1月3日 2013新春矢作川マラソンは、八甲田山と化した その2
スタートのピストル音が響き、わらわらと歩きはじめた。スタート門をくぐるまで約30秒かかったが、その後は街中を団子状態でゆっくり進む。くねくねと民家の横をくぐり、地元の人達の応援を受ける。
「頑張れやあ!」
「いけえ!柔道」
いやこれは空手着なんですけど・・・。
「風で寒いわ」と横の嫁。
「こりゃあ、体は温まらんわあ」と私。
800mぐらいで民家が終わり田んぼに出た途端、強い風が・・・
「さぶい!」
「ひやああ」
とあちこちで声が。
だがこの時点での風は、まだ大したものではなかったのだ。この後地獄の嵐が待っていた。
1kmの表示の所で時計を見ると、6分10秒。やはり予想通り2時間10分から15分のペースです。
「お先!」とお約束のように嫁がどんどん先に行く。夫婦相伴というのは嘘なのか!。
田んぼ道をグルグル回り、堤防に駈け上がった。途端、
とんでもない風!
「うおおおおお!なんじゃこりゃあ!」と私。
その叫び声を聞いていた横の老年ランナーが、
「私も何回も出てますが、こんな風久しぶりですよ。こりゃあ死ぬわい」
ええっ!死ぬんですか?
風は北西の方向から吹いてて、横から前からと、ランナーを翻弄しまくった。この堤防の道路は、時折自転車通勤で使ってますが、ここまで強い風はほとんど経験ありません。
とにかく前に進まない。急な横風に吹き飛ばされそうになる。
時にビラビラの空手着は、裾や袖口、胸元の袷の部分から風がどんどん入り込み、やっこ凧状態である。しまったこんなん着てくるんじゃなかったよ。前に進まんじゃん。

その時撮った写真です。分かりにくいと思いますが、横風で皆さん斜めに傾いて走ってます。この時は、まだ日が照ってました。
時間が経つにつれて、手の感覚が無くなってきた。シャッターを押す指が動かん。これ以降は写真撮れませんでした。
私は体重がある方なので(180センチ79キロ)、まだ風の影響は少ないのですが、軽いランナーや、ウインドブレーカーを着てるランナーは、風でふらふらしてましたね。
先ほど話をした老年ランナーさんが、私の風下側に回り、
「お兄さん、済まんけど風よけにさせてもらってええやろか?」
「ええですよ。お互い頑張りましょう!」
ランナーは助け合い精神を持たねばなりません。そのお爺さんランナーと会話しながら走ってました。と言っても、話す事は、
「寒いですねえ」
「棄権したいですね」
「耐えられますかねえ」
「手痺れて来たなあ」
など、マイナス思考の事ばかりである。
10分ばかり一緒に走ったが、そのお爺さんは、
「私、ゆっくり走りますわ。駄目だったらリタイヤします」
と言って、後ろに離れて行ってしまった。
さびしい。
40分も走ったころであろうか。堤防から見て北西の方向つまり風上に、何やら黒い雲の塊を見た。何だあれは・・・と思ってる間に黒い雲は近づき、強風に乗って雪が降ってきた。
つべたい、というか風で痛い。
我々ランナーの行列は、マラソン大会ではなく、雪中行軍と化してしまった!
