイルの装いをした淑女の姿が見られ、
文明開化の頃は、こんな雰囲気だったのかな?と思うような風景でした。
また一方では、高校生の吹奏楽演奏があったり、
小学生の大道芸の披露があったりして、にぎやかな「まつり風景」でした。
また、「馬車道まつり」では、鹿鳴館スタイルの装いをした淑女の街頭写真や
馬車道でのまつり風景などの「写真コンクール」も行われましたので、
写真を撮る人も多く、一段とにぎやかな「まつり風景」となっていました。
「馬車道まつり」
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鎌倉鶴岡八幡宮では、6月末から7月始めにかけて、
大祓い、七夕祭などが行われますので、 その飾り付けの様子を撮りに出かけました。
そこで、先ず気が付いたのは、昨年3月倒れて 植え替えられていた大銀杏が、
黒い網ですっぽりと覆われている姿でした。
近づいて網越しに中の大銀杏を見てみると、葉が出ていない大銀杏の姿でした。
昨年6月には、「元の幹」からも 「ひこばえ」からも新芽が出て茂っていましたし、
10月にはさらに茂った姿が見られました。
その後、落葉しましたが、その姿は今年2月に写真に撮っていました。
大銀杏の幹にはわらが巻かれたり、散水ノズルが取り付けられたりしていましたが、
段々と厳しくなる暑さの中で、さらに大銀杏を養生するために、
2週間くらい前に、黒い網で覆われたそうです。
網の中は、正にピンチを迎えている大銀杏の姿でした。
昨年6月の大銀杏。
昨年3月10日 倒木後、「元の幹」と 「ひこばえ」に分けて植えられ、
本当に芽が出るのか心配されていましたが、たくさんの芽が出ました。
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