雪の中を走るって初めての経験です。しかも台風並みの強風。ペースもへったくれも無い。
荒れた状態だったので、私をペースメーカされてる方は、ほとんどいませんでしたね。
前に「協栄競走部」というTシャツを着ている男女ペアの若い方がおられましたので、その方をペースメーカーにしてました。普段はされる方なのですが・・・。
この時点で鼻が完全に詰まって、汚い話ですが鼻水全開でした。腰の帯にタオル巻いてきたので、それを使って拭いてましたが、そのタオルと帯の端が、風にあおられて体を引っ張る。
もう体調最悪。
美矢井橋で折り返して、再び田んぼ道に。時折農家の軒先を走る時に応援があるが、横を通りすがりに、
「あー!雪が降ってきた。帰ろ帰ろ」と帰り始めたのには泣きました。すいません、もう1周あるんですが。観客の皆さん、見捨てないで。
「雪が降ってるのに、皆ようやるねえ」
「風邪引くよう」
と、応援のお婆さん連中。
ホント、私もよくやると思います。雪の中走ってるのは、三河中から集まったバカです。
エイドで飴玉を貰うが、指が動かないので袋を開けられない。
結局飴玉舐めれなかった。
1周して再び堤防の上に。
ひじから先の感覚が無い。
これと同じ感覚を、14年前に冬の八ヶ岳に登った時に、氷点下17度で経験したことがあるな。やばいよこれ。
2周目の堤防で、中年のオヤジランナーさんがいたが、Tシャツと手袋無しであった。そのオジサンの唇は、プールで低体温症になった子供のように紫色になってた。
横に並んだ時に、
「大丈夫ですか?手袋無しですか?」
「忘れてしまいまして」・・・声が震えてた。
別の若いランナーは手袋が無いので、オバキューに出てくる博士君のように、手を袖に隠して走ってた(←これまた若い奴が知らんネタ)。
私は手袋をしていたのですが、ランナー用の薄いやつだった。しまった!厚いフリースの暖かいのにすればよかった。
寒いし応援も無いし、手が冷たくて感覚ないし、こんなつらいマラソン大会は久しぶりです。
普通の家庭は、餅食ってこたつの中で箱根駅伝見てるんだろうなあ。
第一、正月に走るって、やはり異常なんだよな。しかも雪振ってる。
1500人もバカがいるんだよ。
ったく君達には、正月を家で祝ってくれる家庭は無いのか?
マラソンした所で日本が元気になるわけが無いだろうが。
そんな事するくらいなら、働け!
・・・と全くのマイナス思考であった。しかも全部自分の事を棚に上げている(笑)。
2周目の途中に、若い男性のランナーに追いついたと思ったら、そのランナーはピタッと横に貼りつかれて、風よけにされた。
若い女性に風よけにされるのなら大歓迎ですが、男に風よけにはされたくない。あー腹が立つ。
えっ?さっきもお爺さんにされてたのに、今回は駄目なの?
さっきのお爺さんは、
「お兄さん、済まんけど風よけにさせてもらってええやろか?」
と言ってくれた。
つまり「お兄さん」と、49歳のオヤジに言ってくれたんですよ。嬉しいではないですか!
「ランナーは助け合い精神を持たねばなりません」とさっき書いておいて、今更何言うねん。
コバンザメ兄ちゃんは、腹が立つので筋力で引き離した(笑)。何と言う身勝手なランナーだ(どっちがだ)。
堤防上で何人かを抜かす。
普通のランナーは、余計なものをそぎ落として、速さを競うスポーツカーみたいなもんである。私は余計な筋肉がいっぱいついてるので、スピードは出ないが、馬力だけはある。つまり四駆みたいなものだ。四駆は悪天候の時や雨風に強いです。私も風の影響を受けましたが、他のランナーに比べ、割合ペースは安定していた方ですね。
さて周回コースも終わり、街中に入る。あと2kmだ。
普通のハーフマラソンだと、ラスト2kmでぺースが上がる方が多いのだが、今回はそんな人誰もいませんでした。皆寒さで凍りついてました(笑)。
角を曲がって、すぐにゴール!
やっと地獄が終わった・・・。
タイムは2時間8分36秒でした。予想よりちょっと良かったのは、若い兄ちゃんによる風よけされたアクシデントへの怒りパワーだと思います(何じゃそりゃあ!)。
ちなみに嫁は私より、○十分速かったです。分かっているが腹が立つ。

写真は完走後、凍りついてる時に、無理矢理正拳突きをするバカオヤジ。
八甲田山からは生還できたが、その夜頭痛がして風邪をこじらせ寝込んだ。
「来年はこのコースで2時間切ってやる!もちろん仮装で!リベンジマッチだあ!」
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スタートのピストル音が響き、わらわらと歩きはじめた。スタート門をくぐるまで約30秒かかったが、その後は街中を団子状態でゆっくり進む。くねくねと民家の横をくぐり、地元の人達の応援を受ける。
「頑張れやあ!」
「いけえ!柔道」
いやこれは空手着なんですけど・・・。
「風で寒いわ」と横の嫁。
「こりゃあ、体は温まらんわあ」と私。
800mぐらいで民家が終わり田んぼに出た途端、強い風が・・・
「さぶい!」
「ひやああ」
とあちこちで声が。
だがこの時点での風は、まだ大したものではなかったのだ。この後地獄の嵐が待っていた。
1kmの表示の所で時計を見ると、6分10秒。やはり予想通り2時間10分から15分のペースです。
「お先!」とお約束のように嫁がどんどん先に行く。夫婦相伴というのは嘘なのか!。
田んぼ道をグルグル回り、堤防に駈け上がった。途端、
とんでもない風!
「うおおおおお!なんじゃこりゃあ!」と私。
その叫び声を聞いていた横の老年ランナーが、
「私も何回も出てますが、こんな風久しぶりですよ。こりゃあ死ぬわい」
ええっ!死ぬんですか?
風は北西の方向から吹いてて、横から前からと、ランナーを翻弄しまくった。この堤防の道路は、時折自転車通勤で使ってますが、ここまで強い風はほとんど経験ありません。
とにかく前に進まない。急な横風に吹き飛ばされそうになる。
時にビラビラの空手着は、裾や袖口、胸元の袷の部分から風がどんどん入り込み、やっこ凧状態である。しまったこんなん着てくるんじゃなかったよ。前に進まんじゃん。

その時撮った写真です。分かりにくいと思いますが、横風で皆さん斜めに傾いて走ってます。この時は、まだ日が照ってました。
時間が経つにつれて、手の感覚が無くなってきた。シャッターを押す指が動かん。これ以降は写真撮れませんでした。
私は体重がある方なので(180センチ79キロ)、まだ風の影響は少ないのですが、軽いランナーや、ウインドブレーカーを着てるランナーは、風でふらふらしてましたね。
先ほど話をした老年ランナーさんが、私の風下側に回り、
「お兄さん、済まんけど風よけにさせてもらってええやろか?」
「ええですよ。お互い頑張りましょう!」
ランナーは助け合い精神を持たねばなりません。そのお爺さんランナーと会話しながら走ってました。と言っても、話す事は、
「寒いですねえ」
「棄権したいですね」
「耐えられますかねえ」
「手痺れて来たなあ」
など、マイナス思考の事ばかりである。
10分ばかり一緒に走ったが、そのお爺さんは、
「私、ゆっくり走りますわ。駄目だったらリタイヤします」
と言って、後ろに離れて行ってしまった。
さびしい。
40分も走ったころであろうか。堤防から見て北西の方向つまり風上に、何やら黒い雲の塊を見た。何だあれは・・・と思ってる間に黒い雲は近づき、強風に乗って雪が降ってきた。
つべたい、というか風で痛い。
我々ランナーの行列は、マラソン大会ではなく、雪中行軍と化してしまった!
雪の中を走るって初めての経験です。しかも台風並みの強風。ペースもへったくれも無い。
荒れた状態だったので、私をペースメーカされてる方は、ほとんどいませんでしたね。
前に「協栄競走部」というTシャツを着ている男女ペアの若い方がおられましたので、その方をペースメーカーにしてました。普段はされる方なのですが・・・。
この時点で鼻が完全に詰まって、汚い話ですが鼻水全開でした。腰の帯にタオル巻いてきたので、それを使って拭いてましたが、そのタオルと帯の端が、風にあおられて体を引っ張る。
もう体調最悪。
美矢井橋で折り返して、再び田んぼ道に。時折農家の軒先を走る時に応援があるが、横を通りすがりに、
「あー!雪が降ってきた。帰ろ帰ろ」と帰り始めたのには泣きました。すいません、もう1周あるんですが。観客の皆さん、見捨てないで。
「雪が降ってるのに、皆ようやるねえ」
「風邪引くよう」
と、応援のお婆さん連中。
ホント、私もよくやると思います。雪の中走ってるのは、三河中から集まったバカです。
エイドで飴玉を貰うが、指が動かないので袋を開けられない。
結局飴玉舐めれなかった。
1周して再び堤防の上に。
ひじから先の感覚が無い。
これと同じ感覚を、14年前に冬の八ヶ岳に登った時に、氷点下17度で経験したことがあるな。やばいよこれ。
2周目の堤防で、中年のオヤジランナーさんがいたが、Tシャツと手袋無しであった。そのオジサンの唇は、プールで低体温症になった子供のように紫色になってた。
横に並んだ時に、
「大丈夫ですか?手袋無しですか?」
「忘れてしまいまして」・・・声が震えてた。
別の若いランナーは手袋が無いので、オバキューに出てくる博士君のように、手を袖に隠して走ってた(←これまた若い奴が知らんネタ)。
私は手袋をしていたのですが、ランナー用の薄いやつだった。しまった!厚いフリースの暖かいのにすればよかった。
寒いし応援も無いし、手が冷たくて感覚ないし、こんなつらいマラソン大会は久しぶりです。
普通の家庭は、餅食ってこたつの中で箱根駅伝見てるんだろうなあ。
第一、正月に走るって、やはり異常なんだよな。しかも雪振ってる。
1500人もバカがいるんだよ。
ったく君達には、正月を家で祝ってくれる家庭は無いのか?
マラソンした所で日本が元気になるわけが無いだろうが。
そんな事するくらいなら、働け!
・・・と全くのマイナス思考であった。しかも全部自分の事を棚に上げている(笑)。
2周目の途中に、若い男性のランナーに追いついたと思ったら、そのランナーはピタッと横に貼りつかれて、風よけにされた。
若い女性に風よけにされるのなら大歓迎ですが、男に風よけにはされたくない。あー腹が立つ。
えっ?さっきもお爺さんにされてたのに、今回は駄目なの?
さっきのお爺さんは、
「お兄さん、済まんけど風よけにさせてもらってええやろか?」
と言ってくれた。
つまり「お兄さん」と、49歳のオヤジに言ってくれたんですよ。嬉しいではないですか!
「ランナーは助け合い精神を持たねばなりません」とさっき書いておいて、今更何言うねん。
コバンザメ兄ちゃんは、腹が立つので筋力で引き離した(笑)。何と言う身勝手なランナーだ(どっちがだ)。
堤防上で何人かを抜かす。
普通のランナーは、余計なものをそぎ落として、速さを競うスポーツカーみたいなもんである。私は余計な筋肉がいっぱいついてるので、スピードは出ないが、馬力だけはある。つまり四駆みたいなものだ。四駆は悪天候の時や雨風に強いです。私も風の影響を受けましたが、他のランナーに比べ、割合ペースは安定していた方ですね。
さて周回コースも終わり、街中に入る。あと2kmだ。
普通のハーフマラソンだと、ラスト2kmでぺースが上がる方が多いのだが、今回はそんな人誰もいませんでした。皆寒さで凍りついてました(笑)。
角を曲がって、すぐにゴール!
やっと地獄が終わった・・・。
タイムは2時間8分36秒でした。予想よりちょっと良かったのは、若い兄ちゃんによる風よけされたアクシデントへの怒りパワーだと思います(何じゃそりゃあ!)。
ちなみに嫁は私より、○十分速かったです。分かっているが腹が立つ。

写真は完走後、凍りついてる時に、無理矢理正拳突きをするバカオヤジ。
八甲田山からは生還できたが、その夜頭痛がして風邪をこじらせ寝込んだ。
「来年はこのコースで2時間切ってやる!もちろん仮装で!リベンジマッチだあ!」
